「東下り」『伊勢物語』テスト対策

物語

はじめに

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生徒
生徒

先生、今回のテスト範囲は「東下り」なんですけど、長いし和歌が多いしよく分からないんです。どのように対策したらいいですか?

先生
先生

「東下り」は文章が長いけど、内容としては3つに分けられるから、今回はそれぞれを分けてお話しよう!

今回は文章が長く、内容が大きく3つに分かれていますので、3つのパートに分けて行います。ただし、文法問題は一番最後でまとめてやります。

3つのパートに分けて解説しているので、まず最初に全文を掲載します。解説をしている箇所にはリンクを貼っているので、そこから移動してもらってもかまいません。色の付いている語は読みで問われやすい語です。

 むかしをとこありけり。そのをとこをえうなきものにおもひなして、「きやうにはあらじ。あづまかたむべきくにもとめに。」とてきけり。もとよりともとするひと一人ひとり二人ふたりしてきけり。みちれるひともなくて、まどきけり。かはくにやつはしといふところにいたりぬ。そこをやつはしといひけるは、みづかはなれば、はしわたせるによりてなむ、やつはしといひける。そのさはのほとりののかげにりゐて、かれいひひけり。そのさはかきつばたいとおもしろくきたり。それをて、あるひとのいはく、「かきつばたといふいつかみゑて、たびこころをよめ。」とひければ、よめる。
  からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおも
とよめりければ、みなひとかれいひうへなみだとしてほとびにけり。

 きて、駿するくににいたりぬ。やまにいたりて、わがらむとするみちはいとくらほそきに、つたかへでしげり、ものこころぼそく、すずろなるることおもふに、ぎやうひたり。「かかるみちはいかでかいまする。」とふをれば、ひとなりけり。きやうに、そのひとおほんもとにとて、ふみきてつく。
  駿するなるやまべのうつつにもゆめにもひとにあはぬなりけり
 やまれば、つきのつごもりに、ゆきいとしろれり。
  ときらぬやまいつとてか鹿まだらにゆきるらむ
そのやまは、ここにたとへば、やま二十はたちばかりかさげたらむほどして、なりはしほじりのやうになむありける。

 なほきて、武蔵むさしくに下総しもつふさくにとのなかに、いとおほきなるかはあり。それをすみだがはといふ。そのかはのほとりにれゐておもひやれば、かぎりなくとほくもにけるかなとわびへるにわたもり、「はやふねれ。れぬ。」とふに、りてわたらむとするに、みなひとものわびしくて、きやうおもひとなきにしもあらず。さるをりしも、しろとりの、はしあしあかき、しぎおほきさなるみづうへあそびつついをふ。きやうにはえぬとりなれば、みなひとらず。わたもりひければ、「これなむみやこどり。」とふをきて、
  にしはばいざことはむみやこどりわがおもひとはありやなしやと
とよめりければ、ふねこぞりてきにけり。

「東下り」『伊勢物語』その1

「その1」は、「かきつばた」を題した歌を詠んで、乾飯かれいいがふやけるところまでです。

本文を読む

テスト直前でもすべきことの基本は、「本文を読むこと」です。
主人公は誰?なぜ京を出たの?どこにたどり着いたの?何を題にして歌を詠んだの?
そんなことを思い出しながら読んでみてください。

 むかしをとこありけり。そのをとこをえうなきものにおもひなして、「きやうにはあらじ。あづまかたむべきくにもとめに。」とてきけり。もとよりともとするひと一人ひとり二人ふたりしてきけり。みちれるひともなくて、まどきけり。かはくにやつはしといふところにいたりぬ。そこをやつはしといひけるは、みづかはなれば、はしわたせるによりてなむ、やつはしといひける。そのさはのほとりののかげにりゐて、かれいひひけり。そのさはかきつばたいとおもしろくきたり。それをて、あるひとのいはく、「かきつばたといふいつかみゑて、たびこころをよめ。」とひければ、よめる。
  からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおも
とよめりければ、みなひとかれいひうへなみだとしてほとびにけり。

読みで問われやすい語

「蜘蛛手」「乾飯」「五文字」です。「くもで」「かれいい」「いつもじ」ですが、これらは出題確率としてはそれほど高くありません。

あらすじの確認

・「男」が自分の身を(都では)必要のない者だと感じて、友人たち一人二人とともに、都を出て東へ住むべき国を求めて出かける
・道中迷いながらも、三河の国(愛知県東部)八橋やつはしという場所にたどり着く
・「八橋」は蜘蛛の手のような川の形状に橋を8つ架けているからその名前になる
・川のほとりで木の陰に座って乾飯かれいひを食べる
・その沢に「かきつばた」が美しく咲いている
・ある人が「かきつばたの五字を句の上に据えて、旅の心を詠め」という
・和歌を詠む
・皆、感動して乾飯の上に涙を落とし、乾飯はふやけて食べやすくなる

以下の部分が訳せるか確認

以下の項目が何も見ずに訳すことができるか確認してください。

①昔、男ありけり。

《出題ポイント!》
男は誰がモデルか
男はなぜ都を出たのか

「昔、男」は『伊勢物語』の特徴的な書き出しです「男」は「在原業平」がモデルであるということを知っていれば、「恋多き男の色恋沙汰の話」の可能性が高いと話の予想が立てやすくなり、本文を読むのが一段と早くなりますよ。今回は、都での生活がうまくいかずに、自暴自棄になっている「男」の話になっています。

②かきつばたいとおもしろく咲きたり

《出題ポイント!》
「おもしろし」の意味

→(訳)かきつばたがとても美しく咲いていた

「かきつばた」はアヤメ科の植物です。水辺に生えて初夏に花をつけます。

「おもしろし」は重要単語です。漢字で書くと「面白し」ですが、分けて考えてみましょう。「面」は「顔」を表します。「つら」と読むときは現代語でも「顔」の意味ですね。「白し」は「明るい」というイメージを持っている語です。つまり、「見ていると顔が明るくなる」というのがもとの意味です。よって、(気持ちが)明るくなるようなものに対して用いられる形容詞だと分かります。

「面白し」(形・ク活)
 1見ていて心が晴れ晴れする
 2趣深い

ここでは、花に用いられているので、「美しい」などと訳しておくとよいでしょう。

③《和歌》唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

《出題ポイント!》
様々な修辞技法を説明する

→(歌訳)(唐衣を繰り返し着ているうちに着慣れ(てよれよれになってしまっ)たように)慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばる着てしまった旅をしみじみ思うことだ

まずは、修辞技法を一切考えずに、この和歌で言いたいこと(メインテーマ)を考えみましょう。この文章のテーマは「旅の心」ですから、四句めと五句めを見ると言いたいことは分かりそうです。「はるばる(遠くまで)やって来た旅を(しみじみ)思う」ということでしょう。この内容に合わせると、3句めは「(都には残してきた)妻がいるので」となり、さらに2句めの後半は「慣れ親しんだ」となるわけですから、この和歌で言いたいことの中心は「都には慣れ親しんだ妻がいるので、はるばる遠くまでやって来た旅をしみじみ思う」ということになるでしょう。最初の「唐衣きつつ」はまだ分からないので、いまのところは置いておきます。

次に、この和歌で使われている修辞技法をもとに、この和歌の内容を深めていきましょう。
1番めに、この和歌のテーマは「旅の心」でしたが、その前にある条件がつけられていました。それは「『かきつばた』の五字を句の上に据える」ということです。和歌ではこれを「折り句」と呼び、この和歌では、実際に「かきつはた」がそれぞれの語の頭にきていますね。

2番めは「唐衣からころも」に注目します。「唐衣」は唐風の着物という意味ですが、「着」にかかる枕詞まくらことばでもあります。「枕詞」とはある特定の語を導く五文字の言葉でしたね。「枕詞」は原則として訳す必要はないのですが、ここでは訳さないと「着」る対象が分からないので、残しておきましょう。ここでの「唐衣きつつ」が「なれにし」以降にどのようにつながっていくのか、それを次に考えます。

3番めは「掛詞」について考えます。先程も言いました通り、「唐衣きつつ」は「なれにし」にはうまくつながりません。それは、「なれ」が「慣れ親しむ」と考えているからです。実は「なれ」は掛詞で、「慣れ(馴れ)」と「れ(=着慣れ(てよれよれにな)る)」と言う意味が掛けられています。その2つをつなぎ合わせると、「唐衣を着慣れたように、(都には)慣れ親しんだ妻がいる」となるわけです。この和歌で最も言いたいこと(これを私は「メインテーマ」と呼んでいます)は、「(都には)慣れ親しんだ妻がいるので〜」でしたので、「唐衣きつつ」は、「なれ」を導くためのサブの働きをしているということになります。これを序詞じょことばと言い、メインテーマをより際立たせるための働きをしているということを知っておいてください。極論を言うと、訳さなくてもよいとも言えます。

4番目は「縁語」について考えます。「唐衣」はサブの役割ではありますが、よく見ると和歌の中に「衣服」を想像させる語がいくつもありますメインテーマとは異なるサブテーマを和歌の中に入れて言葉遊びをするのが「縁語」と言われるものです。この和歌では「唐衣」「着」「萎れ」「褄(衣の裾)」「張る」が「縁語」になっています。もちろん、「つま」「はる(ばる)」はメインテーマと異なる意味を含んでいるので、これも「掛詞」です。以上をまとめると、以下の板書のようになります。

以上の修辞技法を入れて訳をするのは至難の技ですが、なんとか訳すと以下のようになります。

→(再掲)(唐衣を繰り返し着ているうちに着慣れ(てよれよれになってしまっ)たように)慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばる着てしまった旅をしみじみ思うことだ

「つましあれば」の「し」、「旅をしぞ思ふ」の「し」はいずれも強意の副助詞といいます。語調を整えたり、前の語の意味を強めたりする働きをしますが、訳はしなくても問題ありません。

みんな和歌を聞いて感動して涙を流し、その涙で乾飯がふやけるという、最後はやや茶化した感じで終わらせています。シリアスになりすぎないように工夫したのでしょうか。

「東下り」『伊勢物語』その2

「その2」は駿河国で富士山を見ながら和歌を詠むところまでです。

本文を読む

途中で誰に会った?2つの和歌で詠み手は何を言いたかったの?
そんなことを考えながら、読んでみてください。

 きて、駿するくににいたりぬ。やまにいたりて、わがらむとするみちはいとくらほそきに、つたかへでしげり、ものこころぼそく、すずろなるることおもふに、ぎやうひたり。「かかるみちはいかでかいまする。」とふをれば、ひとなりけり。きやうに、そのひとおほんもとにとて、ふみきてつく。
  駿するなるやまべのうつつにもゆめにもひとにあはぬなりけり
 やまれば、つきのつごもりに、ゆきいとしろれり。
  ときらぬやまいつとてか鹿まだらにゆきるらむ
そのやまは、ここにたとへば、やま二十はたちばかりかさげたらむほどして、なりはしほじりのやうになむありける。

読みで問われやすい語

「駿河」「蔦」「楓」「嶺」「二十」です。「するが」「つた」「かえで」「ね」「はたち」とそれぞれ読みます。「蔦」「楓」は現代語ですね。「駿河」は現在の何県かなどと問われるかもしれません。

あらすじの確認

・更に進んで、駿河の国(静岡県中部)の宇津の山にたどり着く
・山道は暗く、細い上につたやかえでが茂っており、心細い
・その山の中で、知人の「修行者」に会う
・京に戻る途中の「修行者」に都に残した女性への手紙を託す
・富士山が遠くに見えるので、それを和歌にする

以下の部分を訳せるか確認

以下の5箇所を詳しく解説していきます。

④すずろなる目を見ること

《出題ポイント!》
「すずろなる目」の意味

→(訳)(男たちは)思いがけずひどい目をみることだ

「すずろなり」は重要単語です。漢字では「漫ろなり」と書きます。「漫」という漢字の意味が分かるとおおよその意味がつかめます。これは「漫然と」で言い表せるように「これといった意味もなく、なんとなく」というイメージの言葉です。また、「そぞろなり」と出てくることもあります。

すずろなり」(形動・ナリ活)
 
1(なんという)わけもない
 2思いがけない

ここでは2の「思いがけない」ですが、直前の「もの心細く」から続くことを考えると、「思いがけずひどい」とするとより文脈にあった解釈になりそうです。

⑤かかる道はいかでかいまする

《出題ポイント!》
「いまする」の主語と意味
「いかでかいまする」の訳出

→(訳)(あなたのような人が)このような道に(は)どうしていらっしゃるのか。

「かかる」は「かくある」がつづまった形で、「このようである」です。「道」にかかっていくので、「このような(道)」で十分伝わります。「いかでか」は「どうして〜か、いや、〜でない」と反語で訳すことも多いのですが、ここでは内容に合わないので、疑問として「どうして」と解釈すればよいです。また、「います」は「あり」の尊敬語です。比較的古い表現で、徐々に「おはす」が主流になっていきます。訳は「いらっしゃる」です

これは、「修行者」のセリフです。「男」は落ちぶれても(笑)貴族ですから、尊敬語が使われるわけです。「修行者」が「男」を見て、思わず声を上げたと理解してもらえばよいでしょう。もちろん二人は顔見知りです。

⑥《和歌》駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり

《出題ポイント!》
「駿河なる」の「なる」の意味
「うつつ」の意味と対義語
「夢にも人にあはぬなりけり」の解釈
「序詞」の指摘

→(歌訳)(私は)駿河にある宇津の山のふもとまで来ましたが、そこにある「宇津」という名と同じように、「うつつ」(現実)にも夢にもあなたには会わないものですね。

まずは、修辞技法を一切考えずに、この和歌で言いたいこと(メインテーマ)を考えみましょう。この和歌は「都のいる女への手紙」です。ということは、直接的な表現かどうかはともかく「あなたに会いたい」などという内容ではないかと想像できます。その視点で見ると、メインテーマは「夢にも人にあはぬなりけり」ではないかと見当がつきますね。では、そこから解釈を始めていきましょう。

ここは「あはぬなりけり」が分かればよいでしょう。「ぬ」「なり」「けり」と助動詞が3つもつながっています。「あはぬ」と「あふ」が未然形になっているので、「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形です。連体形に接続する「なり」は断定の助動詞(伝聞推定は必ず「ざるなり」となります)、「けり」は自分の経験や感想を言っているので「詠嘆」の助動詞です。ここまでで、「夢でも(愛する人に)会わないのだなあ」と解釈できます。さらに、その上の「うつつにも」に目をやると、「うつつ」って何?ということになってきます。

「うつつ」は重要古語で、漢字で「現」と書きます。つまり「現実」を表します。直後の「夢」の対義語として現れているわけですね。

「うつつ(現)」(名)=現実

当時の人達は「夢にその人が出てくるのは、その人が自分のことを考えているからだ」と考えていたようなのです。つまり、この歌は「私はあなたのことを想っているのに、あなたは現実にも夢にも現れず、私のことを想ってくれていないのですね」という相手を恨む歌になっているのです。これが、この和歌のメインテーマです。

次に、「駿河なる宇津の山辺の」について考えます。まず「駿河なる」の「なる」は存在の助動詞「なり」です。断定の助動詞「なり」の元の形で、上に場所を表す名詞が来た場合、「である」ではなく「にある(にいる)」と訳します。「山辺の」の「の」は、比喩を表す「の」といって、ほとんどが和歌で使われるのですが、「〜ように」と訳します。そうすると、「駿河にある宇津の山辺」は何かのたとえということになりますね。といっても何のたとえかは見えてきません。実は、これ「宇津」と「うつつ」が同じ言葉であるということが関係しています。つまり、「駿河にある宇津の山辺の「宇津」と同じように「うつつ」にも夢にも〜」となるのです。このように同じ音で前と後ろをつなげる場合、当然後ろが伝えたいことになります。その後ろの伝えたいこと(メインテーマ)につなぐための言葉ということで、「駿河なる宇津の山辺の」は「うつつ」の「序詞」となります

⑦五月のつごもり

《出題ポイント!》
「五月」の読み、月の異名について
「つごもり」の意味

→(訳)(旧暦)五月の月末

「五月」は「さつき」と読むのは感覚としても難しくはないような気がしますが、他の「月の読み」もできるようにしておいたほうが良いでしょう。月の異名についてはこちらを挙げておきます。

「つごもり」漢字で「月籠り」と書きます。昔の暦は太陽の動きではなく月の動きをもとにして作られていたので、毎月一日が新月、十五日(頃)が満月になります。また、一日のことを「ついたち」と呼びますが、それは「月立ち」つまり月が立ち始める日、つまり月の始めの日を指すわけです。それと同様に、「つごもり」は月が籠もる(見えなくなる)日、つまり月の終わり(月末)を指します
 さて、「五月のつごもり」は「五月の末」だということが分かりましたが、その季節を考えてみましょう。「四月〜六月」が夏であることはもう知っている人も多いでしょうが、「五月末」というのは、現在の六月下旬から七月上旬くらいになります。つまり、時期としては完全に夏というわけです。そんな時期に富士山を見ると、頂上付近は雪が残っていたのです。

⑧《和歌》時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ

《出題ポイント!》
「富士山」が「時知らぬ山」である理由
「鹿の子まだら」とはどのような状態?

→(歌訳)季節をわかっていない山は富士の山であるよ。今を意つと思って鹿の子の毛のようにまだ雪が降り積もっているのだろう。

鹿の子まだら

この和歌は富士山の見た目を歌っているので、内容としては分かりやすいでしょう。
富士の嶺で内容が切れているので、二句切れです。前半は冬なのに雪が残っている富士山を「時期(季節)がわかっていない」と批判しています。後半はその理由ですね。「今がいつだと思って、雪が降り積もっているのだろう」と、頂上付近に雪が残っていることを「時期がわかっていない」と言っているのですね。「鹿の子まだら」とは、上の写真を見るとイメージできますが、背中に茶色の部分と白い部分がありますよね。雪がところどころ残っているという状態を表しているわけです。また、この和歌は、助動詞が2つあって、「時しらぬ」の「ぬ」が打消の助動詞「ず」の連体形、「らむ」は現在推量の助動詞「らむ」(〜ているだろう)です。

「時期外れ」というのは、おそらく自分のことを言っているのでしょうね。物事がうまくいくのは、運やタイミングというのも確かにあります。逆にうまくいかないのもタイミングがあります。自分が失意のどん底で東に向かっているのは、都での運やタイミングに恵まれなかったからなのだろうという思いを込めてこの歌を詠んでいると考えると、この歌に含まれる「男」の悲痛な声が聞こえてきます。

「東下り」『伊勢物語』その3

「その3」は静岡県から東京の隅田川まで移動した一行が、遠くまできたことを嘆く場面です。

本文を読む

「渡し守」と一行とのやりとりについて、「都鳥」を見た一行の思いを考えながら読んでみましょう。

 なほきて、武蔵むさしくに下総しもつふさくにとのなかに、いとおほきなるかはあり。それをすみだがはといふ。そのかはのほとりにれゐておもひやれば、かぎりなくとほくもにけるかなとわびへるにわたもり、「はやふねれ。れぬ。」とふに、りてわたらむとするに、みなひとものわびしくて、きやうおもひとなきにしもあらず。さるをりしも、しろとりの、はしあしあかき、しぎおほきさなるみづうへあそびつついをふ。きやうにはえぬとりなれば、みなひとらず。わたもりひければ、「これなむみやこどり。」とふをきて、
  にしはばいざことはむみやこどりわがおもひとはありやなしやと
とよめりければ、ふねこぞりてきにけり。

読みで問われやすい語

「武蔵」「下総」「嘴」「鴫」です。「むさし」「しもつふさ」「はし」「しぎ」ですが、これらは出題確率としてはそれほど高くありません。「武蔵」「下総」は地名なので、場所も分かるようにしてくださいね。

あらすじの確認

・さらに進んで、武蔵の国と下総の国を結ぶ「すみだ川」に到着する
・川のほとりで改めて遠くに来たことを嘆く
・「渡し守」が、日が暮れるので早く船に乗れと催促する
・京都に残してきた人のことを思って嘆きながらも一行は船に乗る
・そんなときに、くちばしと脚が赤く鴫くらいの大きさの白い鳥を見る
・「渡し守」はその鳥を「都鳥」だという
・「都鳥」に関する和歌を詠み、船で涙を流す

理解しにくい箇所の解説を見る

⑨わびあへるに

《出題ポイント!》
全体の訳出と主語の確認

→(訳)みんな嘆いていると

「わぶ」は「困惑、悲哀、失意」の意味を持っている語です。

「わぶ」(動・ワ上二)
 
困る 嘆く つらく思う

ここでは、「嘆く、つらく思う」がぴったりくるでしょうか。次に「あへる」です。「あへ」は「合う」で、現代語でも「〜しあう」といいます。「みんな〜する」という意味でとっておくとよいでしょう。また、「あへ」はハ行四段活用の已然形(命令形)なので、「あへる」の「る」は存続(完了)の助動詞「り」の連体形だということもわかります。

(追加1)日も暮れぬ

《出題ポイント!》
「ぬ」の意味

→(訳)日も暮れてしまう

ここでは、「ぬ」の働きが問題になります。単純化すると、「日も暮れた」のか「日も暮れない」のかどちらかです。これは「ぬ」の識別という知識が必要になります。こちらで詳しく説明していますので、こちらは結論だけですが、「ぬ」は完了の助動詞の終止形です。

(追加2)白き鳥の、はしと脚と赤き、鴫の大きさなる

《出題ポイント!》
・「白き鳥の」にある「の」の働き
・全体の訳出

→(訳)白い鳥で、くちばしと脚とが赤く、鴫くらいの大きさである鳥が

「白き鳥の」の「の」について解説しておきます。この「の」は同格の「の」と言われるものです。同格の「の」については、こちらで詳しく解説しています。「白き鳥」と「はし(=くちばし)と脚と赤き、鴫の大きさなる(鳥)」が同じ「鳥」を表していることが分かればよいでしょう。

⑩《和歌》名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

《出題ポイント!》
・何という「名」を負っているのか
・句切れの位置
・「ありやなしやと」の意味

→(歌訳)「都」という名を負っているならば、さあ尋ねよう。都鳥よ、私の想う人は元気にしているのかいないのか

これは前から一つずつ理解していく方がよいでしょう。
「名にし負はば」は「名前を背負っているならば」です。「し」が強意の副助詞で、意味を強めたり語調を整えたりする(訳さなくてもよい)ものだと分かれば、あとは「名」がどのような名なのか考えると理解できそうです。前の渡し守の言葉から「都鳥という名」と分かります。その名前を負っているなら「お前にたずねたい」と最初の2句で言っているのです。「いざ」は「さあ」と訳します。また、「む」は意志の助動詞「む」の終止形ですので、この和歌は二句切れです
後ろの3句は「ありやなしや」の解釈ができれば全体が分かりそうです。「や」が疑問を表しているので直訳は「いるのかいないのか」ですが、この和歌の少し手前に「京に思ふ人なきにしもあらず」とあったので、この和歌は京都に残してきた想い人への歌だと考えられます。よって、「ありやなしや」は「元気にしているのかいないのか」などと解釈できればよいでしょう。

大きな川に橋など渡せることのできない時代、船に乗るということは、自分ではもう戻れないということを表すのでしょうね。心情的にもより遠くに行く感じがします。そんな彼らは都に思いを馳せながら、涙を流して先に進んでいくのでしょう。

文学作品・文学史の確認

「伊勢物語」は、十世紀(平安時代中期)に成立した、ジャンルとしては「歌物語」に位置づけされます。「歌物語」というのは、文字通りお話の中に「和歌」が含まれるものということですが、「作り物語」と異なるのは「和歌」を中心としてお話が作られていることが特徴だということです。

 文章は一つ一つのお話が短く、「昔、男〜」で始まることが多いのが特徴です。この「男」は在原業平がモデルであると考えられ、この男の人生を描いたような形をとっています。他の作品に「在五中将の日記」「在五が物語」などと書かれています。「在五」とは在原業平のことを指すので、在原業平がモデルだと言われるのです。在原業平は色男で有名なので、『伊勢物語』は色恋沙汰の話が多いと思っていたらよいでしょう。ついでに、「歌物語」をまとめたものを以下に示します。

文法の確認

今回は助動詞の確認です。助動詞は語数も多く、様々な意味を持つので習得に時間がかかりますが、順番にやっていけば必ず身につくので、頑張って進めていきましょう。学習の方法がわからない人は、下のリンクから移動して、上から順番に見ていってください。

今回は「打消」「過去」「完了」の助動詞に絞って確認していきます。

問(文章1)~(文章3)から、「打消」「過去」「完了」の助動詞を指定の数だけ抜き出し、その文法的意味と活用形を書きなさい。 

(文章1)「き」1「けり」10「ぬ」4「たり」1「り」4 

 昔、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとてゆきけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり。道知れる人もなくて、まどひ行きけり。三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を句の上にすゑて、旅の心を詠め。」と言ひければ、詠める。 
  から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ 
と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。 

(文章2) 「ず」2「き」1「けり」3「ぬ」1「たり」2「り」1 

 ゆきゆきて駿河の国に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つた、かへでは茂り、もの心細く、すずろなる目を見ることと思ふに、修行者会ひたり。「かかる道は、いかでかいまする。」と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。 
  駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に会はぬなりけり 
 富士の山を見れば、五月の晦日に、雪いと白う降れり。 
  時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿子まだらに雪の降るらむ 
 その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。 

(文章3)「ず」3「けり」4「ぬ」3「り」2 

 なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中にいと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡し守、「はや船に乗れ。日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折しも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
  名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
と詠めりければ、船こぞりて泣きにけり。 

解答は以下のとおりです。活用形は省略形で記しています。

(文章1)昔、男ありけり(過去・終)。その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとてゆきけり(過去・終)。もとより友とする人、一人二人して行きけり(過去・終)。道知れ(存続・体)人もなくて、まどひ行きけり(過去・終)。三河の国八橋といふ所に至り(完了・終)。そこを八橋といひける(過去・体)は、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せ(存続・体)によりてなむ、八橋といひける(過去・体)。その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり(過去・終)。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり(存続・終)。それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を句の上にすゑて、旅の心を詠め。」と言ひけれ(過去・已)ば、詠め(完了・体)。 
  から衣きつつなれ(完了・用)(過去・体)つましあればはるばるきぬる(完了・体)旅をしぞ思ふ 
と詠め(完了・用)けれ(過去・已)ば、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとび(完了・用)けり(過去・終)。 

(文章2)ゆきゆきて駿河の国に至り(完了・終)。宇津の山に至りて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つた、かへでは茂り、もの心細く、すずろなる目を見ることと思ふに、修行者会ひたり(完了・終)。「かかる道は、いかでかいまする。」と言ふを見れば、見(過去・体)人なりけり(過去・終)。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。 
  駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に会は(打消・体)なりけり(詠嘆・終) 
 富士の山を見れば、五月の晦日に、雪いと白う降れ(完了・終)。 
  時知ら(打消・体)山は富士の嶺いつとてか鹿子まだらに雪の降るらむ 
 その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ね上げたら(存続・未)むほどして、なりは塩尻のやうになむありける(過去・終)

(文章3)なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中にいと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来(完了・用)ける(過去・体)かな、とわびあへ(存続・体)に、渡し守、「はや船に乗れ。日も暮れ(完了・終)。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあら(打消・終)。さる折しも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見え(打消・体)鳥なれば、みな人見知ら(打消・終)。渡し守に問ひけれ(過去・已)ば、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
  名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
と詠め(完了・用)けれ(過去・已)ば、船こぞりて泣き(完了・用)けり(過去・終)。 

おわりに

今回は「東下り」について復習していきました。かなり長い文章なので、理解するにも時間がかかるかもしれませんが、和歌以外は比較的読みやすい部分も多いので、内容の把握にはそれほど苦労しないかもしれませんね。ポイントになるところを一つ一つ確認してテストに臨んでもらえたらと思っています。では、またお会いしましょう。


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