「木曽殿の最期」『平家物語』読解のコツ&現代語訳

 このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。

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ブログの性質上、理解していくためにはどうしても文章を「自分で」「丁寧に」読んで行く必要があります。「自分一人で文章を読む」よりも、きちんと先生に文章の内容を説明をしてほしい、先生に読解を伴走してほしいという人は、以下の個別指導塾をオススメします。まずは資料請求をして、自分に合うかどうかを確認してみましょう。詳しくは下のバナーをタップ!

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目次

はじめに

『平家物語』って、源氏と平家の戦いの話ですよね。ということは一の谷とか、屋島とか、壇ノ浦とかの戦いが書いてあるのですか?

そうだよ。源氏と平家の戦いは小学生でも中学生でも歴史の授業で勉強するから、知っている人も多いよね。今回は鎌倉幕府の初代将軍源頼朝の異母兄弟である、木曽義仲(源義仲)の最後の戦いについてお話していこう。

今回は『平家物語』の一節です。多くの教科書が「木曽の最期」や「木曽殿の最期」という題名で載せています。まずは、『平家物語』について知ったあとで、読解のコツをお話していきます。

『平家物語』について

まずは、『平家物語』についての説明から始めます。『平家物語』は冒頭文が非常に有名です。ぜひ声に出して読んでください。できれば暗誦してもらいたい文章ですね。

()(をん)(しやう)(じや)(かね)(こゑ)(しよ)(ぎやう)()(じやう)(ひび)きあり。(しや)()(さう)(じゆ)(はな)(いろ)(じやう)(しや)(ひつ)(すい)のことわりをあらはす。おごれる(ひと)(ひさ)しからず。ただ(はる)()(ゆめ)のごとし。たけき(もの)(つひ)には(ほろ)びぬ。ひとへに(かぜ)(まへ)(ちり)(おな)じ。

(訳)はこちら(タップで表示)

(訳)祇園精舎の鐘の音には、すべてのものは無常であるという(真理の)響きがある。(釈迦が入滅したとき白色に変じたと言われる)娑羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を表す。おごり高ぶっている人も長くはつづかない。(それは)まったく春の夜の夢のよう(に短くてはかないもの)である。勢いが盛んな者もついには滅んでしまった。(それは)まったく(吹く)風の前の塵と同じ(ように、はかなく消えてしまうの)である。

ここからも分かるように、『平家物語』は、平家一門の盛衰を描く軍記物語(戦記物語)です。「諸行無常」、「盛者必衰」という仏教的無常観に基づいて平家の権勢の興隆もやがて衰えていくことを語っています。原作者・成立年代は分かっていませんが,13世紀の末には盲目の琵琶法師たちによって語り伝えられ、それが徐々に加筆・修正を加えられて今の形になったと考えられています。ただ、『徒然草』の中で、信濃前司行長しなののぜんじゆきながが書いたとあります。

琵琶法師が話を語る形式のため、文章は口語体で読みやすく、音便も多く用いられています。また、現代の言葉と同じように、漢語と和語を融合させた文体です。これを「和漢混淆こんこう」といいます。以上が簡単な『平家物語』の説明です。

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「木曽殿の最期」読解のコツ&現代語訳

 古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。

STEP
本文を読む

何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。

STEP
登場人物・場面を確認する

本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。

STEP
内容を大まかに把握し、説明する

簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。

STEP
理解しにくい箇所の解説を見る

古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。

STEP
改めて本文を解釈する

step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。

本文を読む

  何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。今回は特に登場人物をしっかり確認し、それぞれがどのようなことを言っているか、どのような行動をしているかを考えていきましょう。

『平家物語』は口語体のため、読みやすいですが、文章は非常に長くなります。

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 ()()()(まの)(かみ)、その()(さう)(ぞく)には、(あか)()(にしき)(ひた)(たれ)に、(から)(あや)をどしの(よろひ)()て、(くは)(がた)うつたる(かぶと)()しめ、いかものづくりの(おほ)()()はき、(いし)()ちの()の、その()のいくさに()(せう)(せう)(のこ)つたるを(かしら)(だか)()ひなし、(しげ)(どう)(ゆみ)()つて、()こゆる()()(おに)(あし)()といふ(うま)の、きはめて(ふと)うたくましいに、()(ぶく)(りん)(くら)()いてぞ()つたりける。(あぶみ)ふんばり()ちあがり、(だい)(おん)(じやう)をあげて()のりけるは、「(むかし)()きけんものを、()()(くわん)(じや)(いま)()るらん、()(まの)(かみ)(けん)()(よの)(かみ)(あさ)()(しやう)(ぐん)(みなもとの)(よし)(なか)ぞや。()()(いち)(でうの)()(らう)とこそ()け。(たが)ひによい(かたき)ぞ。(よし)(なか)()つて(ひやう)(ゑの)(すけ)()せよや。」とて、をめいて()く。(いち)(でうの)()(らう)、「ただ(いま)()のるは(たい)(しやう)(ぐん)ぞ。(あま)すなものども、()らすな(わか)(たう)()てや。」とて、(おほ)(ぜい)(なか)()りこめて、(われ)()つとらんとぞ(すす)みける。()()(さん)(びやく)()()(ろく)(せん)()()(なか)(たて)さま、(よこ)さま、()()()(じふ)(もん)()()()つて、(うし)ろへつつと()でたれば、()(じつ)()ばかりになりにけり。そこを(やぶ)つて()くほどに、()(ひの)()(らう)(さね)(ひら)()(せん)()()でささへたり。それをも(やぶ)つて()くほどに、あそこでは()()(ひやつ)()、ここでは()(さん)(びやつ)()(ひやく)()()(じつ)()(ひやつ)()ばかりが(なか)()()()()()くほどに、(しゆう)(じゆう)()()にぞなりにける。  ()()がうちまで(ともゑ)()たれざりけり。()()殿(どの)、「おのれは()()う、(をんな)なれば、いづちへも()け。(われ)()()にせんと(おも)ふなり。もし(ひと)()にかからば、()(がい)をせんずれば、()()殿(どの)(さい)()のいくさに、(をんな)()せられたりけりなんど()はれんこともしかるべからず。」とのたまひけれども、なほ()ちも()かざりけるが、あまりに()はれたてまつて、「あつぱれ、よからう(かたき)がな。(さい)()のいくさして()せたてまつらん。」とてひかへたるところに、武蔵(むさし)(くに)()こえたる(だい)(ぢから)(おん)(だの)(はち)(らう)(もろ)(しげ)(さん)(じつ)()ばかりで()できたり。(ともゑ)その(なか)()()り、(おん)(だの)(はち)(らう)()(なら)べて、むずととつて()()とし、わが()つたる(くら)(まへ)()()しつけて、ちつとも(はたら)かさず、(くび)ねぢ()つて()ててんげり。その(のち)(もの)(のぐ)()()て、(とう)(ごく)(かた)()ちぞ()く。()(づかの)()(らう)()()にす。()(づかの)(べつ)(たう)()ちにけり。(『平家物語』より)

場面を理解するために

 このお話を理解するためには、木曽義仲(源義仲・木曽殿)について知る必要があります。
木曽義仲は、1180年に挙兵し平教盛のりもりの追討軍を破って北陸を平定します。その後、1183年に倶利伽羅峠で平維盛これもりに大勝して入京し、後白河法皇から平家追討の名を受けて、平家を都落ちさせます。しかし、入京後の義仲軍は横暴な行為で京都の人々や朝廷・貴族の反発を招き、ついには後白河法皇から追討の命令を下されてしまいます。1184年、後白河法皇と手を組んだ源頼朝によって派遣された、源範頼・義経軍との宇治川の戦いに敗れて、義仲は京都を出ていきます。敗走した義仲は琵琶湖畔大津に向かいますが、その後どうなったのか、それがここからの文章に描かれています。以上、木曽義仲について、本文に関係することを中心にお話しました。詳しくはぜひ自分で調べてみてください。

登場人物の確認

  • 木曽殿(馬頭兼伊予守、朝日の将軍、源義)→主人公
  • 甲斐一条次郎(源忠頼ただより)→義仲に対峙
  • 土肥次郎実平→義仲に対峙
  • →義仲の寵愛を受けた女性 武勇にすぐれる
  • 御田八郎師重→巴にあっさり殺される
  • 手塚太郎、塚別当→義仲の家来、太郎は敗死、別当は負傷して戦場を離脱

内容を簡単に理解

  • 木曽義仲(木曽殿)の武器や鎧、乗っている馬などの説明
  • 木曽殿が名乗りを挙げて、相手方に進軍する
  • 甲斐一郎次郎、土肥二郎実平の兵を突破
  • 木曽殿はとうとう残り5騎になる
  • 木曽殿は寵愛する巴に逃げるよう説得する
  • 巴は最後の戦いを仕掛け、東国へ落ちていく

理解しにくい箇所の解説を見る

 本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。

  • 昔は聞きけんものを、木曽の冠者(じや)、今は見るらん
  • 女を具せられたりけりなんど言はれんこともしかるべからず
  • あつぱれ、よからう敵がな

まず、①までの本文を解釈してみましょう。

 (き)(そ)(さ)(まの)(かみ)、その(ひ)(さう)(ぞく)には、(あか)(ぢ)(にしき)(ひた)(たれ)に、(から)(あや)をどしの(よろひ)(き)て、(くは)(がた)うつたる(かぶと)(を)しめ、いかものづくりの(おほ)(だ)(ち)はき、(いし)(う)ちの(や)の、その(ひ)のいくさに(い)(せう)(せう)(のこ)つたるを(かしら)(だか)(お)ひなし、(しげ)(どう)(ゆみ)(も)つて、(き)こゆる(き)(そ)(おに)(あし)(げ)といふ(うま)の、きはめて(ふと)うたくましいに、(き)(ぶく)(りん)(くら)(お)いてぞ(の)つたりける。(あぶみ)ふんばり(た)ちあがり、(だい)(おん)(じやう)をあげて(な)のりけるは、

(訳)はこちら(タップで表示)

 木曽左馬頭は、その日の装束には、赤地の錦を織り出した鎧直垂ひたたれの上に、唐綾おどし(=中国渡来の綾織の絹を紐状にして、鉄の鎧の材料の小板をつづっている)の鎧を着て、鍬形くわがた(=金属の飾り)を打ってある甲の緒を締め、いかめしいつくりの大太刀を腰につけ、石打の矢で、その日の合戦で射て少し残っている矢を頭の上高くに矢筈やはず(=矢の一端の弦にかける部分)がくるように背負い、滋籐しげどう(=黒漆を塗り、その上に籐を巻きつける)の弓を持って、名高い木曽の鬼葦毛あしげという馬で、非常に太くたくましい馬に、金覆輪きんぷくりん(=縁を金色の金具で飾る)くらを置いて乗っていた。あぶみ(=足を踏みかける馬具)をふんばって立ち上がり、大声をあげて名乗ったことには、

冒頭に服装の記述が細かく表現しているのは、木曽義仲の大将軍としての最期を美しく描くための仕掛けです。

①昔は聞きけんものを、木曽の冠者、今は見るらん

(訳)はこちら(タップで表示)

→(訳)昔は聞いたであろうが、木曽の冠者(という勇猛な少年のこと)を、そして今は(その姿をお前たちは目の前に)見ているだろう

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この部分は、義仲が、敵である甲斐の一条次郎に向かって、威勢よく自分が大将の木曽義仲であることを宣言しているシーンです。『平家物語』は琵琶法師による「語りもの」であるため、音便が多用されていますが、ここでは、「けん」「らん」と撥音便が現れています。

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文法的には、「聞きけん」の「けん」が過去推量の助動詞「けむ」の連体形、「ものを」が逆接の接続助詞(〜が/〜のに)、「見るらん」の「らん」が現在推量の助動詞「らむ」の終止形です。「昔」と「けん」、「今」と「らん」を対応させているだけでなく、「聞く」と「見る」も対応させています。つまり、「昔は聞きけん」と「今は見るらん」が対句のような働きをしていて、文章に彩りを与えているわけです。

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ここで、②までの文章を解釈してみましょう。

(むかし)(き)きけんものを、(き)(そ)(くわん)(じや)(いま)(み)るらん、(さ)(まの)(かみ)(けん)(い)(よの)(かみ)(あさ)(ひ)(しやう)(ぐん)(みなもとの)(よし)(なか)ぞや。(か)(ひ)(いち)(でうの)(じ)(らう)とこそ(き)け。(たが)ひによい(かたき)ぞ。(よし)(なか)(う)つて(ひやう)(ゑの)(すけ)(み)せよや。」とて、をめいて(か)く。(いち)(でうの)(じ)(らう)、「ただ(いま)(な)のるは(たい)(しやう)(ぐん)ぞ。(あま)すなものども、(も)らすな(わか)(たう)(う)てや。」とて、(おほ)(ぜい)(なか)(と)りこめて、(われ)(う)つとらんとぞ(すす)みける。(き)(そ)(さん)(びやく)(よ)(き)(ろく)(せん)(よ)(き)(なか)(たて)さま、(よこ)さま、(く)(も)(で)(じふ)(もん)(じ)(か)(わ)つて、(うし)ろへつつと(い)でたれば、(ご)(じつ)(き)ばかりになりにけり。そこを(やぶ)つて(ゆ)くほどに、(と)(ひの)(じ)(らう)(さね)(ひら)(に)(せん)(よ)(き)でささへたり。それをも(やぶ)つて(ゆ)くほどに、あそこでは(し)(ご)(ひやつ)(き)、ここでは(に)(さん)(びやつ)(き)(ひやく)(し)(ご)(じつ)(き)(ひやつ)(き)ばかりが(なか)(か)(わ)(か)(わ)(ゆ)くほどに、(しゆう)(じゆう)(ご)(き)にぞなりにける。

(訳)はこちら(タップで表示)

(木曽殿)「互いによい相手だぞ。義仲を討って兵衛佐(=源頼朝)に見せよ。」と言って、大声をあげて馬に乗って走る。一条次郎は、「ただ今名のるのは大将軍(=木曽義仲)だぞ。逃がすなものども、討ち漏らすな若い武士たち、討て。」と言って、大勢の中に取り囲んで、『我こそが(義仲を)討ち取ろう』と進んだ。木曽の三百余騎は、(敵の)六千余騎の中を縦に、横に、蜘蛛手のように、十文字に(縦横無尽に)駆け破って、(敵の)背後にさっと抜け出ると、五十騎ほどになってしまった。そこを破って行くうちに、土肥次郎実平が二千余騎で守っていた。それをも破って行くうちに、あちらでは四五百騎、こちらでは二三百騎、百四五十騎、百騎ほどの中を駆け破り駆け破りして行くうちに、主従五騎になってしまった。

 (ご)(き)がうちまで(ともゑ)(う)たれざりけり。(き)(そ)殿(どの)、「おのれは(と)(と)う、(をんな)なれば、いづちへも(ゆ)け。(われ)(う)(じ)にせんと(おも)ふなり。

(訳)はこちら(タップで表示)

 五騎になるまで巴は討たれなかった。木曽殿は、「おまえは早く早く、女なので、どこへでも行け。私は討ち死にしようと思うのだ。

この後、「もし敵の手にかかるならば、自害をしようと思うので、……」と続きます。

②女を具せられたりけりなんど言はれんことも、しかるべからず

(訳)はこちら(タップで表示)

『女を連れていらっしゃったなあ』などと(敵に)言われるようなことも(将軍としての最期としては)ふさわしくない

「具せられたりけり」に、助動詞が3つ連なっています。「られ」が尊敬の助動詞「らる」の連用形、「たり」が完了の助動詞「たり」の連用形、「けり」はここを会話文ととらえて、詠嘆の助動詞「けり」の終止形としました。ここは、相手に後になって「木曽殿は愛人を連れて戦を行っていた」と言われることは武士としては大きな屈辱だと感じている場面です。

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次に「言はれんことも」にも、助動詞が2つ連なっています。「れ」は受身の助動詞「る」の未然形、「ん」が婉曲の助動詞「む」の連体形です。よって、「言われるようなことも」と解釈できます。

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最後に、「しかるべからず」は、「しかるべし」という語に打消の助動詞「ず」がついた形で考えます。

「しかるべし」(連語)
 1適当だ ふさわしい
 2りっぱだ すぐれている
 3そうなる運命だ そういう因縁である

今回は1の「ふさわしい」が文に合うと思いますが、特に3の「運命、因縁」という意味をぜひ知っておいてください。古文の世界では、仏教にまつわる話が多く出てきます。仏教思想、特に「輪廻転生」という考え方から、この3のような意味がよく使われます。

以上をまとめると、

「『女を連れていらっしゃったなあ』などと言われるようなこともふさわしくない」

という現代語訳になります。

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それでも巴は去っていきませんでしたが、あまりにも木曽殿に同じことを言われるために、巴は次のようなことを言います。

③あつぱれ、よからう敵がな

(訳)はこちら(タップで表示)

ああ、(木曽殿にお見せするのに)立派な敵がいるといいなあ。

「あつぱれ」は「あはれ」が促音便化したもので、語頭に単独で出てくるときは感動詞となります。賛美・感動して発する語で「ああ」と訳せます。

次に、「よからう敵がな」です。「よからう」はク活用の形容詞「よし」の未然形「よから」に婉曲の助動詞「む」の連体形がついたものです。「む」がウ音便になっていますが、現代語の「(手紙を)書こう」の「う」と同じです。「がな」は終助詞で、自己の願望を表して「…がほしいなあ/…があればなあ」と訳します。

木曽殿に自分のもとを去るように再三言われたので、それを受け入れて最後の戦をして、自分の姿を木曽殿の脳裏に焼き付けようと考えている場面です。巴の悲しみと覚悟が現れている言葉ですね。そこで巴は大力の御田八郎師重という人物を見つけて、あっさり勝利します。その後巴は退場ということになります。

以上を踏まえて、②以降の文章を解釈してみましょう。

「(木曽殿)もし(ひと)(で)にかからば、(じ)(がい)をせんずれば、(き)(そ)殿(どの)(さい)(ご)のいくさに、(をんな)(ぐ)せられたりけりなんど(い)はれんこともしかるべからず。」とのたまひけれども、なほ(お)ちも(ゆ)かざりけるが、あまりに(い)はれたてまつて、「あつぱれ、よからう(かたき)がな。(さい)(ご)のいくさして(み)せたてまつらん。」とてひかへたるところに、武蔵(むさし)(くに)(き)こえたる(だい)(ぢから)(おん)(だの)(はち)(らう)(もろ)(しげ)(さん)(じつ)(き)ばかりで(い)できたり。(ともゑ)その(なか)(か)(い)り、(おん)(だの)(はち)(らう)(お)(なら)べて、むずととつて(ひ)(お)とし、わが(の)つたる(くら)(まへ)(わ)(お)しつけて、ちつとも(はたら)かさず、(くび)ねぢ(き)つて(す)ててんげり。その(のち)(もの)(のぐ)(ぬ)(す)て、(とう)(ごく)(かた)(お)ちぞ(ゆ)く。(て)(づかの)(た)(らう)(う)(じ)にす。(て)(づかの)(べつ)(たう)(お)ちにけり。

(訳)はこちら(タップで表示)

「もし敵の手にかかるならば、自害をしようと思うので、木曽殿が最後のいくさに、『女を連れていらっしゃったなあ』などと言われるようなこともふさわしくない」と(木曽殿は)おっしゃったけれども、(巴は)それでも依然として逃げ落ちていかなかったが、(木曽殿に)あまりに言われ申して、「ああ、(木曽殿にお見せするのに)立派な敵がいるといいなあ。(巴は)最後の戦いをして(木曽殿に)お見せ申し上げよう。」と言って馬を引き止めて待っているところに、武蔵の国で有名な大力、御田八郎師重が、三十騎ほどで現れた。巴はその中に駆け入り、御田八郎に(馬を)強引に並べて、ぐいっと組み付いて引き落とし、自分が乗っている鞍の前輪に押しつけて、少しも身動きさせず、首をひねり切って捨ててしまった。その後、鎧甲を脱ぎ捨てて、東国の方へ落ちていく。(木曽殿の乳母子である)手塚太郎は討ち死にする。手塚別当は落ちていった。

おわりに(テスト対策へ)

テスト対策へ

今回は、『平家物語』の「木曽殿の最後」の前半部についてお話しました。一通り学習を終えたら、今度はテスト対策編もご覧ください。

お話の続き(第2回)について

この後、木曽殿が最期を迎える話は、第2回に続きます。続きの記事の閲覧を希望される人は下記の「会員限定記事の閲覧を希望する」をタップして会員登録(無料)を行ってください。

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