「東路の道の果て」『更級日記』予習・解説編 第1回

日記・随筆

はじめに

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生徒
生徒

先生、『更級日記』って、女の子が『源氏物語』を読みたい読みたいって言っている日記ですよね。

先生
先生

よく知っているね。じゃあ、それをふまえて実際の文章に触れていこう!今回は、田舎に住んでいる作者が『源氏物語』が読みたいと仏に願う冒頭のシーンを読んでいくよ。

『更級日記』について

 今回は『更級日記』の冒頭部分です。多くの教科書が「東路の道の果て」という題名で載せています。まずは、「更級日記」について、簡単に説明しておきましょう。

『更級日記』は平安時代中期、11世紀中頃に成立した「平安仮名日記文学」の一つです。作者菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ)は、下記に示す『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母の姪にあたります。「仮名日記」については以前、『土佐日記』について話しましたので、『蜻蛉日記』も含めて、主な平安時代の仮名日記文学について挙げておきます。

では、『更級日記』に戻ります。この作品は、「日記」とはありますが、ある特定の時期にまとめて書かれたものです。特定の時期というのは作者の晩年です。「おばあちゃんになってから、自分の若い時を思い出して自分の歩んできた人生を書いたもの」というのが分かりやすいでしょうか。少女時代は『源氏物語』に憧れて、読みたいと仏に願い、実際に手にすることができた喜びなどが書かれます。『源氏物語』のヒロインたちのように自分も雅な世界で華やかに生きていく理想を頭に描きますが、その後は厳しい現実を知っていくことになります。仲のよかった継母との別れや、姉や乳母との死別によって厳しい現実を見たこと、宮仕えは行ったもののその世界での苦悩の日々を過ごしたこと、30代で結婚して子どもを設けたが夫は単身赴任で離れて過ごすことが多かったこと、その夫にも先立たれたしまったこと、子どもたちも独立して次第に孤独になっていったこと、などを経験して晩年は仏にすがる日々になります。以上が、簡単な『更級日記』の紹介です。

「東路の道の果て」について 第1回

では、始めましょう!することはいつも通り以下の3つです。

1本文を読む
2登場人物の確認
3内容を簡単に理解

今回は日記であり、自分のことが中心なので、登場人物の確認は行いません。本文には物語を話してくれる「姉」「継母」が出てきます。この人間関係は④「(あね)(まま)(はは)などやうの(ひと)(びと)」で詳しく解説しています。

本文を読む

 何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。特に初めて読むときは、意味調べはせずに読んでみましょう。そのなかで誰がいて、どのようなことを言っているか、どのような行動をしているかを考えていきます。

 (あづま)()(みち)()てよりもなほ(おく)つかたに()()でたる(ひと)、いかばかりかはあやしかりけむをいかに(おも)(はじ)めけることにか()(なか)(もの)(がたり)といふもののあんなるをいかで()ばや(おも)ひつつ、つれづれなる(ひる)()(よひ)()などに、(あね)(まま)(はは)などやうの(ひと)(びと)、その(もの)(がたり)、かの(もの)(がたり)(ひかる)(げん)()のあるやうなど、ところどころ(かた)るを()くに、いとどゆかしさまされどわが(おも)ふままに、そらにいかでかおぼえ(かた)らむ。いみじく(こころ)もとなきままに、(とう)(しん)(やく)()(ぼとけ)(つく)りて、()(あら)ひなどして、(ひと)まにみそかに()りつつ、「(きやう)にとく()(たま)ひて、(もの)(がたり)(おほ)(さぶら)ふなる、ある(かぎ)()(たま)へ。」と、()()てて(ぬか)をつき、(いの)(まう)すほどに、(じふ)(さん)になる(とし)(のぼ)らむとて、九月(ながつき)三日(みか)(かど)()して、いまたちといふ(ところ)(うつ)る。
 (とし)ごろ(あそ)()れつる(ところ)をあらはにこほち()らして、()(さわ)ぎて、()()(ぎは)のいとすごく()りわたりたるに、(くるま)()るとてうち()やりたれば、(ひと)まには(まゐ)りつつ(ぬか)をつきし(やく)()(ぼとけ)()(たま)へるを、()()(たてまつ)る、かなしくて、(ひと)()れずうち()かれぬ。

内容を簡単に理解

・作者は少女時代に常陸の国よりもさらに奥の上総の国に住んでいる田舎者だった
・世の中にある物語というものをなんとかして読みたいと思う
・姉や継母が様々な物語を聞かせてくれるが、すべてを語ってくれるわけではない
ーーー(ここから第2回)ーーー
・等身大の薬師仏を作って、上京して物語が読めるように祈り続ける
・十三歳のときに、念願かなって京都に戻ることになる
・出発時、長年過ごした家や遊び場、置いていく薬師仏を見ると、悲しくて人知れず涙を流す

理解しにくい箇所の解説を見る

以下の6箇所を詳しく解説していきます。

①東路の道の果てよりもなほ奥つかたに生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを

→(訳)東国に向かう道の果てにある常陸の国よりもさらに奥の方で育った人は、どれほど田舎じみていただろうに

『更級日記』冒頭の有名な書き出しです。「東路の道の果て」とは常陸の国(現在の茨城県)を指します。これは「東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりもあひ見てしがな」(東国に向かう道の果てにある常陸の国の帯の「かこ」(帯の留め金)ではないが、「かごとばかり(=ほんの申し訳ばかり)」でもよいから逢いたいものだ)という和歌を踏まえての表現です。作者はそれよりもさらに奥(と当時は考えていた)の上総かずさの国(現在の千葉県の一部)で育ちます。これは、作者の父が国司(上総すけ)に任命されていた関係で、現地に滞在していたことによります。作者はこの上総の地で13歳までの少女時代を過ごすことになります。

では、本文の解説に入ります。ここでの「なほ」は「さらに」という意味になり、「奥つ方」の「つ」は連体修飾語をつくる格助詞で、上代に用いられる当時でも古い語です。接続する体言は、時・方角・場所などを表します。ですので「奥の方」と訳せばよいでしょう。「生ひ出で」は漢字から分かるように「生まれ出る」という意味ですが、作者はここで生まれたわけではないので「成長する/育つ」などと解釈するほうがよいでしょう。「生ひ出でたる」の「たる」は完了の助動詞「たり」の連体形です。

「いかばかり」は現代語でもそれで通じますが、「どれほど」くらいに言い換えてもよいかもしれません。「かは」は反語の場合が多いのですが、ここでは疑問です。形容詞の「あやしかり」は終止形にすると「あやし」です。漢字で「怪しかり」となりますが、直訳すると「奇妙だ/変だ」となります。ここは、都の人から見たら「奇妙だ」ということなので、「田舎じみている」と解釈することが多いようです。「あやしかりけむ」の「けむ」は過去推量の助動詞「けむ」の連体形です。最後に「あやしかりけむを」の「を」は接続助詞の「を」ですが、ここでは逆接を表していますが、訳しにくいので全体を見て「どれほど田舎じみていただろうに」としました。

この部分は、もちろん作者自身の人を言っていますが、「生ひ出でたる人」と自信を第三者的に表現したり、「あやしかりけむ」と過去推量の助動詞「けむ」を使っているところから、現在の自分ではなく昔の自分を回想して書いていることが読み取れます。つまり、『更級日記』の最初の一文は、老後に「自分の少女時代はこんな感じだったなあ」と思い出しながら文章を書いていることが分かる部分でもあるということです。

②いかに思ひ始めけることにか

→(訳)どのように思い始めたことだろうか

古文を読んでいると、「〜にや」「〜にか」で文が終わることによく出会います。これは、後に続く言葉を省略しているのです。一般的には「〜にや。」「〜にか。」は「あらむ」が省略されていると考えてもらったらよいです。今回は直前に「思ひ始めける」と過去の助動詞「けり」(の連体形)が用いられていることから、「あらむ」の「む」の代わりに過去推量の助動詞「けむ」を用いて「ありけむ」を補った方がよいでしょう。そうすると、「いかに思ひ始めけることにかありけむ」となり、上記の訳のようになります。なお、冒頭の「いかに」は疑問詞全般を表しますが、ここでは「どのように」でよいでしょう。
さらにここで一つ知っておいた方がよいことがあります。

「ーーーや ・・・けむ」
「ーーーか ・・・けむ」
「(疑問詞)・・・けむ」
は挿入句を作る

ということです。「『や…けむ』『か…けむ』は挿入句」と覚えてもらったらいいと思います。挿入句とは文の中に文字通り「挿入」した言葉で、省略しても文の読解には影響しません。なので入試問題や模試などで、この部分がわからなければ飛ばして先に進んでも構わないわけです。

作者は世の中に「物語」というものがあることを知ります。

③いかで見ばや

→(訳)なんとかして(物語を)見たい

「いかで」は「いかにして」がつづまった形です。「いかに」が持つ疑問反語の意味の他、「なんとかして」という意味にもなります。

いかで

「いかで」(副詞)
 (疑問)どうして
 (反語)どうして〜か、いや〜ない
  なんとかして(意志や願望を伴う語と呼応する)

今回は3の「なんとかして」という意味になります。それは後の「ばや」に呼応しているからです。「見ばや」の「ばや」自己の希望を表す終助詞で、「〜たい」という意味です。終助詞の「ばや」とよく似た意味の語に「なむ」があります。ここでまとめておきます。

終助詞の「ばや」と「なむ」
未然形+ばや
 =自己の希望(〜たい)
未然形+なむ
 =他に対する願望(〜てほしい)

例えば、自分が勉強して「大学に合格したい」ならば「合格せばや」になるし、先生が生徒に「大学に合格してほしい」となるならば「合格せなむ」となります。
今回は、「自分が物語を見たい」ので「見ばや」となるわけです。

物語を見たいと思っている作者に、退屈な昼間や夜にも家族が物語を話してくれます。

④姉、継母などやうの人々

→(訳)姉や継母などのような人々

ここで、上総の国にいる人物を確認しておきます。
先ほど、父が上総介として赴任していることは述べました。父の赴任先についてきたのが、作者とその姉、そして作者にとっての継母であることが読み取れます。では、作者の実の母はどうなっているのかというと、都に残っています。大体「継母」というのは、主人公をいじめることがお話としては多いのですが、この継母と作者の関係は良好だったようです。

その姉や継母たちが様々な物語を話してくれます。特に、作者は「光源氏の物語」に強く惹かれたようです。

⑤いとどゆかしさまされど

→(訳)いっそう続きを知りたいという気持ちがまさるけれど

ここは「いとど」「ゆかし」が分かることが重要です。

いとど

「いとど」(副)
 =いっそう/ますます/(その上)さらに

「いとど」は「いといと」が転じてできた言葉ですが、「たいそう/非常に」と訳すとたいていは減点されるので注意してください。「いとど」「ますます」と覚えておきましょう

ゆかし

「ゆかし」(形・シク活)
 =〜たい/心が惹かれる

「ゆかし」は「行かし」が語源です。「対象に興味が行く」ので、「心が惹かれる」という意味が出てきます。また、心が惹かれて「見たい」「知りたい」「行きたい」など「〜たい」という意味も現れます。実際「ゆかし」は「〜たい」と覚えておくとよいでしょう。ここは名詞化して「ゆかしさ」となっているので、「続きを知りたい気持ち」などと訳します

⑥わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ

→(訳)自分が思う通りに、どうして物語すべてを暗記して語ってくれるだろうか、いや、語ってはくれない

「ままに」は様々な訳をする言葉です。一度ここでまとめておきます。

ままに

「ままに」(連語)
 1 〜にまかせて
 2 〜に従って 〜につれて
 3 〜とおりに 〜と同じに
 4 〜ので 〜ために
 5 〜やいなや 〜と同時に

1〜3は現代語でも使われますが、4・5は古文で使われる用法なので覚えておく必要があります。ここでの「わが思ふままに」は3の意味で「私が思うとおりに」となります。
「そらに」は文法的には形容動詞「そらなり」の連用形で、「暗記して/そらで覚えて」という意味になります。
「いかでか」先ほどの「いかで」と意味は同じですが、「か」が加わることによって、反語の意味になる可能性が高くなります。⑤の「続きを知りたいけれど」に続くには、「姉たちが暗記して語ってはくれない」となる必要があるので、ここでも反語の意味になります。

作者は物語がとても読みたかったんだね。なんとか実現するために、作者はなにかするのですか?

そうだね。誰だって願いをかなえるためには、何かしようとするよね。じゃあ、それについては、第2回でお話することにしよう。

今回のまとめ

今回は、以下の3箇所について詳しく説明しました。

これらを理解して、最後にもう一度本文を読んでみましょう。

 (あづま)()(みち)()てよりもなほ(おく)つかたに()()でたる(ひと)、いかばかりかはあやしかりけむをいかに(おも)(はじ)めけることにか()(なか)(もの)(がたり)といふもののあんなるをいかで()ばや(おも)ひつつ、つれづれなる(ひる)()(よひ)()などに、(あね)(まま)(はは)などやうの(ひと)(びと)、その(もの)(がたり)、かの(もの)(がたり)(ひかる)(げん)()のあるやうなど、ところどころ(かた)るを()くに、いとどゆかしさまされどわが(おも)ふままに、そらにいかでかおぼえ(かた)らむ

・作者は少女時代に常陸の国よりもさらに奥の上総の国に住んでいる田舎者だった
・世の中にある物語というものをなんとかして読みたいと思う
・姉や継母が様々な物語を聞かせてくれるが、すべてを語ってくれるわけではない

おわりに

今回は「東路の道の果て」の前半部をお話しました。文学史の話から冒頭文の説明へと長い解説が続きました。『更級日記』は入試にもよく出題される文章なので、この解説はじっくり読んでもらいたいと思います。次回は、後半部です。作者がなんとか物語が読めるよう、仏様にお祈りをする場面について詳しく説明していきます。では、また次回お会いしましょう。

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