このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。
はじめに
今回は『徒然草』第137段「花は盛りに」です。『徒然草』については別のページで詳しく説明していますので、そちらをご覧ください。
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「花は盛りに」読解のコツ&現代語訳
古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。
何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。

簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。
古文を読解する上で避けられないのは、「古文単語」を覚えることです。単語集で覚えるのもよいですが、文章の中で覚えられるともっといいですね。文章で出てきた単語は、他の文章でも使えるように解説していますので、応用を利かせたい人はぜひそこまで読んでみてくださいね。また、古文単語は意味だけでなく、その語が発生した経緯などが分かると面白いですよ。
古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。

step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。
本文を読む
何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。


花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢(こずゑ)、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ。」とも、「障ることありてまからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾(かたぶ)くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし。」などは言ふめる。
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女(をとこをんな)の情けも、ひとへに逢(あ)ひ見るをば言ふものかは。逢はで止(や)みにし憂(う)さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲居を思ひやり、浅茅(あさぢ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
望月(もちづき)の隈なきを千里(ちさと)の外(ほか)まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木(こ)の間(ま)の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)、白樫(しらかし)などの濡(ぬ)れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
(『徒然草』より)
登場人物の確認
今回は、「花は盛りのときばかりを見るものではない」ということの説明になっているので、人物は出てこないわけではありませんが、話の中心ではありません。
お話を簡単に理解
・花は満開のときだけを、月は満月のときだけを見るものではない
・風流のわからない人は花が散ったものは見どころがないと言ってしまう
・何事においても、(最盛期だけではなく)始めと終わりが趣深い
・男女の恋愛においても、結ばれることだけが色好みではない
・様々な場面における満月の光が趣深く、身にしみて友と共有したいと思う
ここはいわゆる「お話」ではないので、筆者の考えや要点のみを挙げています。
重要単語の確認
本文に出てくる重要古文単語を先に確認しておきましょう。(なんと、17語もあります!あまりに多いので、通し番号をつけておきます。)
花は盛りに、月は(1)隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、(2)なほ (3)あはれに (4)情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。歌の詞書にも、「花見に(5)まかれりけるに、(6)はやく散り過ぎにければ。」とも、「(7)障ることありてまからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふならひは(8)さることなれど、ことに(9)かたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし。」などは言ふめる。
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はで止みにし憂さを思ひ、(10)あだなる (11)契りを(12)かこち、長き夜をひとり明かし、遠き(13)雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
(14)望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の(15)影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、(16)またなくあはれなり。椎柴、白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、(17)心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
(1)「隈なし」(形・ク活)
1暗いところがない/雲や影がない
2行き届いている/何でも知っている
「月」の話なので1「雲や影がない」になります。
(2)「なほ」(副)
1やはり/依然として
2さらに/もっと
ここでの意味は「やはり」です。
(3)「あはれなり」(形動・ナリ活)
=しみじみとした趣がある
(4)「情け」(名)
1思いやり/ものを憐れむ心
2風流心/風流を理解する心
3愛情/恋心
2「風流心」という意味で使われています。
(5)「まかる」(動・ラ四)
1(謙)(貴所から)退出する
2(謙)(貴所から退出して)参上する
3(謙)(会話文で)参ります
ここでの意味は3「参ります」になります。
(6)「早く」(副)
1以前(から)/すでに
2もともと
3(「けり」を伴って)なんと実は
ここでは1「すでに」がよいでしょう。
(7)「障る」(動・ラ四)
=差しつかえる/支障がある
(8)「さる(然る)」(副)
1そのような/これこれの
2しかるべき/れっきとした
2「しかるべき」という意味で、ここでは使われています。
(9)「かたくななり」(形動・ナリ活)
1頑固である/偏屈である
2情趣を解さない/無骨である
3粗野だ/無骨である
ここは2「情趣を解さない」という意味になります。
(10)「あだなり」(形動・ナリ活)
1(人間)浮気だ/不誠実だ
2(他)むだだ/はかない/むなしい
「うまくいかない」気持ちを表しているので、2「はかない」「むなしい」という意味がふさわしいでしょう。
(11)「契り」(名)
1約束/取り決め
2前世からの因縁/宿縁
3男女・夫婦の交わり
まだ「遭ひ見る」(結ばれる)状態ではないので、1「約束」という意味で使われていると判断できます。
(12)「かこつ」(動・タ四)
1口実にする/他人のせいにする
2恨み嘆く/不平や恨み言を言う
「約束したのに逢えずに終わる」ことに対してなので、2「恨み嘆く」がよいでしょう。
(13)「雲居」(名)
1雲/雲のある遠くの空
2宮中・皇居/はるか遠くに離れた所
ここは、「遥か遠くにいる恋人」のことを指す表現なので、1になります。
(14)「望月」(名)
=満月/(旧暦)15日の夜の月
(15)「影」(名)
1(日や月などの)空間に浮かぶ姿・形
2(日や月などの)光
ここは、2「月の光」という意味です。
(16)「またなし」(形・ク活)
=またとない/二つとない
「またなし」と同じ意味の語として「双なし(さうなし)」「二無し」「二つ無し」などがあります。
(17)「心あり」(連語)
1思いやりがある/愛情がある
2物の道理がわかる/思慮分別がある
3情趣を解する/風流心がある
全体が「風流」を理解する話になっているので、3「情趣を解する」「風流が分かる」という意味になります。
理解しにくい箇所の解説を見る
本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。
- 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは
- なほあはれに情け深し
- 咲きぬべきほどの梢
- 花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ、
- あだなる契りをかこち
- 心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ
①花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは
(訳)はこちら(タップで表示)
(桜の)花は満開の時期だけに、月は雲がかかっていない満月の状態だけを見るものであろうか。いや、そうではない。

作者兼好法師の価値観が現れています。「花は満開、月は満月だけがすばらしいのではない」という考えです。最もよい状態だけに見どころがあるわけではなく、花のつぼみ、咲く過程、咲いた後のはかなさ、一部が書けている月、雲で隠れて見えない月、そのようなものにも趣は感じられるという意見はもっともだと思います。
この部分に「のみ」がなければ、「満開」と「満月」を全否定してしまうことになりますので、「のみ」は非常に重要な役割を果たしています。「満開・満月だけを見るものではない」と言っているのは「満開・満月はもちろん趣があるものだが、そうでない状態も趣がある」ということを含んでいるのです。
ところで、「花」と出てきていますが、一般に古文でいう「花」は「桜の花」を指します。ただし、「匂い」や「香り」が関係してくると「梅の花」を指すこともあります。ちなみに、「桜の花」と言われたら私たちは「ソメイヨシノ」の薄いピンク色を想像しますが、それは江戸時代後期に品種改良によってできたものだそうです。ですので、この当時の桜は「ヤマザクラ」だったそうです。ソメイヨシノよりも少し濃いピンクですね。

「隈なし」は「かげがない」という意味です。「かげがない月」とは、「満月」のことを指します。また、「のみ」は現代語と同じで、限定(〜だけ)を表し、「かは」は反語を指します。「かは」は多くが反語になりますので、まずは反語を疑って文章を読むクセをつけましょう。「見るものか、いや見るものでない」と訳すことができます。
なお、重要単語「隈なし」の意味は、「重要古文単語の確認」(1)をご覧ください。
②なほあはれに情け深し
(訳)はこちら(タップで表示)
やはりしみじみと情趣が深い。

この文の直前に、「あはれに情け深」い対象が書かれてあります。それは、雨に向かって見えない月を恋しく思ったり、簾を垂らして奥に引っ込み、春の行方が分からなかったりすることです。そのようなことを「なほあはれに情け深し」と言っているのですが、「なほ」「あはれに」「情け」の3つを重要単語として覚えておきましょう。ここでは、「なほ」は「やはり」、「あはれに」は「しみじみとした趣がある」、「情け」が「情趣」という意味になるので、「やはりしみじみと情趣が深い」などとするときれいな訳になります。
ちなみに、「雨に向かって月を恋しく思う」というのは変わった表現ですが、これは源順(みなもとのしたごう)という人の『類聚句台抄』という文の中にある漢詩に従ったものだそうです。また、「簾を垂らして奥に引っ込む」というのも藤原因香(ふじわらのよるか)という人の和歌に従った表現なのだそうです。どちらも風流な表現だとは思いますが、日常ではなかなか使わないですね。
また、重要単語「なほ」「あはれに」「情け」の意味は、「重要古文単語の確認」(2)(3)(4)をご覧ください。
③咲きぬべきほどの梢
(訳)はこちら(タップで表示)
今にも(花が)咲きそうなころの(桜の)梢

ここの部分は少し後の「見どころ多けれ」にかかっていきます。
理解のポイントは「ぬべき」と「ほど」です。「咲きぬべき」の「ぬ」は強意の助動詞「ぬ」の終止形、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形ですが、(きっと〜だろう)と訳すのが一般的ですが、下の「ほど」という名詞にかかっていくので、(今にも〜しそうな)くらいに訳した方がよいでしょう。また、「ほど」は漢字で「程」と書き、「時」や「ころ」などと解釈できます。
《④までの本文解釈と現代語訳》
では、④までの本文を解釈してみましょう。
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。
(訳)はこちら(タップで表示)
(桜の)花は満開の時期だけに、月は雲がかかっていない満月の状態だけを見るものであろうか。いや、そうではない。雨にむかって(見ることのできない)月を恋い慕い、(簾を)垂れて(部屋に)こもって春の過ぎていくことを知らないのも、やはりしみじみと情趣が深い。今にも(花が)咲きそうなころの(桜の)梢や、(咲き終えて、花が)散りしおれている庭などは(特に)見所が多い。
④花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ、
(訳)はこちら(タップで表示)
花見に参りましたのに、すでに散ってしまったので

この部分は「和歌のまえがき」によく書かれる言葉というくらいに理解しておきます。この言葉のあとに和歌が書かれることになりますが、その和歌は書かれていないので分かりません。
「まかる」と「はやく」が重要語です。「まかる」は本来謙譲語で「退出する」が第一義ですが、会話文になると、丁寧語のような使われ方で「参ります」と訳すものが出てきます。また、「はやく」は「早くも」という意味で、訳す時は「すでに」がよく使われます。
あとは、文法の確認をしておけば理解は簡単です。「まかれりけるに」の「り」は完了(存続)の助動詞「り」の連用形、「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形です。「散りすぎにければ」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「けれ」は過去の助動詞「けり」の已然形です。それぞれ「参りましたのに」「散ってしまったので」と訳せばよいでしょう。
満開の状態を見ることができただけではなく、このようなすでに散ってしまったと残念に思うことにも趣があるという考えに、あなたは同意できますか。若い時は「最高の時」「旬の時」がすべてに思いますが、年齢を重ねてくると、そのような「最高の時から過ぎた」時も「シブい」と感じられるようになりますよ。
また、重要単語「まかる」「はやく」の意味は、「重要古文単語の確認」(5)(6)をご覧ください。
《⑤までの本文解釈と現代語訳》
それでは、⑤までの本文を解釈してみましょう。
歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ。」とも、「障ることありてまからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし。」などは言ふめる。
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。
(訳)はこちら(タップで表示)
和歌の詞書にも、「花見に参りましたのに、すでに散ってしまったので。」とも、「差し障ることがあって(花見に)参りませんで。」などとも書いてあるのは、「花を見て。」と言っているのに劣っているであろうか。いや、劣ってはいない。花が散るのを、月が(西に)傾くのを恋い慕う世の中の習慣はもっともなことであるが、特に情趣を解さない人は、「この枝も、あの枝も(花が)散ってしまった。今は(もう)見所はない。」などと言うようである。
(花や月だけでなく)何事も、始めと終わりが趣深いものである。男女の恋愛も、ただ逢って契りを結ぶことだけをいうものだろうか。いや、そうではない。
重要単語「障る」「さる」「かたくななり」の意味は、「重要古文単語の確認」(7)(8)(9)をご覧ください。
⑤あだなる契りをかこち
(訳)はこちら(タップで表示)
(果たされることなく終わった)はかない約束を嘆いたり、

ここは「男女の恋愛」についての話です。これは「男女の恋愛がうまくいかなかった話」を書いていることは、「逢ひ見るをば言ふものかは(契りを結ぶ(男女の関係になる)ことだけを言うのではない)」というところから分かります。「あだなり」「契り」「かこつ」は重要単語で、必ずここで覚えてしまいます。ここでの「あだなり」は「むなしい」「はかない」、「契り」は「約束」、「かこつ」は「恨みごとを言う」です。以前会う約束をしていたのに、それが果たされなくなった人のつらい気持ちが読み取れます。
また、重要単語「あだなり」「契り」「かこつ」の意味は、「重要古文単語の確認」(10)(11)(12)をご覧ください。
《⑥までの本文解釈と現代語訳》
ここで、⑥までの本文を解釈してみましょう。
逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴、白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、
(訳)はこちら(タップで表示)
契らないで終わってしまったつらさを思ったり、(果たされることなく終わった)はかない約束を嘆いたり、(逢うこともなく)長い夜を一人で(待ち)明かしたり、遠くかなたに離れた恋人に思いをはせたり、浅茅の生い茂った荒れ果てた家で(そこでの)昔(の恋)を懐かしむことこそが、恋の情趣をわきまえているというものであろう。
(月についても)満月でくもりない月を遥かに遠い千里のかなたまで眺めていることよりも、明け方近くになって、待ちに待って出てきた月が、たいそう趣深く、青みを帯びている様子で、(しかもその月が)深い山にある杉の梢に(隠れながら)見えている様子や、(その他にも)木立の間を洩れてくる月の光(の様子)や、さっと時雨を降らせた一群の雲に(月が)隠れた様子は、このうえなく情趣深い。椎の木や白樫などの濡れているような(光沢のある)葉の上に(月の光が)きらめいている様子こそ、身にしみて(感じられて)、
「望月の隈なきを千里の外まで」は白居易の『白氏文集』の一節に従っています。この「花は盛りに」だけでなく、『徒然草』では漢文や和歌に基づいた表現が数多く現れます。兼好法師の教養の高さがうかがわれます。
重要単語「雲居」「望月」「影」「またなし」の意味は、「重要古文単語の確認」(13)〜(16)をご覧ください。
⑥心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ
(訳)はこちら(タップで表示)
情趣を解するような友がいたらなあと、(隠遁の身である作者は)都が自然と恋しく思われる

様々な月の光に思いをはせ、月の光やその場の雰囲気に趣を感じている作者の思いが現れています。この風流を喜ぶ気持ちを誰かと共有したい。でも自分は隠遁の身なのでそれもできない。そのような複雑な気持ちをこの一文で表現しています。
「心あり」は「心がある」という意味ですが、どのような「心」かというと、ここでは「風流心」ということになるでしょう。「心あらん友」の「ん」は婉曲の助動詞「む」の連体形(撥音便)で、「風流がわかる(ような)友」という意味になります。「もがな」は願望を表す終助詞で「〜があればなあ」「〜であればなあ」という訳になります。
「都恋しう覚ゆれ」の「覚ゆれ」はヤ行下二段活用動詞「おぼゆ」の已然形です。少し前に「こそ」があるので、係り結びの法則で已然形になっています。「おぼゆ」はここでは単純に「思われる」でよいでしょう。
また、重要表現「心あり」の意味は、「重要古文単語の確認」(17)をご覧ください。
おわりに
テスト対策へ
今回は、『徒然草』の「花は盛りに」についてお話しました。今度はテスト対策編もご覧ください。

『徒然草』は他にも面白い文章がたくさん出てきます。できれば、「ビギナーズ・クラシックス」などで、他の文章にも触れてもらいたいですね。他にも解説してほしい、テスト対策としてまとめてほしいという文章があれば以下からご連絡ください。
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