「木曽殿の最期」『平家物語』予習・解説 第3回

物語
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はじめに

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今回は『平家物語』「木曽殿の最期」の第3回です。『平家物語』については第1回の「『平家物語』について」で説明していますので、詳細はそちらをご覧ください。

生徒
生徒

前回は、最後に残った木曽殿と今井兼平とのやりとりが中心だったね。

前回の復習

簡単にまとめると以下のとおりです。

・今井兼平と二人きりになった木曽殿は弱音を吐く
・今井兼平は木曽殿を叱咤激励し、粟津の松原で自害するよう進言する
・木曽殿は今井兼平と一緒に死にたい、同じところで討ち死にすればよいと言う
・今井兼平は、武士が下級兵に殺されるのは恥なので、自害するよう強く進める
・木曽殿は、今井兼平の意見を受け入れる

先生
先生

詳しくは第2回を見てくださいね。

「木曽殿の最期」について 第3回

では、始めましょう!することはいつも通り以下の3つです。

1本文を読む
2登場人物の確認
3内容を簡単に理解

『平家物語』は口語体のため、読みやすいですが、文章は非常に長くなります。今回は第3回めです。

本文を読む

 何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。特に初めて読むときは、意味調べはせずに読んでみましょう。今回は特に登場人物をしっかり確認し、それぞれがどのようなことを言っているか、どのような行動をしているかを考えていきましょう。

 (いま)(ゐの)()(らう)ただ(いつ)()()(じつ)()ばかりが(なか)()()り、(あぶみ)ふんばり()ちあがり、(だい)(おん)(じやう)あげて()のりけるは、「()ごろは(おと)にも()きつらん、(いま)()にも()(たま)へ。()()殿(どの)(おん)乳母(めのと)()(いま)(ゐの)()(らう)(かね)(ひら)(しやう)(ねん)(さん)(じふ)(さん)にまかりなる。さるものありとは(かま)(くら)殿(どの)までもしろしめされたるらんぞ。(かね)(ひら)()つて(げん)(ざん)にいれよ。」とて()(のこ)したる()(すぢ)()を、()しつめ()きつめさんざんに()る。()(しやう)()らず、やにはに(かたき)(はつ)()()()とす。その(のち)(うち)(もの)()いて、あれに()()ひ、これに()()()つてまはるに、(おもて)()はするものぞなき。(ぶん)どりあまたしたりけり。ただ、「()とれや。」とて、(なか)()()め、(あめ)()るやうに()けれども、(よろひ)よければ(うら)かかず、()()()ねば()()はず。
 ()()殿(どの)はただ(いつ)()(あは)()(まつ)(ばら)()(たま)ふが、(しやう)(ぐわつ)()(じふ)(いち)(にち)(いり)(あひ)ばかりのことなるに、(うす)(ごほり)()つたりけり、(ふか)()ありとも()らずして、(うま)をざつとうち()れたれば、(うま)(かしら)()えざりけり。あふれどもあふれども、()てども()てども(はたら)かず。(いま)()(ゆく)()のおぼつかなさに、()(あふ)(たま)へる(うち)(かぶと)を、()(うらの)(いし)(だの)()(らう)(ため)(ひさ)()つかかつて、よつ()いてひやうふつと()る。(いた)()なれば、(まつ)(かう)(うま)(かしら)()てて、うつぶし(たま)へるところに、(いし)()(らう)(どう)()(にん)()()うて、つひに()()殿(どの)(くび)をば()つてんげり。()()(さき)(つらぬ)き、(たか)()()げ、(だい)(おん)(じやう)をあげて、「この()ごろ(につ)(ぽん)(ごく)()こえさせ(たま)ひつる()()殿(どの)をば、()(うらの)(いし)(だの)()(らう)(ため)(ひさ)()ちたてまつたるぞや。」と()のりければ、(いま)(ゐの)()(らう)いくさしけるが、これを()き、「(いま)はたれを(かば)はんとてか、いくさをもすべき。これを()(たま)へ、(とう)(ごく)殿(との)ばら、(につ)(ぽん)(いち)(かう)(もの)()(がい)する()(ほん)。」とて、()()(さき)(くち)(ふく)み、(うま)より(さか)さまに()()ち、(つらぬ)かつてぞ()せにける。
 さてこそ(あは)()のいくさはなかりけれ。

内容を簡単に理解

・木曽殿が去った後、今井兼平は一人で敵に向かって威勢よく名乗りを上げる
・今井兼平は敵に矢を放つ 相手も大量の矢を放つ
・木曽殿は粟津の松原へ駆けるが、馬に乗ったまま土の深い田に入ってしまう
・三浦の石田次郎為久に追いつかれ、矢を射られてしまう
・最期は石田の家来に首をはねられる
・今井兼平は木曽殿の死を耳にして、馬から飛び落ちて自害する

登場人物の確認

第3回の登場人物は以下のとおりです。

木曽殿(馬頭兼伊予守、朝日の将軍、源義)→主人公
今井四郎兼平→義仲の忠臣、兼平の父が義仲を養育した
三浦の石田次郎為久→三浦為継の子孫 家来二人が木曽殿の首をとる

文章の確認

今回は特に詳しく解説する箇所もないので、本文と現代語訳をそれぞれ見ながら内容を確認していきましょう。ところどころ、解説を挟んでいます。

読みやすいので、できるだけ古文で理解しよう!

 (いま)(ゐの)()(らう)ただ(いつ)()()(じつ)()ばかりが(なか)()()り、(あぶみ)ふんばり()ちあがり、(だい)(おん)(じやう)あげて()のりけるは、

→今井四郎はただ一騎、五十騎ほどの(敵の)中に駆け入り、鐙をふんばって立ち上がり、大声をあげて名のったことには、

()ごろは(おと)にも()きつらん、(いま)()にも()(たま)へ。()()殿(どの)(おん)乳母(めのと)()(いま)(ゐの)()(らう)(かね)(ひら)(しやう)(ねん)(さん)(じふ)(さん)にまかりなる。さるものありとは(かま)(くら)殿(どの)までもしろしめされたるらんぞ。(かね)(ひら)()つて(げん)(ざん)にいれよ。」

→「ふだんは(きっと)噂にでも聞いているであろう、今はその目でご覧になれ。(私は)木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、年は三十三歳になり申す。そのような者がいるとは鎌倉殿(頼朝)までもご存じでいらっしゃるだろうよ。私兼平を討ち取って(私の首を鎌倉殿に)ご覧に入れよ。」

「乳母子」とは、「乳母の実の子」を指します。当時、高貴な貴族や武士は、母親が子を直接育てず、同じ年頃の子を持つ家来に育てさせていました。その家来を「乳母」というのですが、「乳母子」と高貴な貴族や武士の子は、本当の兄弟みたいに仲が良く、強い絆で結ばれることが多くあります。
ところで、ここで出てくる助動詞の意味はわかるかな?

「聞きつらん」の「つ」は強意の助動詞、「らん」は現在推量の助動詞でしたね。

そうだね。また、ここには敬語がたくさん使われているよ。「見給へ」の「給へ」は尊敬語の補助動詞、「しろしめす」が「知る」の尊敬語だということだけは覚えておいた方がいいよ。

とて()(のこ)したる()(すぢ)()を、()しつめ()きつめさんざんに()る。()(しやう)()らず、やにはに(かたき)(はつ)()()()とす。その(のち)(うち)(もの)()いて、あれに()()ひ、これに()()()つてまはるに、(おもて)()はするものぞなき。

→と言って射残していた八本の矢を、弓に次々につがえては引き、激しく射る。死んだか生きているかはわからないが、たちまち敵を八騎射落とす。その後刀を抜いて、あちらに馬を走らせて戦い、こちらに馬を走らせて戦い斬って回るが、まともに立ち向かう者はいない。

(ぶん)どりあまたしたりけり。ただ、「()とれや。」とて、(なか)()()め、(あめ)()るやうに()けれども、(よろひ)よければ(うら)かかず()()()ねば()()はず

→敵を討ち取ることを数多くしたのだった。(敵は)ただ、「射殺せ。」と言って、中に取り囲んで、雨が降るように(矢を)射たが、鎧がいいので(矢が)鎧の裏側まで貫通せず、鎧のすき間を射ないので傷も負わない

今井兼平は、ここでも木曽殿の最後の家来らしく、大将を守り戦い抜きます。

 ()()殿(どの)はただ(いつ)()(あは)()(まつ)(ばら)()(たま)ふが、(しやう)(ぐわつ)()(じふ)(いち)(にち)(いり)(あひ)ばかりのことなるに、(うす)(ごほり)()つたりけり、(ふか)()ありとも()らずして、(うま)をざつとうち()れたれば、(うま)(かしら)()えざりけり。

 →木曽殿はただ一騎で、粟津の松原へ馬を走らせなさると、正月二十一日の、夕暮れ時のことである上に、薄氷が張っていた(ので)、深田があるともわからないで、馬をざぶんと乗り入れたので、(深く田に沈んで)馬の頭も見えなくなった。

あふれどもあふれども、()てども()てども(はたら)かず。(いま)()(ゆく)()おぼつかなさに、()(あふ)(たま)へる(うち)(かぶと)を、()(うらの)(いし)(だの)()(らう)(ため)(ひさ)()つかかつて、よつ()いてひやうふつと()る。

→あおってもあおっても、(鞭で)打っても打っても動かない。今井の行方が気がかりで、振り返って仰ぎ見なさった甲の内側を、三浦の石田次郎為久が、追いついて、(弓を)よく引き絞ってひょうふっと射る。

「ひやうふつ」は擬音語で、「ひょうふっ」と訳しますが、矢が飛ぶ音と思ってもらったらいいでしょう。

(いた)()なれば、(まつ)(かう)(うま)(かしら)()てて、うつぶし(たま)へるところに、(いし)()(らう)(どう)()(にん)()()うて、つひに()()殿(どの)(くび)をば()つてんげり。

→(矢が命中し)深い傷なので、甲の前面部を馬の頭に当てて、うつ伏しなさったところに、石田の家来二人が来合わせて、とうとう木曽殿の首を取ってしまった。

「取つてんげり」は「取りてけり」が音便化したものです。「てけり」は説明できますね。

はい。「て」は完了の助動詞「つ」の連用形、「けり」は過去の助動詞「けり」の終止形です。もう分かるようになりました!

()()(さき)(つらぬ)き、(たか)()()げ、(だい)(おん)(じやう)をあげて、「この()ごろ(につ)(ぽん)(ごく)()こえさせ(たま)ひつる()()殿(どの)をば、()(うらの)(いし)(だの)()(らう)(ため)(ひさ)()ちたてまつたるぞや。」と()のりければ、

(首を)太刀の先に貫いて、高く差し上げ、大声をあげて、「この常日頃日本国で評判でいらっしゃった木曽殿を、三浦の石田次郎為久がお討ち申したぞ。」と名のったので、

「聞こえさせ給ひ」は「させ」が尊敬の助動詞「さす」の連用形、「給ひ」が尊敬語の補助動詞二重尊敬になっています。また、「討ちたてまつたる」の「たてまつ(る)」は謙譲語の補助動詞ですね。訳し方は敬語の項目で確認してください。

(いま)(ゐの)()(らう)いくさしけるが、これを()き、「(いま)はたれを(かば)はんとてか、いくさをもすべき。これを()(たま)へ、(とう)(ごく)殿(との)ばら、(につ)(ぽん)(いち)(かう)(もの)()(がい)する()(ほん)。」とて、()()(さき)(くち)(ふく)み、(うま)より(さか)さまに()()ち、(つらぬ)かつてぞ()せにける。

→今井四郎は戦っていたが、これを聞いて、「今となっては、誰をかばおうとして、いくさをしようか、いや、するつもりはない。これをご覧なさい、東国の殿たち、日本一の剛勇の者が自害する手本だ。」と言って、太刀の先を口に含み、馬から逆さまに飛び落ちて、(太刀に)貫かれて死んでしまった。

「庇はんとてか」の「か」反語です。反語は否定の強調で、「ーーか、いや、ーーない」と訳します。

 さてこそ(あは)()のいくさはなかりけれ。

 →そういうわけで粟津のいくさは終わったのである。

最後の一文が『平家物語』らしく、無常観を感じさせるような書き方になっているね。

今回のまとめ

「木曽殿の最期」の中盤部分を解釈していきました。

・木曽殿が去った後、今井兼平は一人で敵に向かって威勢よく名乗りを上げる
・今井兼平は敵に矢を放つ 相手も大量の矢を放つ
・木曽殿は粟津の松原へ駆けるが、馬に乗ったまま土の深い田に入ってしまう
・三浦の石田次郎為久に追いつかれ、矢を射られてしまう
・最期は石田の家来に首をはねられる
・今井兼平は木曽殿の死を耳にして、馬から飛び落ちて自害する

あらすじを大体理解した上で、もう一度本文を読んでみましょう。

 (いま)(ゐの)()(らう)ただ(いつ)()()(じつ)()ばかりが(なか)()()り、(あぶみ)ふんばり()ちあがり、(だい)(おん)(じやう)あげて()のりけるは、「()ごろは(おと)にも()きつらん、(いま)()にも()(たま)へ。()()殿(どの)(おん)乳母(めのと)()(いま)(ゐの)()(らう)(かね)(ひら)(しやう)(ねん)(さん)(じふ)(さん)にまかりなる。さるものありとは(かま)(くら)殿(どの)までもしろしめされたるらんぞ。(かね)(ひら)()つて(げん)(ざん)にいれよ。」とて()(のこ)したる()(すぢ)()を、()しつめ()きつめさんざんに()る。()(しやう)()らず、やにはに(かたき)(はつ)()()()とす。その(のち)(うち)(もの)()いて、あれに()()ひ、これに()()()つてまはるに、(おもて)()はするものぞなき。(ぶん)どりあまたしたりけり。ただ、「()とれや。」とて、(なか)()()め、(あめ)()るやうに()けれども、(よろひ)よければ(うら)かかず、()()()ねば()()はず。
 ()()殿(どの)はただ(いつ)()(あは)()(まつ)(ばら)()(たま)ふが、(しやう)(ぐわつ)()(じふ)(いち)(にち)(いり)(あひ)ばかりのことなるに、(うす)(ごほり)()つたりけり、(ふか)()ありとも()らずして、(うま)をざつとうち()れたれば、(うま)(かしら)()えざりけり。あふれどもあふれども、()てども()てども(はたら)かず。(いま)()(ゆく)()のおぼつかなさに、()(あふ)(たま)へる(うち)(かぶと)を、()(うらの)(いし)(だの)()(らう)(ため)(ひさ)()つかかつて、よつ()いてひやうふつと()る。(いた)()なれば、(まつ)(かう)(うま)(かしら)()てて、うつぶし(たま)へるところに、(いし)()(らう)(どう)()(にん)()()うて、つひに()()殿(どの)(くび)をば()つてんげり。()()(さき)(つらぬ)き、(たか)()()げ、(だい)(おん)(じやう)をあげて、「この()ごろ(につ)(ぽん)(ごく)()こえさせ(たま)ひつる()()殿(どの)をば、()(うらの)(いし)(だの)()(らう)(ため)(ひさ)()ちたてまつたるぞや。」と()のりければ、(いま)(ゐの)()(らう)いくさしけるが、これを()き、「(いま)はたれを(かば)はんとてか、いくさをもすべき。これを()(たま)へ、(とう)(ごく)殿(との)ばら、(につ)(ぽん)(いち)(かう)(もの)()(がい)する()(ほん)。」とて、()()(さき)(くち)(ふく)み、(うま)より(さか)さまに()()ち、(つらぬ)かつてぞ()せにける。
 さてこそ(あは)()のいくさはなかりけれ。

おわりに

今回で「木曽殿の最期」は終わりです。『平家物語』は単なる戦いの記録ではなく、そこに様々な人間模様が現れているのが非常に面白いですね。『平家物語』は様々な入門書や漫画、アニメも作られているので、時間があるときにぜひ見てみてください。アニメはAmazonプライムなどで見ることができますよ。では、またお会いしましょう。

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