このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。
はじめに

先生、『土佐日記』って作者は男の人ですよね。どうして「女もする」って書いてあるんですか?



これは、作者が女性になりたかったというわけではなく、仮名文字というものの特性なんだよ。今回は、なぜ作者が女性のふりをしてこの文章を書いたのか、その謎に迫っていこう!
今回は『土佐日記』の冒頭です。教科書には「門出」と書かれているものも多いでしょうか。非常に有名な冒頭文ですので、見たことがある人もいるかもしれません。まずは文章の前に、『土佐日記』についてまとめておきます。下の板書を見てください。


『土佐日記』は平安日記文学の先駆けです。この後女流仮名日記がいくつも出てきます。今回はそこには触れず、『土佐日記』の特徴に注目してください。『土佐日記』は紀貫之という、古今和歌集の撰者の一人が書いた、土佐国(高知県)での国司の任期を終え、都に戻るまでの旅日記です。当時、文字については、仮名は女性が使うものとされ、男性は「真名」つまり漢字を使うとされていたそうです。ですが、様々な気持ちを詳細に書くには漢字よりも仮名の方が都合が良かったので、わざわざ女性のふりをして日記を書きました。というわけで、作者は仮名を用いて日記を書くために、あえて女性のふりをするわけです。土佐日記の冒頭を読むときには、以上の背景知識がどうしても必要になります。
「男もすなる日記」(門出)読解のコツ&現代語訳
古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。
何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。


本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。
簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。
古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。


step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。
本文を読む
何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。


男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。
ある人、県の四年五年はてて、例の事どもみなし終へて、解由など取りて、住む館より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろよくくらべつる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつののしるうちに、夜更けぬ。
二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。藤原のときざね、船路なれど、馬のはなむけす。上中下、酔ひ飽きて、いとあやしく、塩海のほとりにてあざれあへり。
(『土佐日記』より)
文章を読むことができたら、下の「登場人物の確認」「内容を簡単に理解」を読んで、自分の理解と合っていたかを確認します。
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登場人物の確認
日記は、当然自分のことを書いているわけですから、「作者(自分)」が出てくることが大半です。「作者(自分)」を中心にどのような人が関わってくるか、「作者(自分)」がどのような経験をしたかを読み取っていきます。
- 作者(自分)(=ある人)
- かれこれ、知る知らぬ
- 藤原のときざね
「日記を書いている人」は「女」として書かれます。ですので、本当の作者(紀貫之)は「ある人(が)」といかにも自分ではないという書き方になっています。その「作者(紀貫之)」が土佐国を出るときに、多くの人が挨拶や見送りをしに来てくれます。「作者」の他はそのような人たちです。
内容を簡単に理解
- 男が書く日記を女の私も書いてみよう
- 12月21日、午後8時ころ出発 そのことを日記に書く
- ある人(=作者)が国司の任期を終えて土佐国を出ようとする。多くの人が見送りをしてくれる
- 22日、和泉国までの船旅の安全祈願をする 藤原のときざねが餞別を贈る
- 23日、八木のやすのりが餞別を贈る
- 24日、講師(=国分寺の僧)が餞別を贈る
ここは事実の表記にとどめますが、そこでどのようなことがあったのかがこの文章を読み解くポイントになります。それは、次の項目で丁寧にやっていきましょう。
理解しにくい箇所の解説
本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。
- 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり
- それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す
- 日しきりにとかくののしるうちに、夜更けぬ
①男もすなる日記といふものを、女もしてみんとて、するなり
(訳)はこちら(タップで表示)
男も書くとかいう日記というものを、女の私も書いてみようと思って、書くのである。


『土佐日記』は紀貫之が書いた日本初の仮名日記文学です。当時「仮名」は女性が使用するもの、男性は「真名」(=漢字)を使用するものだと考えられていました。当時も男性が日記を書くことはあったのですが、すべて漢字で記され、「記録」的な性質のようなものだったそうです。ですが、紀貫之は「記録」だけでなく、その時感じた様々な気持ちを文章にしたい、そのためには仮名を使って書いたほうがよいと考え、仮名で日記を書くことにしました。しかし、紀貫之も国司という立派な貴族です。世間体というものを考えた結果、女性のふりをして文章を書くことにしたのです。その「自分は女性である」ということを示すために書かれたのがこの文です。
この文は古文文法を学ぶうえでも非常によく出てくる文です。文を見てみると二つの「なり(なる)」があります。この二つは動詞に続いていて活用もあるのでどちらも助動詞です。ただし、「なり(なる)」の直前はどちらもサ変動詞の「す」ですが、前者は終止形、後者は連体形になっています。ということは、接続が異なるので別の助動詞だということになります。結論を言いますと、前者の「なる」は伝聞推定の助動詞(〜そうだ、〜とかいう)、後者の「なり」は断定の助動詞(〜である)になります。このあたりの詳しい説明は助動詞の項目を見てしっかりと確認しておいてください。
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もう一つ助動詞があります。それは「してみん」の「ん」です。撥音便化されていますが、実際は「む」です。「男が日記を書く」から、私も「書こう」となるのは分かりますよね。つまり「ん」は意志を表す助動詞です。
最後に、ここではサ変動詞「す」が3回も使われていますが、「日記をする」とは現代では言わないので、すべて「日記を書く」と訳した方がすっきりとします。
②それの年の、十二月の、二十日余り一日の日の、戌の時に門出す
(訳)はこちら(タップで表示)
その年の、十二月二十一日午後八時頃に出発する。
「それの年」とは、「土佐日記」が書かれる前年の西暦934年のことです。「十二月」は「しはす(しわす)」と読みます。旧暦読みですね。これを「月の異名」といって、下の板書に乗せていますので、せめてどの月がどのように言うか、例えば「9月は長月」と答えられるようにしてください。21日を「二十日余り一日」と表記するので、これは慣れてください。逆に言うと、例えば、本文に「二十五日」とあったら、「はつかあまりいつか」と読むとも言えます。
次に「戌の時」です。「戌」は十二支のひとつですが、十二支をすべて言えますか。


十二支を理解する
「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」
十二支は漢字で書けなくても、せめて読めるようにはなってください。
「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・ゐ」
です。これは、「時刻」と「方角」を表す時に使います。「方角」はまた別の項でお話することとして、今回は「時刻」についてです。現在は一日で時計が何周しますか?もちろん2周ですね。12時間を2周して24時間、これが現在の時計です。ですが、昔は十二支で一日を表していました。つまり干支一つあたりが2時間を表すことになるのです。例えば、「子の時」となれば、深夜0時ころ、「丑の時」は、深夜2時ころ、となるわけです。とすれば、「戌の時」は何時ころを表すことになるでしょうか。「戌」は11番めですから、午後8時(20時)ころになるわけです。数学が得意な人は【2(n−1)】と覚えておいてもよいでしょう。



作者は出発から旅の様子を日記にかきつけることにしました。ある人(実際には作者)が国司の任期を終え、引き継ぎを終えて、解由状を取ってから、住まいを出て船乗り場へ行きます。知っている者も知らない者も見送りをしてくれる。特に親しく交流してきた者とは別れ難く思っています。
《③までの本文解釈と現代語訳》
では、③までの文章を解釈してみましょう。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。
ある人、県の四年五年はてて、例の事どもみなし終へて、解由など取りて、住む館より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろよくくらべつる人々なむ、別れ難く思ひて、
(訳)はこちら(タップで表示)
男も書くとかいう日記というものを、女の私も書いてみようと思って、書くのである。
その年の、十二月二十一日午後八時頃に、出発する。。その様子を少しばかりものに書きつける。
ある人が、国司の四、五年(の任期)が終わって、いつもの(国司交代の事務引き継ぎ)のことなどをすべて終えて、解由状などを受け取って、住んでいた官舎から出て、船に乗るはずの場所へ移る。あの人もこの人も、知っている人も知らない人も、見送りをする。数年来とても親しく付き合ってきた人々は、別れがたく思って、
③日しきりに、とかくしつつののしるうちに、夜ふけぬ。
(訳)はこちら(タップで表示)
一日中、あれこれと大騒ぎするうちに、夜が更けた。


「日しきりに」は「一日中」でよいでしょう。
「とかくしつつ」は、単語の区切り方が難しいかもしれません。「と」「かく」「し」「つつ」です。「とかく」は一つの副詞として考えることも多く、「あれこれ」と訳します。
また、「ののしる」は重要古語ですが、一つの説として、「の」が擬音をあらわすとも考えられています。「のー(ん)」「のー(ん)」と大きな音がするというところからこの語ができたという説です。実際は以下のように覚えましょう。
「ののしる」(動・ラ四)
1大声で騒ぐ
2(さかんに)うわさされる、評判になる
「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形です。
終わりに(テスト対策へ)
テスト対策へ
今回は、『土佐日記』冒頭「門出」の前半部についてお話しました。一通り学習を終えたら、今度はテスト対策編もご覧ください。


お話の続き(第2回について)
文章はこの後も続きます。この後の文は作者紀貫之のユーモアが表れている箇所になっていきます。この続きは会員限定記事になります。続きの記事の閲覧を希望される人は下記の「LINE友だち追加」をしてください。
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