このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。
はじめに
今回は『蜻蛉日記』です。教科書では「うつろひたる菊」「なげきつつひとり寝る夜」「町の小路の女」など様々な題名で掲載されています。多くの人がこの文章で初めて「蜻蛉日記」に触れるでしょうから、まずは、「蜻蛉日記」について、簡単に説明しておきましょう。
文学作品・文学史について
『蜻蛉日記』は、ジャンルとしては「日記」(仮名日記)に位置づけされます。仮名日記として最も古いものは『土佐日記』とされていますが、この作品はその次に古いものに位置づけられています。『土佐日記』の作者は紀貫之でしたから、「女流仮名日記」としては最も古いものになります。
作者は藤原道綱母(ふじわらのみちつななはは)です。作者が20歳ころの954(天暦8)年、時の右大臣藤原師輔の三男である藤原兼家から求婚されて結婚してから、974年(天延2)年に兼家の通いが途絶えるまでの21年間を描いています。
上巻中巻下巻の3巻からなる長文の日記です。
上巻は藤原兼家との結婚生活を中心に、陸奥守となって赴任する父(藤原倫寧(ともやす))との別れや、母との死などが綴られています。兼家の正妻である時姫や「町の小路の女」と呼ばれる愛人の存在などが描かれ、一夫多妻の貴族社会で、権門の貴公子を夫に迎えた作者の、女性としての苦悩がよく描かれているものになります。
また、中巻は一人息子の道綱が成長し、夫である兼家も昇進していくのですが、作者の心を満たされずに出家を決意して山に籠もる話です。結果としては、兼家や父の説得に応じて下山するのですが。
下巻では、道綱が元服しますが、夫はもうに通ってくることはほとんどありません。作者は養女と息子道綱の成長に生きがいを感じるようになります。ついに夫婦関係が絶えてしまう974(天延2)年まで、この日記は描かれます。
当時の貴族社会における一夫多妻制の婚姻制度のもとで、弱者としての妻の立場から夫婦関係を描いたものなのですが、身分の高い男性と結婚することによって社会的地位の向上を求めても、夫の足が遠ざかることや、望んでいたような身の上が実現しない苦悩があり、その感情やそれによる激しい行動を鋭い筆致によって描いてあるところに文学的価値があります。
以上が、『蜻蛉日記』の簡単な説明です。

「うつろひたる菊」(町の小路の女・なげきつつひとり寝る夜)『蜻蛉日記』要点・あらすじ・現代語訳
古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。
何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。

本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。
簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。
古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。

step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。
本文を読む
何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。


さて九月(ながつき)ばかりになりて、出(い)でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもとにやらむとしける文(ふみ)あり。あさましさに、見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。
疑(うたが)はしほかに渡(わた)せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ
など思ふほどに、むべなう、十月(かみなづき)つごもりがたに三夜(みよ)しきりて見えぬときあり。つれなうて、「しばし試(こころ)みるほどに。」など、けしきあり。
これより、夕(ゆふ)さりつかた、「内(うち)にのがるまじかりけり。」とて出(い)づるに、心得(こころえ)で、人をつけて見すれば、「町の小路(こうぢ)なるそこそこになむ、とまり給(たま)ひぬる。」とて、来(き)たり。さればよといみじう心憂(こころう)しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二(ふつか)、三日(みか)ばかりありて、暁(あかつき)がたに門(かど)をたたくときあり。さなめりと思ふに、憂(う)くて、開けさせねば、例(れい)の家とおぼしき所にものしたり。
(『蜻蛉日記』より)
※これより前の文(本文1)は「第3回」でお話しする予定です。第3回は鋭意制作中です。
文章を読むことができたら、下の「登場人物の確認」「内容を簡単に理解」を読んで、自分の理解と合っていたかを確認します。
登場人物の確認
- 作者(藤原道綱母)
- 藤原兼家(作者の夫)
作者の日記ですので、自分の視点で描いているのですが、そこに夫である「藤原兼家」や「町の小路の女」について描かれています。あと、「家の者」がこっそり出てきます(笑)。
お話を簡単に理解(あらすじ)
- 9月、兼家が出ていった時に、文箱があるのを見つける
- 何の気なしに開けてみると、他の女へ送る手紙だった
- 見たことだけでも知られたいと思い和歌を書きつける
- 10月末に、三夜続けて通いがない時があった
- 兼家はあなたの気持ちを試していたなどという
- 夕方に宮中に行かなければならないといって兼家が出る
- 人をつけて様子を見させると町の小路の女のもとにいったことが分かる
理解しにくい箇所の解説を見る
本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。
- 見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。
- 疑はしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ
- むべなう、十月つごもりがたに、三夜しきりて見えぬ時あり。
- つれなうて、「しばしこころみるほどに」など、気色あり。
- さなめりと思ふに
- 例の家とおぼしきところにものしたり
《①までの本文解釈と現代語訳》
最初に、①までの文章を解釈していきましょう。
さて九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに、
(訳)はこちら(タップで表示)
そうして(旧暦)九月頃になって、(夫が私の家から)出て行ったときに、文箱(ふばこ)が置いてあるのを何の気なしに開けて見ると、人(他の女)のもとに送ろうとした手紙がある。驚きあきれることで、

「出でにたるほどに」は、主語が自分か夫(兼家)か取りにくいですが、後で「(自分が)家にある文箱を開ける」という動作があるので、夫が主語になります。この文章の大きな特徴として、夫兼家に敬語を使っていないことが挙げられます。また、「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「たる」が完了の助動詞「たり」の連体形です。
①見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。
(訳)はこちら(タップで表示)
せめて(文箱の手紙を)『見てしまった』とだけでも知られたいと思って、書きつける。


夫の兼家が置いていった文箱を開けてしまった作者は、そこに別の女への手紙を見つけてしまいます。今の時代は夫のスマホを見ることでしょうか。いつの時代も人のものを見ても幸せにはなれません。それでも作者は見て見ぬふりができません。それとなく(?)兼家に伝えようと考えます。
「見てけりとだに知られむ」には、助動詞が4つ含まれています。「見てけり」の「て」が完了の助動詞「つ」の連用形、「けり」は過去の助動詞「けり」の終止形と板書パネルにはありますが、詠嘆の助動詞ととることもできます。本当は「気づき」の「けり」というのが最も適当なのですが、学校文法では言わないのと、ここは事実を伝えたいということを重視して過去の助動詞としておきました。「知られむ」の「れ」は受身の助動詞「る」の未然形、「む」は意志の助動詞「む」の終止形です。これで、「見てしまったと知られよう」と解釈できます。残りは、「だに」です。
「だに」は副助詞です。基本的には「程度の小さいもの」を出して、「程度の大きいもの」を推測する助詞になります。例えば、「財布の中に十円だになし」という文があれば、「財布の中には十円でさえない。もちろん百円や千円などあるはずがない」という意味になります。「十円」という程度の小さなものを挙げて、「百円」や「千円」という大きなものを想像させるのです。
次に、「自分が望んでいる最も小さなこと」出して、「本当は程度の大きいこと」も期待していることをいう場合もあります。どちらも「程度の小さなことを」を挙げる点に共通点があります。
「だに」(副助詞)
1類推(〜でさえ)※程度の小さなものを挙げる
2限定(せめて〜だけでも)※最低限度の希望
ここは2の「せめて〜だけでも」という意味になります。「自分がつらい思いをしている」「怒っている」ということも伝えたいが、「手紙を見た」という事実(これが作者にとっては最低限)だけは伝えたいという内容になるわけです。
②疑はしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ
(訳)はこちら(タップで表示)
疑わしいことです。他の方に渡したお手紙を見ると、ここ(私のもとへ通うこと)は途絶えてしまうというのでしょうか。


ここは、先ほどの「手紙を見た」ということを夫に知らせる和歌です。「ほかに渡せるふみみれば」とはっきり書いてしまっていますね。
「疑はし」がク活用形容詞の終止形になっているので、一旦ここで切れている「初句切れ」の和歌です。まず「疑わしいことです」と言い切って、その後につなげていきます。
「ほかに渡せるふみ」は「他の女性に渡した手紙」という意味になります。「渡せる」の「る」は完了(存続)の助動詞「り」の連体形、「ふみ」は「手紙」という意味です。その手紙を「見てみると」「ここやとだえにならむとすらむ」と言っています。どういうことでしょうか。
「ここやとだえにならむとすらむ」の「ここ」は「私(の家)」を表し、「や」は疑問を表します。「とだえ」は「途絶え」と漢字を当てるので、ここまでで「私の家に来ることが途絶えてしまうのか」という意味になります。あとの「ならむとすらむ」は文法的には「む」が推量の助動詞「む」、「らむ」が現在推量の助動詞「らむ」ですが、直訳すると「(途絶えに)なろうとしているのだろう」となりますが、もう少しこなれた訳にすると、「ここ(私のもとへ通うこと)は途絶えてしまうというのでしょうか」となります。
解釈はこれで十分ですが、この和歌には隠れた技法があります。それは、「疑はし」の中に「橋」を隠しているということです。夫兼家の「通ひ」を「橋」にたとえています。それを踏まえてこの和歌を改めて見てみましょう。そうすると「橋」に関係する語が見えてきます。「ほかに渡せる」の「渡せ」、「渡せるふみ」の「踏み」、「とだえにならむ」の「途絶え」が「橋」に関する語です。これを「縁語」と呼びました。「『渡せ』『踏み』『途絶え』が『橋』の縁語」となります。このように、和歌の内容とは直接には関係のない言葉を和歌に入れることで、和歌に奥行きを与える高度な技法を作者は使っているのです。
③むべなう、十月つごもりがたに、三夜しきりて見えぬ時あり。
(訳)はこちら(タップで表示)
思った通り、(旧暦)十月の末ごろに、三夜続けて姿を見せないときがある。


先ほどの和歌で、自分のもとへ通ってきてくれることが減ってしまう、ついにはなくなってしまうのではないかということを心配している作者ですが、作者の予想は一部的中してしまいます。
「むべなう」は、重要単語とは言えませんが、『蜻蛉日記』ではよく出てきます。この作者が好んで使う言葉で、意味は「思ったとおり」「案の定」です。
十月は「神無月」です。月の異名はこちらをご覧ください。また、「つごもり」は「月籠り」と漢字を当て「月末」という意味でした。
「三夜しきりて見えぬ時あり」の「しきりて(頻りて)」は、「重なって」という意味です。つまり、「三夜続けて」ということですね。
次に、「見えぬ時」の「見え」はヤ行下二段活用動詞「見ゆ」の未然形です。通常は「見える」という意味ですが、作者の立場からすると「姿を見せる」という意味になります。「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形です。
まとめると、「三夜続けて姿を見せないときがある」となります。
「三夜続けて姿を見せない」とわざわざ「三夜」と書いてあることに意味があるのでしょうか。
これは、当時の結婚についての知識が必要になります。
当時、正式な結婚は、両親が許して三日間続けて男性が通うことによって成立しました。三日目の夜に、女性の親が「所顕(ところあらわし)」という披露宴を行い、妻の両親や親族に対面して、「三日夜の餅(みかよのもちい)」を食べます。その後夫として正式に妻の元に通うことになります。


つまり、「三夜続けて姿を見せない」とは、「兼家が自分の知らない別の女と結婚した」ということを暗に述べているのです。
④つれなうて、「しばしこころみるほどに」など気色あり。
(訳)はこちら(タップで表示)
(夫は)そしらぬふりをして、「しばらく(あなたの気持ちを)試しているうちに(日が過ぎたのだ)。」などと思わせぶりなことを言う。


本文には書かれていませんが、作者は兼家が家にやってきたときに、どういうことなのか問い詰めたのでしょう。その時の兼家の反応が書かれています。
「つれなうて」は「つれなくて」のウ音便化ですが、「つれなし」は重要語です。「働きかけられて何の反応もない」という意味を表す語です。
「つれなし」(形・ク活)
1何の反応もない/冷淡である/よそよそしい
2平然としている/さりげない/そしらぬ顔だ
ここでは、「(妻に問い詰められても)平然としている」という意味です。
「しばしこころみるほどに」は「しばらく試しているうちに」と訳せますが、何を試したのかというと「作者が自分のことをどれだけ愛しているか」ということです。それを試しているうちに、「気がつけば三日間経っていただけだよ」と兼家は言っているのです。
「気色」は「けしき」と読む語ですが、「心のうちが外に現れるさま」を表す語です。一般的には「様子」と訳すことが多いのですが、「そぶり」「顔色」「態度・機嫌」などと解釈することもあります。ここでは、「そぶり」が近く、「気色あり」を意訳すると「思わせぶりなことを言う」となります。兼家の気障(キザ)なセリフに合わせて解釈するとよいでしょう。
《⑤までの本文解釈と現代語訳》
では、⑤までの文章を解釈してみましょう。
これより、夕さりつかた、「内にのがるまじかりけり。」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむ、とまり給ひぬる。」とて、来たり。さればよといみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二、三日ばかりありて、暁がたに門をたたくときあり。
(訳)はこちら(タップで表示)
ここ(私の家)から、夕方、「宮中で抜けられない用事があるのだった。」と言って出て行くので、納得できないで、人をつけて(どこに行くか)見させると、「町小路にあるどこそこで、(牛車を)お止めになった。」といって、帰ってきた。思った通りだよととてもつらいと思うけれど、(文句の)言いようもわからなくているうちに、二、三日ほどして、夜明け前頃に門をたたくときがある。



「さればよ」は「思ったとおりだ」という意味を表す頻出表現なんだって!



「内にのがるまじかりけり。」は「内裏の方ふたがりけり。」となっている教科書があります。「(ここでは)宮中の方角が方塞がりだったよ。」と訳すことができます。これは、「だから前の夜に別の場所に泊まる必要がある」という意味を表します。いずれにしても、「ここを出ないといけない」という内容です。
⑤さなめりと思ふに、憂くて、開けさせねば、
(訳)はこちら(タップで表示)
そう(夫の通い)であるようだと思うけれど、つらくて、開けさせないでいると、


夫兼家は、宮中に用事があると言って出てき行きましたが、実際には「町の小路の女」のもとへ言っている事が分かりました。作者の嫉妬心は燃え上がります。二三日後、兼家はまた通ってきます。
「さなめりと思ふに」の「さ」は「兼家(の来訪)」を指します。「さなめり」は「さなんめり」と読みます。この「な」は断定の助動詞「なり」の連体形、撥音便の無表記になっています。「思ふに」の「に」はここでは逆接の接続助詞とすると、後ろとのつながりがよくなります。ここまでをまとめると「そう(夫の通い)であるようだと思うけれど」となります。
「憂くて開けさせねば」は「憂く」がク活用形容詞「憂し」の連用形で「つらい/いやだ」という意味です。「開けさせねば」の「させ」は使役の助動詞「さす」の未然形、「ね」は打消の助動詞「ず」の未然形、「ば」が順接確定条件の接続助詞「ば」(ここでは「〜すると」)なので、まとめると「つらくて、開けさせないでいると」となります。誰に「開けさせなかった」かというと、作者の家の者だと考えられます。
自分のもとに戻ってきてくれたけれど、他の女のもとへ行って、さらに結婚までしてしまうことへの嫉妬心から、あっさりと扉を開けることができません。もちろん、本人も一夫多妻制の社会であることは承知しています(作者は第二婦人です)。でも、頭で理解はしていても心はついていかないのでしょう。ここに一夫多妻の貴族社会で、権門の貴公子を夫に迎えた作者の、女性としての苦悩がよく描かれているのです。
⑥例の家とおぼしきところにものしたり
(訳)はこちら(タップで表示)
(夫は)例の(女の)家と思われるところに行ってしまった。


作者は夫兼家がやってきても、なかなか扉を開けることをしません。作者も意地を張ってはいますが、夫からの優しい言葉でもあれば、仲直りもしたことでしょう。しかし、夫は自分の思いとは裏腹に、あっさりと別の場所へ行ってしまいます。
「例の家とおぼしきところ」とは「町の小路の女の家」を指すのでしょう。意地でも「別の女」とは言いたくありません。「ものしたり」の「ものし」はサ行四段活用動詞「ものす」の連用形です。「ものす」は「代動詞」と言われるもので、様々な動詞の代わりに用います。ここでは「行く」という意味です。「たり」は完了の助動詞「たり」の終止形です。兼家は、町の小路の女の家に行ってしまったのです。
おわりに(テスト対策へ)
テスト対策へ
今回は、『蜻蛉日記』の「うつろひたる菊」(町の小路の女・なげきつつひとり寝る夜)の前半部についてお話しました。一通り学習を終えたら、今度はテスト対策編もご覧ください。


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お話の続きについて(第2回作成しました!)
今回の文章『蜻蛉日記』「うつろひたる菊」は、一夫多妻の貴族社会での、女性としての苦悩がよく描かれているものでした。この後の場面にある有名な和歌については第2回にお話しましょう。第2回は会員限定記事になります。続きの記事の閲覧を希望される人は下記の「LINE友だち追加」をしてください。
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『蜻蛉日記』は、他の日記文学や古典作品に比べると難解かもしれません。ですので、大まかにでも内容を知っておく必要があります。ぜひ「ビギナーズ・クラシックス」などで読んでみてください。
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