はじめに
自己紹介はこちら
今回は『更級日記』の冒頭「東路の道の果て」の第2回です。『更級日記』については第1回の「『更級日記』について」で説明していますので、詳細はそちらをご覧ください。
前回は「作者の姉や継母に物語を話してもらったけど、全部は分からないからもどかしい気持ちでいた」というところまでだったね。
前回の復習
簡単にまとめると以下のとおりです。
・作者は少女時代に常陸の国よりもさらに奥の上総の国に住んでいる田舎者だった
・世の中にある物語というものをなんとかして読みたいと思う
・姉や継母が様々な物語を聞かせてくれるが、すべてを語ってくれるわけではない
詳しくは第1回を見てくださいね。
「東路の道の果て」について 第2回
では、第2回を始めましょう!することはいつも通り以下の3つです。
1本文を読む
2登場人物の確認
3内容を簡単に理解
今回は自分のことが中心なので、登場人物の確認は行わないよ。本文には物語を話してくれる「姉」「継母」が出てくるけど、この人間関係は第1回の④「姉、継母などやうの人々の」で詳しく解説しているから見てみてね。
本文を読む
何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。今回は2回目なので、前半部の内容を思い出しながら読んでみましょう。
東路の道の果てよりもなほ奥つかたに生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるをいかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居などに、姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げ給ひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せ給へ。」と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所に移る。
年ごろ遊び慣れつる所をあらはにこほち散らして、立ち騒ぎて、日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを、見捨て奉る、かなしくて、人知れずうち泣かれぬ。
内容を簡単に理解
・作者は少女時代に常陸の国よりもさらに奥の上総の国に住んでいる田舎者だった
・世の中にある物語というものをなんとかして読みたいと思う
・姉や継母が様々な物語を聞かせてくれるが、すべてを語ってくれるわけではない
ーーー(ここから第2回)ーーー
・等身大の薬師仏を作って、上京して物語が読めるように祈り続ける
・十三歳のときに、念願かなって京都に戻ることになる
・出発時、長年過ごした家や遊び場、置いていく薬師仏を見ると、悲しくて人知れず涙を流す
理解しにくい箇所の解説を見る
以下の3箇所を詳しく解説していきます。
- いみじく心もとなきままに
- 日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに
- 人知れずうち泣かれぬ
⑦いみじく心もとなきままに
→(訳)たいそうじれったいので
「作者が読みたい物語を、姉や継母が語って聞かせてくれるが、すべてを語ってくれるわけではない」という趣旨の文章からの流れです。欲しい情報が手に入らない作者の思いが現れています。ここを理解するためには、「いみじく」「心もとなき」「ままに」のそれぞれの語の意味が分かる必要があります。「いみじ」は「程度が甚だしい」ことを表す語で、下に形容詞が続いているので、「たいそう/非常に」という意味でよいでしょう。また、「ままに」は第1回で詳しくお話したので、ここでは、「〜ので」という意味になることだけ示しておきます。ここで覚えておいてほしいのは「心もとなし」という単語です。
こころもとなし
「こころもとなし」(形・ク活)
1じれったい/待ち遠しい
2不安だ/気がかりだ
3ぼんやりしている/はっきりしない
「心許なし」と漢字で書きます。現代語は2の「不安だ」という意味が最もよく使われます。
(例)この成績ではA大学の合格は心もとない。
ですが、もともと「心がやたらに動きまわって落ち着かない感じ」を表す語なので、「待ち遠しくて心がいらだつ」という意味の「じれったい」が第一にきます。そこから2や3の意味も出てきます。ここでは、「物語の続きが知りたいけど、それを手に入れられずにじれったい」という意味になります。
また、「こころもとなし」とよく似た意味の語があります。それは「おぼつかなし」と言う語です。こちらは「対象がぼんやりしていてつかみどころがない感じ」を表すので、第一の意味は「はっきりしない/ぼんやりしている」です。そこから「気がかりだ」「待ち遠しい」等の意味が出てきます。結果的にこの2語は同じような意味の語になるのです。
「おぼつかなし」(形・ク活)
1はっきりしない
2気がかりだ/不安だ
3待ち遠しい
以上をまとめると、「たいそうじれったいので」という訳になります。
そこで、作者(女の子)は等身大の薬師仏を作って、その仏様にお祈りをします。祈るのはもちろん、「物語を見させてほしい」という内容です。ただ、この常陸の国には物語がないので、「物語があるという京都に自分たちを戻してほしい」とお願いをしているのです。
そのお祈りは仏様に通じたのですか?
願いは通じて、作者が13歳のときに父の任期が終わり、一家は京都へ帰ることになるよ。9月3日に常陸の国を出発します。
その時、作者(女の子)は長年遊び慣れた場所を取り壊します(一説には外から見えるよう家具を取り外して片付けます)。
⑧日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに
→(訳)太陽が沈もうとするころで、たいそうもの寂しく霧が一面に立ちこめているころに
作者(女の子)が、常陸の国の住んでいた場所を出て、京都に戻るときの外の様子を表しています。「日の入り際」とあるので、「日が沈むころ」つまり夕方6時くらいでしょうか。「入り際の」の「の」は同格を表す格助詞「の」です。同格の「の」は以下で詳しく説明しています。
ここは、「日の入り際」と「いとすごく霧りわたりたる」が同じ内容を表していますので、「わたりたる」の後に「際」を補って、「日の入り際で、とても「すごく霧りわた」っている際」とまずは理解します。そうすると、「すごく」「霧りわたり」の意味を次に知る必要がありそうです。「すごし」と「わたる」は重要古語です。
すごし
「すごし」(形・ク活)
1もの寂しい/恐ろしい
2恐ろしいくらいすぐれている
「すごし」は現代語でもよく使います。現代語の「すごい」は「程度が甚だしい」ことをどのような場面でも使いますが、もともとこの語は「はなはだしい衝撃を与えるほどのぞっとするような感じ」を表します。ですので、「ぞっとするほど」どうなのかを考えます。第一に覚えておくのは「もの寂しい」です。ここでもその意味で通じます。
わたる
「わたる」(動・ラ四)
1過ぎる。通る。行く。来る。移る。
2年月が過ぎる。年月を送る。
3(動詞の連用形の下に付いて)ずっと…続ける。一面に…(する)。
「わたる」は「ある一定の空間・時間をこえて他に及ぶ」という意味の語です。現代語とそれほど大きな差はないので、文章で出てきてもなんとなく意味は理解できそうな語です。ただ、動詞について、「〜わたる」となったときには、「ずっと〜(し)続ける」や「一面に〜(する)」という意味を持つので、こちらは覚えておいた方がよいでしょう。今回もこの「一面に〜(する)」という意味になり、「すごく霧りわたりたる」は「もの寂しく霧が一面に立ちこめている」と解釈できます。
そんなもの寂しい雰囲気の中で作者一行は常陸の国をあとにします。
ふと住んでいた家の方を見ると、以前お祈りし続けた薬師仏がそのままの状態で残っています。薬師仏をそのまま置いて京都に帰ることが悲しくて・・・
⑨人知れずうち泣かれぬ
→(訳)人知れず思わず泣いてしまった。
「人知れず」は現代語でも用いますが、「知れ」はラ行下二段活用動詞「知る」の未然形です。四段活用ではないことに注意です。本来四段活用の動詞が下二段化することはいくつかあります。下二段化すると、「受身」のような意味を持ち、「知られる」と訳すことになります。例えば、「かづく(被く)」は四段活用では「褒美をもらう」ですが、下二段活用では「褒美をもらわれる」つまり「褒美を与える」となります。よって、「人知れず」は「人に知られず」となります。
古文を読んでいるとよく「うち〜」というのが出てきます。これは語の調子を整えたり、強調したりする語です。私はよく( )でくくるように指示します。訳さなくても文意は通じるので、急いで読むときは無視しても問題ありません。あえて訳すなら直後の「泣く」を少し強調して「思わず」などとしておけばよいでしょう。
次に「泣かれぬ」です。これは「れ」と「ぬ」の助動詞の意味が問題になります。結論からいうと、「れ」は自発を表す助動詞「る」の連用形、「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形です。助動詞「る」は現代語の「れる」(られる)で、受身・尊敬・自発・可能を表す語です。この4つの意味は文章の流れからどれかを選択する必要があるのですが、直前が「泣く」のときは「自発」になる可能性が高いです。それは、「泣く」という動作が強い意志によるものではなく、自然と出てくるものだからです。(このあたりの意味の見分け方のポイントはこちらをご覧ください)また、「ぬ」は終止形であり、場面から考えても打消は考えにくい(「泣かなかった」では場面に合わない)ので、完了の助動詞「ぬ」だと考えてよいでしょう。「思わず泣いてしまった」と訳せることがわかります。
作者(女の子)が泣いているのはどのような心情からくるのでしょうか。
例えばこのようなことが考えられます。
・仏を置いていかねばならない悲しさ
・住み慣れた土地を離れる寂しさ
など、作者に涙を流させるような感情が込み上げてきているのでしょう。京都に帰って物語が読める期待よりも、いまは別れの悲しさ・寂しさが強くなっているのですね。やはりどんなにこの先に明るい未来が待っていようとも、別れというのはつらいものです。そんなことを改めて教えてくれる文章でした。
テスト対策 第2回
『東路の道の果て』の後半部において、テストに出そうな内容にできるだけ絞ってお話しましょう。
本文の確認
テスト直前でもすべきことの基本は、「本文を読むこと」です。これまで学習した内容をしっかり思い出しながら読みましょう。「テスト対策」はあえてふりがなをつけていません。不安な場合は、このページの上部「本文を読む」で確認してください。
いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げ給ひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せ給へ。」と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所に移る。
年ごろ遊び慣れつる所をあらはにこほち散らして、立ち騒ぎて、日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを、見捨て奉る、かなしくて、人知れずうち泣かれぬ。
読みで問われやすい語
「候ふ」「額」です。「さぶらう」「ぬか」と答えるのが無難でしょう。「候ふ」は女性の文章なので「そうろう」では減点される可能性が高いです。「額」は、私が出題者なら「ひらがな2字で答えよ」と書きますが、なくても「ぬか」と答えましょう。
あらすじの確認
・等身大の薬師仏を作って、上京して物語が読めるように祈り続ける
・十三歳のときに、念願かなって京都に戻ることになる
・出発時、長年過ごした家や遊び場、置いていく薬師仏を見ると、悲しくて人知れず涙を流す
出題ポイント
以下の3項目が何も見ずに訳すことができるか。確認してください。
- いみじく心もとなきままに
- 日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに
- 人知れずうち泣かれぬ
いみじく心もとなきままに
《出題ポイント!》
「いみじく」の意味
「心もとなき」の意味
「ままに」の意味
上記3つをまとめて、訳出する
「作者が読みたい物語を、姉や継母が語って聞かせてくれるが、すべてを語ってくれるわけではない」という趣旨の文章からの流れです。欲しい情報が手に入らない作者の思いが現れています。ここを理解するためには、「いみじく」「心もとなき」「ままに」のそれぞれの語の意味が分かる必要があります。「いみじ」は「程度が甚だしい」ことを表す語で、下に形容詞が続いているので、「たいそう/非常に」という意味でよいでしょう。
次に「心もとなし」という単語です。この語は、「1じれったい/待ち遠しい 2不安だ/気がかりだ
3ぼんやりしている/はっきりしない」という意味を持ちます。もともと「心がやたらに動きまわって落ち着かない感じ」を表す語なので、「待ち遠しくて心がいらだつ」という意味の「じれったい」が第一にきます。そこから2や3の意味も出てきます。ここでは、「物語の続きが知りたいけど、それを手に入れられずにじれったい」という意味になります。また、「ままに」は第1回で詳しくお話したので、ここでは、「〜ので」という意味になることだけ示しておきます。
以上をまとめると、「たいそうじれったいので」という訳になります。
日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに
《出題ポイント!》
「日の入り際」とは何時ころを指すか
「日の入り際の」の「の」の働き
「すごく」の意味
「霧りわたる」の意味
「すごく霧りわたりたるに」の訳出
→(訳)太陽が沈もうとするころで、たいそうもの寂しく霧が一面に立ちこめているころに
作者(女の子)が、常陸の国の住んでいた場所を出て、京都に戻るときの外の様子を表しています。「日の入り際」は「日が沈むころ」を指します。本文に九月三日(現在の十月上旬)とあるので、夕方6時くらいでしょうか。「入り際の」の「の」は同格を表す格助詞「の」です。ここは、「日の入り際」と「いとすごく霧りわたりたる」が同じ内容を表していますので、「わたりたる」の後に「際」を補って、「日の入り際で、とても「すごく霧りわた」っている際」とまずは理解します。
次に、「すごく」「霧りわたり」の意味を次に知る必要がありそうです。「すごし」は「1もの寂しい/恐ろしい 2恐ろしいくらいすぐれている」の意味を表します。現代語の「すごい」は「程度が甚だしい」ことをどのような場面でも使いますが、もともとこの語は「はなはだしい衝撃を与えるほどのぞっとするような感じ」を表します。ですので、「ぞっとするほど」どうなのかを考えます。第一に覚えておく「すごし」の意味は「もの寂しい」です。ここでもその意味で通じます。
「わたる」は「ある一定の空間・時間をこえて他に及ぶ」という意味の語です。「通る、行く、年月がすぎる」など、現代語とそれほど大きな差はないので、文章で出てきてもなんとなく意味は理解できそうな語です。ただ、動詞について、「〜わたる」となったときには、「ずっと〜(し)続ける」や「一面に〜(する)」という意味を持つので、こちらは覚えておいた方がよいでしょう。今回もこの「一面に〜(する)」という意味になり、「すごく霧りわたりたるに」は「もの寂しく霧が一面に立ちこめているところに」と解釈できます。
そんなもの寂しい雰囲気の中で作者一行は常陸の国をあとにします。
ふと住んでいた家の方を見ると、以前お祈りし続けた薬師仏がそのままの状態で残っています。薬師仏をそのまま置いて京都に帰ることが悲しくて・・・
⑨人知れずうち泣かれぬ
《出題ポイント!》
「れ」「ぬ」の文法的意味
「うち泣かれぬ」の訳出
→(訳)人知れず思わず泣いてしまった。
「人知れず」は現代語でも用いますが、「人に知られず」という意味です。現代語訳でも「人知れず」で構いません。
古文を読んでいるとよく「うち〜」というのが出てきます。これは語の調子を整えたり、強調したりする語です。私はよく( )でくくるように指示します。訳さなくても文意は通じるので、無理に訳す必要はありません。
次に「泣かれぬ」です。これは「れ」と「ぬ」の助動詞の意味が問題になります。結論からいうと、「れ」は自発を表す助動詞「る」の連用形、「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形です。助動詞「る」は現代語の「れる」(られる)で、受身・尊敬・自発・可能を表す語です。この4つの意味は文章の流れからどれかを選択する必要があるのですが、直前が「泣く」のときは「自発」になる可能性が高いです。また、「ぬ」は終止形であり、場面から考えても打消は考えにくい(「泣かなかった」では場面に合わない)ので、完了の助動詞「ぬ」だと考えてよいでしょう。「思わず泣いてしまった」と訳せることがわかります。
この作者(女の子)が泣いているのはどのような心情からくるのでしょうか。
例えばこのようなことが考えられます。
・仏を置いていかねばならない悲しさ
・住み慣れた土地を離れる寂しさ
など、作者に涙を流させるような感情が込み上げてきているのでしょう。京都に帰って物語が読める期待よりも、いまは別れの悲しさ・寂しさが強くなっているのですね。
文学史・文学作品の確認
今回の出典である『更級日記』については、第1回をご覧ください。
文法の確認
今回は助動詞の確認です。助動詞のまとめは以下をご覧ください。
太青字の助動詞を文法的に説明しなさい。なお、文法的に説明するとは、《例》のように答えることである。
《例》過去の助動詞「き」の連体形
いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げ給ひて、物語の多く候ふ①なる、ある限り見せ給へ。」と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上ら②むとて、九月三日門出して、いまたちといふ所に移る。
年ごろ遊び慣れ③つる所をあらはにこほち散らして、立ち騒ぎて、日の入り際のいとすごく霧りわたり④たるに、車に乗るとてうち見やり⑤たれば、人まには参りつつ額をつき⑥し薬師仏の立ち給へ⑦るを、見捨て奉る、かなしくて、人知れ⑧ずうち泣か⑨れ⑩ぬ。
【解答】
①伝聞の助動詞「なり」の連体形
②意志の助動詞「む」の終止形
③完了の助動詞「つ」の連体形
④存続の助動詞「たり」の連体形
⑤完了(存続)の助動詞「たり」の已然形
⑥過去の助動詞「き」の連体形
⑦存続の助動詞「り」の連体形
⑧打消の助動詞「ず」の連用形
⑨自発の助動詞「る」の連用形
⑩完了の助動詞「ぬ」の終止形
おわりに
今回は「東路の道の果て」の後半部をお話しました。古文の授業では「東路の道の果て」を読んだ後に、「源氏の五十余巻」という題名で、作者が『源氏物語』を手に入れて有頂天になる話を読むことが多いです。その話はまたいつかお話しようと思います。では、また次回お会いしましょう。
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