「丹波に出雲といふところあり」『徒然草』予習編第2回

読解(予習編)

はじめに

自己紹介はこちら

前回は単語を中心にお話しました。今回は解釈しにくい5箇所を中心にお話していきます。

今回は「徒然草」第136段の第二回です。前回の内容を思い出しながら進んでください。
することは「本文を読む」「人物の確認」「お話の理解」の3つです。その後、重要古語の理解に進みましょう。

本文を読む

 スマホの場合は画面を横にして、前回お話した、重要単語の意味をしっかり思い出しながら、本文をじっくり読んでみましょう。思い出せなかった人は第一回を再度見てください。

登場人物の確認(再度)

 しだのなにがし  聖海上人  
 人あまた  神官

お話を簡単に理解

第一段落
・丹波の国の「出雲」という場所に分霊を写し迎えて社を建てる
・この地を治める「しだのなにがし」が、聖海上人や他にも大勢連れて参拝に行く
第二段落
・神社では、門の側にある「獅子」「狛犬」が後ろを向いて立っている
・上人はその様子を見て何か「ゆゑ」があるのだろうと感心する
・上人はその「故」をその神社の神官に尋ねる
・神官はけしからん悪ガキどもの仕業だと言う

理解しにくい箇所の解説を見る

 古文単語が理解できたら、以下の5箇所が分かれば、ほぼ文章は理解できるはずです。

  • ①いざ、たまへ、出雲拝みに。 かひもちひ召させむ。
  • ②上人なほゆかしがりて、おとなしくもの知りぬべき顔したる神官を呼びて、
  • ③ちと承らばや
  • ④さがなき童べどものつかまつりける、奇怪に候ふことなり
  • ⑤上人の感涙いたづらになりにけり              

丹波の国に「出雲」という所がありました。出雲大社の分霊を移して社を作ったそうです。その社へ領主の「しだのなにがし」が「聖海上人しょうかいしょうにん」等多くの人を誘います。 

①いざ、たまへ、出雲拝みに。 かひもちひ召させむ。

→(訳)さあ、いらっしゃい、出雲へ参拝に参りましょう。ぼたもちをごちそうしますよ。

「いざ、たまへ」はよく出てくる慣用表現で、「さあ、いらっしゃい」と訳します。
「出雲拝みに」は、「参りましょう」と補うと解釈が容易です。
「かひもちひ」は「ぼたもち」のことで、「召す」は「食ふ」の尊敬語で、「召し上がる」です。
「せ」は使役の助動詞「す」の未然形(=〜させる)、「む」は意志の助動詞「む」の終止形(=〜しよう)です。いよいよ助動詞も少しずつ理解できるようになっていきましょう。
【まずは、助動詞とはどういうものかを知りたい人はこちらをご覧ください】
それらを合わせると、「召させむ」は「召し上がらせよう」が直訳になりますが、要するに「ごちそうしよう」ということですね。

みんなで「出雲」に参拝します。それぞれが拝んで、信心を起こし(神を崇め)ます。神社の前には、獅子・狛犬がありますが、なぜか後ろ向きで立っています。それを見て上人は強く感動します。一方、周りの人はそんなこと気にも止めません。上人の非難の声によって、他の人々も後ろ向きの獅子・狛犬に関心を寄せました。一方、上人は……。

②上人なほゆかしがりて、おとなしくもの知りぬべき顔したる神官を呼びて、

→(訳)上人はさらに知りたくなって、落ち着いた雰囲気の、ものを知っていそうな顔をしている神官を呼んで 

「なほ」は「さらに」という意味、「ゆかしがる」は「〜したいと思う」(ここでは「知りたい」)、「おとなし」は「落ち着いた/思慮分別がある」という意味ですが、どちらも第1回で説明済みです。
「ぬべき」は強意の助動詞「ぬ」の終止形と推量の助動詞「べし」の連体形がくっついた形で、「(きっと)〜しそうな」と訳すとうまくいきます。       

③ちと承らばや

→(訳)ちょっとお聞き申し上げたい

「ちと」は「ちょっと」(関西弁ですか?!)、うけたまはる」は「聞く」の謙譲語で、「お聞き申し上げる」と訳します。
「ばや」は助詞なのですが、文末に来るので終助詞と呼ばれるものです。自己の希望を表し、「〜したい」という意味を表します。

神官は、なんて言ったのかな。期待通りの「言われ」があるのかな??

④さがなき童べどものつかまつりける、奇怪に候ふことなり

→(訳)やんちゃな悪ガキどもがいたしたことで、けしからぬことでございます。

「さがなし」は「性質が悪い」「つかまつる」は「〜し申し上げる/いたす」という意味ですが、これらも第1回で説明済みです。「奇怪に候ふ」は大抵の教科書で注がついており「けしからんことでございます」と訳しています。「候ふ」丁寧語の補助動詞で、「です、ます、ございます」という意味です。

神官は獅子・狛犬をもとの位置に直して、去って行っちゃった!

⑤上人の感涙いたづらになりにけり              

→(訳)上人の感動の涙はむだになってしまった

「いたづらなり」は「ムダだ」という意味で、第1回で説明済み。
「にけり」は文法の問題でよく出題されます。割と学習が進んでいる人も「に」が完了の助動詞「ぬ」の連用形だと気づかない人が多いためです。「けり」は過去の助動詞です。訳は2つ合わせて「〜た/〜てしまった」となります。これが今回の話のオチになります。

今回のまとめ

今回は、解釈の難しい5箇所について説明をしていきました。

もう一度、おおまかに話の内容を確認

もう一度、内容を確認しながら本文を読んでみよう!

第一段落
・丹波の国の「出雲」という場所に分霊を写し迎えて社を建てる
・この地を治める「しだのなにがし」が、聖海上人や他にも大勢連れて参拝に行く
第二段落
・神社では、門の側にある「獅子」「狛犬」が後ろを向いて立っている
・上人はその様子を見て何か「ゆゑ」があるのだろうと感心する
・上人はその「故」をその神社の神官に尋ねる
・神官はけしからん悪ガキどもの仕業だと言う

ここで、一つ皆さんに考えてほしいことがあります。

この文章は、結局作者が何を批判しているのでしょうか。ぜひそれを考えてから学校の授業を受けてもらえたらと思います。きっと、あなたの理解は120%深まっていることでしょう。

では、では、授業を受けた後に、復習編も読んでみてください。

追記

いよいよ助動詞が始まりました。助動詞は古典の学習で多くの人がつまずきやすい箇所ですが、ここが理解できると、文章が非常に読みやすくなります。近年の学校の授業では古典文法を体系立てて説明していく時間がありません。そのため、自分で学習しておくように指示が出るのみです。もし、なかなか理解が進まないのであれば、以下の古文文法のページから、一つずつ順番に学習していくことをおすすめします。


コメント

タイトルとURLをコピーしました