はじめに
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先生、『土佐日記』って作者は男の人ですよね。どうして「女もする」って書いてあるんですか?
これは、作者が女性になりたかったというわけではなく、仮名文字というものの特性なんだよ。今回は、なぜ作者が女性のふりをしてこの文章を書いたのか。そのなぞに迫っていこう!
「男もすなる日記」(門出)について 第1回
今回は『土佐日記』の冒頭です。教科書には「門出」と書かれているものも多いでしょうか。非常に有名な冒頭文ですので、見たことがある人もいるかもしれません。まずは文章の前に、『土佐日記』についてまとめておきます。下の板書を見てください。
「土佐日記」は平安日記文学の先駆けです。この後女流仮名日記がいくつも出てきます。今回はそこには触れず、「土佐日記」の特徴に注目してください。「土佐日記」は紀貫之という、古今和歌集の撰者の一人が書いた、土佐国(高知県)での国司の任期を終え、都に戻るまでの旅日記です。当時、文字については、仮名は女性が使うものとされ、男性は「真名」つまり漢字を使うとされていました。ですが、様々な気持ちを詳細に書くには漢字よりも仮名の方が都合が良かったので、わざわざ女性のふりをして日記を書きました。というわけで、作者は仮名を用いて日記を書くために、あえて女性のふりをするわけです。土佐日記の冒頭を読むときには、以上の背景知識がどうしても必要になります。
では、始めましょう!することは以下の3つです。
1本文を読む
2登場人物の確認
3内容を簡単に理解
本文を読む
本文をじっくり読んでみましょう。電車やバスの中では難しいですが、自宅で読んでいる時はぜひ声に出して読んでみてください。そうすると、読みにくい箇所が分かると思います。何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。その際、意味調べなどしないことがポイントです。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。
ある人、県の四年五年はてて、例の事どもみなし終へて、解由など取りて、住む館より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろよくくらべつる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつののしるうちに、夜更けぬ。
ーーーー(ここから第2回)ーーーー
二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。藤原のときざね、船路なれど、馬のはなむけす。上中下、酔ひ飽きて、いとあやしく、塩海のほとりにてあざれあへり。
二十三日。八木のやすのりといふ人あり。この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。これぞ、たたはしきやうにて、むまのはなむけしたる。守柄にやあらむ、国人の心の常として、今は、とて見えざなるを、心ある者は、恥ぢずになむ来ける。これは、ものによりてほむるにしもあらず。
二十四日。講師、むまのはなむけしに出でませり。ありとある上・下、童まで酔ひしれて、一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。
登場人物の確認
日記は、当然自分のことを書いているわけですから、「作者(自分)」が出てくることが大半です。「作者(自分)」を中心にどのような人が関わってくるか、「作者(自分)」がどのような経験をしたかを読み取っていきます。
作者(自分)(=ある人)
かれこれ、知る知らぬ
藤原のときざね
八木のやすのり 講師
「日記を書いている人」は「女」として書かれます。ですので、本当の作者(紀貫之)は「ある人(が)」といかにも自分ではないという書き方になっています。その「作者(紀貫之)」が土佐国を出るときに、多くの人が挨拶や見送りをしに来てくれます。「作者」の他はそのような人たちです。
内容を簡単に理解
・男が書く日記を女の私も書いてみよう
・12月21日、午後8時ころ出発 そのことを日記に書く
・ある人(=作者)が国司の任期を終えて土佐国を出ようとする。多くの人が見送りをしてくれる
ーーーー(ここから第2回)ーーーー
・22日、和泉国までの船旅の安全祈願をする 藤原のときざねが餞別を贈る
・23日、八木のやすのりが餞別を贈る
・24日、講師(=国分寺の僧)が餞別を贈る
ここは事実の表記にとどめますが、そこでどのようなことがあったのかがこの文章を読み解くポイントになります。それは、次の項目で丁寧にやっていきましょう。
理解しにくい箇所の解説
前半部を理解するために以下の3箇所を訳せるようにしましょう。
- 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり
- それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す
- 日しきりにとかくしつつののしるうちに、夜更けぬ
①男もすなる日記といふものを、女もしてみんとて、するなり
→(訳)男も書くとかいう日記というものを、女の私も書いてみようと思って、書くのである。
「土佐日記」は紀貫之が書いた日本初の仮名日記文学です。当時「仮名」は女性が使用するもの、男性は「真名」(=漢字)を使用するものだと考えられていました。当時も男性が日記を書くことはあったのですが、すべて漢字で記され、「記録」的な性質のようなものだったそうです。ですが、紀貫之は「記録」だけでなく、その時感じた様々な気持ちを文章にしたい、そのためには仮名を使って書いたほうがよいと考え、仮名で日記を書くことにしました。しかし、紀貫之も国司という立派な貴族です。世間体というものを考えた結果、女性のふりをして文章を書くことにしたのです。その「自分は女性である」ということを示すために書かれたのがこの文です。
この文は古文文法を学ぶうえでも非常によく出てくる文です。文を見てみると二つの「なり(なる)」があります。この二つは動詞に続いていて活用もあるのでどちらも助動詞です。ただし、「なり(なる)」の直前はどちらもサ変動詞の「す」ですが、前者は終止形、後者は連体形になっています。ということは、接続が異なるので別の助動詞だということになります。結論を言いますと、前者の「なる」は伝聞推定の助動詞(〜そうだ、〜とかいう)、後者の「なり」は断定の助動詞(〜である)になります。このあたりの詳しい説明は助動詞の項目を見てしっかりと確認しておいてください。
もう一つ助動詞があります。それは「してみん」の「ん」です。撥音便化されていますが、実際は「む」です。「男が日記を書く」から、私も「書こう」となるのは分かりますよね。つまり「ん」は意志を表す助動詞です。
最後に、ここではサ変動詞「す」が3回も使われていますが、「日記をする」とは現代では言わないので、すべて「日記を書く」と訳した方がすっきりとします。
②それの年の、十二月の、二十日余り一日の日の、戌の時に門出す
→(訳)その年の、十二月二十一日午後八時頃に出発する。
「それの年」とは、「土佐日記」が書かれる前年の西暦934年のことです。「十二月」は「しはす(しわす)」と読みます。旧暦読みですね。これを「月の異名」といって、下の板書に乗せていますので、せめてどの月がどのように言うか、例えば「9月は長月」と答えられるようにしてください。21日を「二十日余り一日」と表記するので、これは慣れてください。逆に言うと、例えば、本文に「二十五日」とあったら、「はつかあまりいつか」と読むとも言えます。
次に「戌の時」です。「戌」は十二支のひとつですが、十二支をすべて言えますか。
十二支を理解する
「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」ですね。漢字で書けなくても、せめて読めるようにはなってください。「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・ゐ」です。これは、「時刻」と「方角」を表す時に使います。「方角」はまた別の項でお話することとして、今回は「時刻」についてです。現在は一日で時計が何周しますか?もちろん2周ですね。12時間を2周して24時間、これが現在の時計です。ですが、昔は十二支で一日を表していました。つまり干支一つあたりが2時間を表すことになるのです。例えば、「子の時」となれば、深夜0時ころ、「丑の時」は、深夜2時ころ、となるわけです。とすれば、「戌の時」は何時ころを表すことになるでしょうか。「戌」は11番めですから、午後8時(20時)ころになるわけです。数学が得意な人は【2(n−1)】と覚えておいてもよいでしょう。
作者は出発から旅の様子を日記に書きつけることにしました。ある人(実際は作者)が国司の任期を終え、引き継ぎを終えて、解由状を取ってから、住まいを出て船乗り場へ行きます。知っている者も知らないものも見送りをしてくれる親しく交流してきた者とは分かれ難く思っています。
③日しきりに、とかくしつつののしるうちに、夜ふけぬ
→(訳)一日中、あれこれと大騒ぎするうちに、夜が更けた。
「日しきりに」は「一日中」でよいでしょう。
「とかくしつつ」は、単語の区切り方が難しいかもしれません。「と」「かく」「し」「つつ」です。「とかく」は一つの副詞として考えることも多く、「あれこれ」と訳します。
また、「ののしる」は重要古語ですが、一つの説として、「の」が擬音をあらわすとも考えられています。「のー(ん)」「のー(ん)」と大きな音がするというところからこの語ができたという説です。実際は以下のように覚えましょう。
ののしる
「ののしる」(動・ラ四)
1大声で騒ぐ
2(さかんに)うわさされる、評判になる
「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形です。
テスト対策 第1回
では、テスト対策に移ります。テスト直前でもすべきことの基本は、「本文を読むこと」です。これまで学習した内容をしっかり思い出しながら読みましょう。
本文の確認
今回は重要古語が少ないので、話の内容を想像しながら読んでみてください。「テスト対策」はあえてふりがなをつけていません。不安な場合は、このページの上部「本文を読む」で確認してください。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。
ある人、県の四年五年はてて、例の事どもみなし終へて、解由など取りて、住む館たちより出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろよくくらべつる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつののしるうちに、夜更けぬ。
読みで問われやすい語
「十二月」「一日」「戌」「県」「解由」です。「十二月」「一日」「戌」は「しわす」「ひとひ」「いぬ」、「県」「解由」は「あがた」「げゆ」と読みます。すべて現代仮名遣いで表記しています。
背景知識の確認
通常は文学史の知識は「読解」の後に示すのですが、今回はこれを知らないと非常に読みにくいので、「読解」の前に示します。『土佐日記』についてまとめです。下の板書を見てください。
「土佐日記」は平安日記文学の先駆けであり、紀貫之という古今和歌集の撰者の一人が書いた、土佐国(高知県)での国司の任期を終え、都に戻るまでの旅日記です。当時、文字については、仮名は女性が使うものとされ、男性は「真名」つまり漢字を使うとされていました。ですが、様々な気持ちを詳細に書くには漢字よりも仮名の方が都合が良かったので、わざわざ女性のふりをして日記を書きました。というわけで、作者は仮名を用いて日記を書くために、あえて女性のふりをするわけです。
あらすじの確認
・男が書く日記を女の私も書いてみよう
・12月21日、午後8時ころ出発 そのことを日記に書く
・ある人(=作者)が国司の任期を終えて土佐国を出ようとする 多くの人が見送りをしてくれる
出題ポイント
以下の項目が何も見ずに訳すことができるか確認してください。
- 男もすなる日記といふものを、女もしてみんとて、するなり
- それの年の、十二月の、二十日余り一日の日の、戌の時に門出す
- とかくしつつののしる
男もすなる日記といふものを、女もしてみんとて、するなり
《出題ポイント》
この文が書かれた背景
「すなる」「するなり」の「なり」の違い
一文の訳出
→(訳)男も書くとかいう日記というものを、女の私も書いてみようと思って、書くのである。
「土佐日記」は紀貫之が書いた日本初の仮名日記文学です。当時「仮名」は女性が使用するもの、男性は「真名」(=漢字)を使用するものだと考えられていました。当時も男性が日記を書くことはあったのですが、すべて漢字で記され、「記録」的な性質のようなものだったそうです。ですが、紀貫之は「記録」だけでなく、その時感じた様々な気持ちを文章にしたい、そのためには仮名を使って書いたほうがよいと考え、仮名で日記を書くことにしました。しかし、紀貫之も国司という立派な貴族です。世間体というものを考えた結果、女性のふりをして文章を書くことにしたのです。その「自分は女性である」ということを示すために書かれたのがこの文です。
この文は古文文法を学ぶうえでも非常によく出てくる文です。文を見てみると二つの「なり(なる)」があります。この二つは動詞に続いていて活用もあるのでどちらも助動詞です。ただし、「なり(なる)」の直前はどちらもサ変動詞の「す」ですが、前者は終止形、後者は連体形になっています。ということは、接続が異なるので別の助動詞だということになります。結論を言いますと、前者(すなる)の「なる」は伝聞推定の助動詞(〜そうだ、〜とかいう)「なり」の連体形、後者(するなり)の「なり」は断定の助動詞(〜である)の「なり」の終止形になります。このあたりの詳しい説明は助動詞の項目を見てしっかりと確認しておいてください。
また、もう一つ助動詞があります。それは「してみん」の「ん」です。撥音便化されていますが、実際は「む」です。「男が日記を書く」から、私も「書こう」となるのは分かりますよね。つまり「ん」は意志を表す助動詞です。
最後に、ここではサ変動詞「す」が3回も使われていますが、「日記をする」とは現代では言わないので、すべて「日記を書く」と訳した方がすっきりとします。
以上をまとめると、「男も書くとかいう日記というものを、女の私も書いてみようと思って、書くのである。」となります。
それの年の、十二月の、二十日余り一日の日の、戌の時に門出す
《出題ポイント》
十二月の旧暦読み・月の異名
「戌の刻」とは何時ころか
十二支について
→(訳)その年の、十二月二十一日午後八時頃に出発する。
「それの年」とは、「土佐日記」が書かれる前年の西暦934年のことです。「十二月」は「しはす(しわす)」と読みます。旧暦読みですね。これを「月の異名」といって、下の板書に乗せていますので、せめてどの月がどのように言うか、例えば「9月は長月」と答えられるようにしてください。
次に「戌の時」です。「戌」は十二支のひとつですが、十二支をすべて言えますか。
「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」ですね。漢字で書けなくても、せめて読めるようにはなってください。「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・ゐ」です。
ところで、現在は一日で時計が何周しますか?
もちろん2周ですね。12時間を2周して24時間、これが現在の時計です。ですが、昔は十二支で一日を表していました。つまり干支一つあたりが2時間を表すことになるのです。例えば、「子の時」となれば、深夜0時ころ、「丑の時」は、深夜2時ころ、となるわけです。とすれば、「戌の時」は何時ころを表すことになるでしょうか。「戌」は11番めですから、午後8時(20時)ころになるわけです。数学が得意な人は【2(n−1)】と覚えておいてもよいでしょう。
日しきりに、とかくしつつののしるうちに、夜ふけぬ
《出題ポイント!》
「ののしる」の意味
「夜ふけぬ」の意味
→(訳)一日中、あれこれと大騒ぎするうちに、夜が更けた。
「日しきりに」は「一日中」でよいでしょう。「とかくしつつ」は、「あれこれ」と訳します。
また、「ののしる」はここでは「大声で騒ぐ」という意味です。
「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形です。よって、「夜更けぬ」は「夜が更けた」と訳します。
文法の確認
今回は助動詞を中心に行います。推量系の助動詞も多いのでいきなりすべてを覚えるのは難しいですが、今回は慣れていくためにも多くを取り上げてみましょう。ぜひ、助動詞も一つずつ順番に学習していって、できることを増やしていってもらいたいです。助動詞の学習は以下をご覧ください。
ここでは、本文を使って助動詞の意味を確認していきましょう。
本文中の青太字のもとの形(終止形)とそれぞれの文法的意味を答えなさい。
男もす①なる日記といふものを、女もしてみ②むとてする③なり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。
ある人、県の四年五年はてて、例の事どもみなし終へて、解由など取りて、住む館より出でて、船に乗る④べき所へ渡る。かれこれ、知る知ら⑤ぬ、送りす。年ごろよくくらべ⑥つる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつののしるうちに、夜更け⑦ぬ。
今回は、過去・完了系の助動詞、推量系の助動詞がたくさん出ています。すべてを現状で理解できている人は少ないかもしれませんが、何度も見返すうちに次第にできるようになりますので、諦めずに取り組んでいってください。まずはもとの形をそれぞれ挙げていきます。その語が持つ文法的意味を思い出せない状態であれば、各項目に移動して、確認してみてください。
【もとの形】
①「なり」②「む」③「なり」④「べし」
⑤「ず」⑥「つ」⑦「ぬ」
【文法的意味】
①伝聞 ②意志 ③断定 ④当然
⑤打消 ⑥完了 ⑦完了
助動詞が分かりだすと、文章の理解が一気に早くなります。がんばりましょう!
おわりに
今回は『土佐日記』の冒頭(「門出」)の前半ついて、読んでいきました。今までとは異なり、文学史や古文常識など、知らないと読解が難しい文章でした。覚えることは多そうですが、順番にたどっていくと、しっかり理解できると思います。丁寧に見直しをしてテストに臨んでください。では、また第2回でお会いしましょう。
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