はじめに
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先生、この前問題集を解いていたら、四段活用ではない「給ふ」が出てきたのですが、これはなんですか?
それは、謙譲語の「給ふ」といって、めったに出てこないんだけど、出てくると大抵の場合問題にされるから、この機会に知っておいたほうがいいね。では、今回はそのようなちょっと変わった敬語表現について、学習していこう!
はじめに、今回学習することの要点を示します。
(注意!)今回はこれまで(基本編)の全5回をきちんと理解した上でないと、混乱を極めますので、早い時期での学習はおすすめしません。
【絶対敬語】
【尊敬語の「参る」「奉る」】
【謙譲語の補助動詞「給ふ」】
【自尊表現】
特殊な敬語
今回は「特殊な敬語」について学習していきます。ここで言う「特殊な敬語」とは、敬意の方向が決まっていたり、通常とは異なった使われ方をしたりする敬語のことを指します。この単元では、以下の4項目を学習します。
- ①絶対敬語
- ②尊敬語の「参る」「奉る」
- ③謙譲語の補助動詞「給ふ」
- ④自尊表現(自尊敬語)
①絶対敬語
「絶対敬語」とは、敬意の方向があらかじめ決まっているものを指します。ほとんどが「帝」やそれに準ずる皇族への敬意になりますが、具体的にどのようなものがあるのか、確認していきましょう。
「奏す」
「奏す」は「帝(天皇)に申し上げる」という、敬意が帝である「言ふ」の謙譲語です。別の表現で「奏上する」とも言います。大抵が「帝(天皇)」への敬意ですが、上皇や法皇に用いられることもあります。「上皇」とは帝の位を譲った後の尊称で、「法皇」は、出家した上皇のことを指します。
【例文】 (中将は)かぐや姫をえ戦ひとめずなりぬること、こまごまと奏す。
(訳)中将は、かぐや姫を戦って引きとめられなくなることを、こまごまと帝に申し上げる。
「啓す」
「啓す」は「皇后・中宮・皇太后・皇太子などに申し上げる」という、敬意が決まっている「言ふ」の謙譲語です。帝の妻でも最上位の「皇后」や「中宮」、帝の母や上皇の后を指す「皇太后」、次の帝である「皇太子」などに敬意を払います。
【例文】(中宮の)御前に参りてありつるやう啓すれば、
(訳)中宮の御前に参上して先ほどの出来事を中宮に申し上げると、
その他の絶対敬語
・「叡」
もともとは「事物の本質を見抜く」という意味で使われる言葉ですが、「叡聞・叡覧」など、天子(帝)の行為に関して用いることがあります。ですので、「叡聞」は「帝がお聞きになること、お知りになること」、「叡覧」は「帝がごらんになること」を指す言葉になります。
・「行幸」
「ぎょうこう(ぎょうごう)」または「みゆき」と読み、「天皇のおでかけ、お出まし」という意味になります。
・「御幸」
「ごこう」または「みゆき」と読みます。「上皇・法皇・女院のおでかけ」という意味ですが、使われるのは院政期以降です。平安時代の古典文学ではあまり出てきません。
・「行啓」
「ぎゃうけい(ぎょうげい)」と読みます。「太皇太后・皇太后・皇后・皇太子・皇太子妃のおでかけ、お出まし」を指します。用例はそれほど多くありません。
②尊敬語の「参る」「奉る」
「参る」も「奉る」も原則は謙譲語の動詞です。詳しくは第3回をご覧ください。
「参る」は主に「参上する」という意味になります。
「奉る」は主に「差し上げる」という意味になり、謙譲語の補助動詞としてもよく使われます。
このように、「参る」「奉る」は謙譲語がほとんどですが、尊敬語で用いられることがあります。
「参る」は「飲む」「食ふ」「す」の尊敬語になることがあります。
【例文】大御酒まゐり、御遊びなどし給ふ。
これを見ても分かりますが、「参る」の前に「食べ物」や「飲み物」を示す語があります。そのため、「飲む・食ふの尊敬語になる」という知識があれば、判別するのは容易です。
また、「奉る」は「飲む」「食ふ」の他に、「着る」「乗る」の尊敬になることがあります。
【例文】・いと暑しや。これより薄き御衣たてまつれ。
・ことごとしからぬ御車にたてまつりて、
以下の板書を見て、「参る」「奉る」の尊敬語の用法を整理してみてください。
③謙譲語の補助動詞「給ふ」
ここでは、補助動詞の「給ふ」についてお話します。補助動詞の「給ふ」は第2回でもお話しているとおり、尊敬語になることがほとんどです。
ただし、以下の条件をすべて満たす場合には謙譲語の補助動詞になります。
(1)ハ行下二段活用をしている
(2)会話文・手紙文中で使われている
(3)「見る・聞く・思ふ」などの近く動詞の補助動詞になっている
ほとんどが(1)で見抜くことができますが、その際(2)(3)にも注意を払ってみてください。この場合の「給ふ」は謙譲語の補助動詞で、「ーーます/ーーさせていただく」と訳すことになります。この「給ふ」はハ行下二段活用をするのですが、終止形になることは極めて少なく、終止形接続の助動詞に接続するような時でしか用いません。よって、下二段活用を見分けるのは非常に容易です。
【例文】六十にあまる年、珍らかなる物を見たまへつる。
(訳)六十歳を過ぎて、珍しいものを見ました。
ところで、この「給ふ」は、自分の思ったり見たりすることをへりくだって言うという点では、「謙譲語」というにふさわしいのですが、他の謙譲語(奉る・申す・聞こゆなど)が、動作を受ける相手に対する敬意を表すのに対して、この「給ふ」にはそれがありません。「会話や手紙の相手に対して話し手(書き手)の恐縮する気持ちを表す」という点では、むしろ「侍り」や「候ふ」に意味が近いので、丁寧語とする説もありますが、学校文法ではこの「給ふ」は謙譲語として扱います。
④自尊表現(自尊敬語)
通常、文章や会話の中で自分が自分に敬意を払うことはありません。そのようなことをしたら、頭のおかしい人かと思われてしまいます(笑)。しかし、古文の世界では自分で自分に敬意を払う表現が出てくることがあります。これを自尊表現や自尊敬語などと呼びます。なぜそのようなことが起こるのかというと、「あまりに身分の高い人が、自分の行為にさえも敬意を払わなければならないと考えている」というのが一つの説、「自分の威厳を他に知らしめるためにあえて自分に敬意を払っている」というのがもう一つの説です。いずれにせよ、このような表現を使うのは、原則として帝や上皇、中宮などです。
(1)尊敬語の用法
まず、自尊表現にあたる、尊敬語の用法を見ていきましょう。次の例文を見てください。
【例文】(帝)「(かぐや姫は)顔かたちよしと聞こし召して、御使ひを賜びしかど、かひなく見えずなりにけり。」
(訳)「(かぐや姫は)容姿が非常に美しいという噂を聞いて、召し出しの使者を遣わしたのだが、その甲斐もなく会うことが出来なかった。」
この【例文】は帝の言葉ですから、すべて「帝」からの敬意になります。では、「(かぐや姫の)顔かたちよし」と「聞こし召し(お聞きになっ)」たのは誰でしょうか。もちろん、これも帝です。よって、「聞こし召し」は、「帝から帝への敬意」ということになります。つまり、話し手である帝が、自分自身に敬意を払っていることになるわけです。同様に「賜び」も「帝から帝への敬意」となります。
(2)謙譲語の用法
次に謙譲語の用例です。実際に古文を読んでいると分かりますが、自尊表現は尊敬語よりも謙譲語の方が用例は多く、実際に見る機会も多いと思います。
【例文】(帝)「汝が持ちてはべるかぐや姫奉れ。」
(訳)「お前が持っておるかぐや姫を(私に)差し上げよ。」
この【例文】も帝の言葉ですので、「帝」からの敬意になります。「奉れ」は謙譲語で、動作の受け手への敬意です。ここでは、誰に差し上げたのかを考えればいいわけですが、それはもちろん「私」、つまり「帝」ということになります。よって、「奉れ」は、「帝から帝への敬意」ということになります。
おわりに
今回は、特殊な敬語をまとめて説明しました。この4項目は敬語の中でもかなりレベルの高いものになります。必ず基本を理解したうえで、応用を理解するという順番を守りましょう。では、次は読解でお会いしましょう。
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