はじめに
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今回は『伊勢物語』第二十三段(「筒井筒」)の第2回です。「伊勢物語」については第六段「芥川」の「はじめに」で説明していますので、詳細はそちらをご覧ください。
今回は文章が長く、内容が大きく3つに分かれていますので、3回に分けて行います。
第1回は男女の恋愛について、第2回は男が別の女のもとへ行くときの女の対応について、第3回は男と別の女のやりとりについて、が大きな内容です。今回はその第3回です。
前回の復習
・昔、田舎暮らしをしていた人の子どもたちが井戸の近くで遊んでいた
・その中の男の子と女の子が成人した後に、お互いに結婚したいと思っている
・二人は大人になって、遊ばなくなったが思いは変わらない
・女の親は、別の男と結婚させようとするが、女は言うことを聞かない
・男のもとから女のもとへ和歌が送られる
・女も男へ返歌する
・二人は結ばれる
ーーーー(ここから第2回)ーーーー
・結婚後何年か経った後、妻の親が亡くなり、生活が苦しくなる
・共倒れになるわけにはいかず、男は河内の国の高安の女のもとへ通う
・妻は夫を送り出すときに嫌な素振りを見せない
・夫は妻の浮気を疑って、妻の様子をうかがう
・妻は夫の旅路を心配する和歌を詠む
・夫は妻が愛しくなり、河内の女のもとへ通わなくなる
男は妻の愛を再確認して、新しい高安の女のもとへは行かなくなったって話だったね。
「筒井筒」について 第3回
では、第3回を始めましょう!することはいつも通り以下の3つです。
1本文を読む
2登場人物の確認
3内容を簡単に理解
本文を読む
何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。その際、意味調べなどしないことがポイントです。ただし、今回は3回に分けて行いますので、これはその3です。前々回分は第1回を、前回分は第2回をご覧ください。
まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、けこのうつは物に盛りけるを見て、心うがりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
と言ひて見出だすに、からうじて、大和人「来む。」と言へり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
と言ひけれど、男住まずなりにけり。
登場人物の確認
男 高安の女
第3回は、男と高安の女との関係性が描かれるので、登場人物は二人だけです。
お話を簡単に理解
・男はごくたまに高安の女のもとへ行く
・高安の女は始めこそ奥ゆかしくふるまうが、だんだんと打ち解けて、自分の手でしゃもじをとってご飯を盛る
・その様子に男はがっかりして、また通わなくなる
・そこで高安の女は大和の国を見て歌を送る
・男は「(高安の女のもとへ)行こう」というが、時間だけが過ぎる
・高安の女は改めて歌を送る
・男は通わなくなった
理解しにくい箇所の解説を見る
以下の3箇所を詳しく解説していきます。
その後、男はごくたまにですが、高安の女のもとへ行くことがありました。そこでの女の様子が次の項目です。
はじめこそ心にくくもつくりけれ、
→(訳)(高安の妻は)始めこそ奥ゆかしくふるまったけれども、
「はじめこそ」の「こそ」は係助詞で、「つくりけれ」にかかっていきます。ただ、「つくりけれ」は「、」で続いているため、文は完結していません。このような「こそーー(已然形)、・・・」となる形は文を「逆接」でつなぐことになります。
「こそーー(已然形)、・・・」
=ーーけれども・・・【逆接】
次に「心にくく」ですが、これは重要古語です。
こころにくし(心憎し)
「こころにくし」(形・ク活)
(←憎らしいくらい心がひかれる)
=奥ゆかしい/すぐれている
最後に「つくりけれ」です。この「つくる」は「こしらえる」だけでなく、「する」という意味にもなります。つまり、様々な行動を「つくる」で表現できるわけです。直前が「奥ゆかしく」なので「する」でもよいですが、「ふるまう」や「取り繕う」などと訳すと自然な解釈になります。また、「けれ」は過去の助動詞「けり」の已然形です。
だんだんと妻は打ち解けていくんだけど、高安の女は自分でご飯を盛り付けるようになります。その姿に男はがっかりして、また女のもとへ行かなくなるんだ。
えぇ!?ご飯を盛り付けることの何が悪いの?
貴族の女性、特に身分の高い女性は身の回りの作業を女房にやらせているんだ。そんなことを貴族の女性がするのは無風流なことだとされていたんだね。だから、男は高安の女への気持ちが冷めてしまったんだ。今の時代では考えられないね。
このあたりの風習は、今の僕たちにはなかなか分からないことですね。
そうだね。でも、そのような時代を経て今があると知ることも大事だと思うよ。
じゃあ、次の話に進むよ。その後、通ってこなくなった男に対して、高安の女は男の住む大和の国の方を見て歌を詠みます。
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
→(訳)あなたのいらっしゃるあたりをいつでも見ていましょう。雲よ生駒山を隠してくれませんように。たとえ雨が降っても。
「君があたり」は、「あなたの(住んでいる)辺り」と「住んでいる」を補うと意味が分かりやすくなります。「見つつ」の「つつ」は「継続」を表して「見続けて」と訳します。また、「居らむ」はラ変動詞「居り」の未然形と意志の助動詞「む」の終止形です。ここで意味が切れるので二句切れの和歌になります。ちなみに、「居らむ」の直前の「を」は、調子を整える働きをしている間投助詞と呼ばれるものになります。ここまでをまとめると、「あなたの住んでいる辺りを見続けていましょう」となります。
「雲な隠しそ」は、「なーーそ」が重要古語(呼応の副詞+終助詞)です。
なーーそ
「なーーそ」(副+終助)
ーーするな。どうかーーしてくれるな。
「ーー」は連用形(カ変・サ変は未然形)
「生駒山雲な隠しそ」は格助詞がないので一見わかりにくいですが、高安の女が河内の国(大阪府)から大和の国(奈良県)を見ている場面での歌なので、内容から考えて「雲よ生駒山を隠すな」と解釈するのが自然でしょう。生駒山のある方角に男の住む大和の国があるからです。「生駒山よ雲を隠すな」では、女が雲に想いを込めていることになってしまって、文脈に合いません。また、ここでも文が切れているので、二句・四句切れの和歌だということも分かります。
最後に「雨は降るとも」は「たとえ雨は降っても」と解釈するのは容易です。ただ、この「雨」というのは、高安の女の悲しみの涙をたとえていることは分かっておいた方がよいでしょう。
以上をまとめると、次の通りになります。
→(訳)あなたのいらっしゃるあたりをいつでも見ていましょう。雲よ生駒山を隠してくれませんように。たとえ雨が降っても。
歌を見た男は、高安の女のもとへ行こう(=来む)と言いいます。高安の女は喜んで待ちますが、現れずに時間だけが過ぎていきます。
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
→(訳)あなたが「来よう」とおっしゃったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとにいつも(むなしく)過ぎ去っていますので、あてにはしないものの、あなたを恋しく思って過ごしています。
この歌も高安の女が歌ったものです。まずは上の句から解釈していきます。「来む」は高安の女への返事をそのまま使っています。「言ひし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形、「夜ごと」の「ごと」は「毎」と漢字を当てます。「過ぎぬれば」の「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、「ば」は順接確定条件の接続助詞で、「〜ので」でよいでしょう。ここまでまとめると、「あなたが『来よう』と言ったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとに過ぎていきますので、」となります。
次に下の句です。「頼まぬものの」の「頼む」は重要古語で、「あてにする」となります。実はこの単語、四段活用と下二段活用で意味が変わるのですが、ちょっとだけ、ここに記しておきます。
たのむ
「頼む」(動)
1(マ四)頼りにする/あてにする
2(マ下二)頼りにさせる/期待させる
「頼まぬものの」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形、「ものの」は逆接の接続助詞で「…けれども/…とはいうものの」という意味です。「恋ひつつぞふる」の「ふる」はハ行下二段活用動詞「経」の連体形です。以上をまとめると、次のようになります。
→(訳)あなたが「来よう」とおっしゃったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとにいつも(むなしく)過ぎ去っていますので、あてにはしないものの、あなたを恋しく思って過ごしています。
先生、高安の女はこれだけ男のことを思って歌を送ったのですから、男はそれに答えて女のもとへ行くようになったのですか?
それが、残念ながら男は通わなかったんだよ。理由ははっきりと書いていないけど、自分のことを待てずに何度も和歌を送ってくる女のことを無風流だと思ったのかな。しつこい女だと男が思ったのかもしれないね。
今回のまとめ
今回は、以下の3箇所について詳しく説明しました。
これらを理解して、最後にもう一度本文を読んでみましょう。
まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、けこのうつは物に盛りけるを見て、心うがりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
と言ひて見出だすに、からうじて、大和人「来む。」と言へり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
と言ひけれど、男住まずなりにけり。
・男はごくたまに高安の女のもとへ行く
・高安の女は始めこそ奥ゆかしくふるまうが、だんだんと打ち解けて、自分の手でしゃもじをとってご飯を盛る
・その様子に男はがっかりして、また通わなくなる
・そこで高安の女は大和の国を見て歌を送る
・男は「(高安の女のもとへ)行こう」というが、時間だけが過ぎる
・高安の女は改めて歌を送る
・男は通わなくなった
おわりに
以上で「筒井筒」の解説を終わります。今回のお話は男が高安の女には結局惹かれなかったという話でしたが、どうしても元の妻と比較してしまうと、風流さで見劣りがしたのでしょうね。そのくらい風流というのがこの時代の貴族たちには大きな要素だったのだと思われます。現代の私達においても、人との相性ということを考えるとき、合う合わないというのは一つの仕草で分かることがあるのかもしれません。そのくらい人間というのはある意味繊細な生き物なのですね。今回はそんなことを考えさせてくれる文章でした。
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