「神無月のころ」『徒然草』読解のコツ&現代語訳|スマホで学ぶ古文

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 このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。

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目次

はじめに

 今回は『徒然草』第11段「神無月のころ」です。『徒然草』については別のページで詳しく説明していますので、そちらをご覧ください。

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「神無月のころ」読解のコツ&現代語訳

 古文を読解する4つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。

STEP
本文を読む

何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。

STEP
内容を大まかに把握し、説明する

簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。

STEP
理解しにくい箇所の解説を見る

古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。

STEP
改めて本文を解釈する

step3とstep4は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。

本文を読む

 何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。

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  (かみ)()(づき)のころ、(くる)()()といふ(ところ)()ぎて、ある(やま)(ざと)(たづ)()ること(はべ)りしに、(はる)かなる(こけ)(ほそ)(みち)をふみわけて、(こころ)(ぼそ)()みなしたる(いほり)あり。()()(うづ)もるる(かけ)()(しづく)ならでは、つゆおとなふものなし。()()(だな)(きく)紅葉(もみぢ)など()()らしたる、さすがに()(ひと)のあればなるべし。
 かくてもあられけるよと、あはれに()るほどに、かなたの(には)に、(おほ)きなる(かう)()()の、(えだ)もたわわになりたるが、まはりをきびしく(かこ)ひたりしこそ、(すこ)しことさめて、この()なからましかばと(おぼ)えしか。(『徒然草』より)

登場人物の確認

今回は、作者の実際に体験したことのお話です。登場人物は作者のみです。

お話を簡単に理解

・旧暦十月のころに、ある山里に行くことがあった
・そこにはもの寂しい様子で住んでいる庵があった
・周囲は静かで、筧に水の流れる音以外には音もしない
・その庵には風流な閼伽棚があったので誰か住んでいるのだろう
・作者はそこでの生活している人を想像し感動する
・ふと近くを見ると、実がたわわになった柑子の木がある
・その木は(実をとられないよう)周りを厳しく囲ってあった
・作者はがっかりして、興ざめした

理解しにくい箇所の解説を見る

 本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。

  • 懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし
  • さすがに住む人のあればなるべし
  • かくてもあられけるよ
  • 大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが
  • この木なからましかばと覚えしか

《①までの本文解釈と現代語訳》

最初に、①までの本文を解釈してみましょう。

 神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入ること侍りしに、遥かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。

(訳)はこちら(タップで表示)

 旧暦十月の頃、栗栖野という所を通って、ある山の中にある人里に人を訪ねて入って行ったことがありました時に、遠くまでつづく苔むした細い道を踏み分けて、もの寂しい様子で住んでいる庵がある。

※「栗栖野」とは現在の京都市山科区にある地名です。「神無月」は旧暦10月のことですが、1月から12月の月の異名については、以下で説明していますので、自信がなければ見てみてください。

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①懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし

(訳)はこちら(タップで表示)

懸樋の雫の音の他には、まったく音を立てるものがない

「懸樋」とは、「泉から水を引くために架け渡してある竹や木で作った樋(とい)」のことですが、今では漢字で「筧」とも書きます。その「樋」からみずが(チョロチョロと)流れる音だけが聞こえて、人の気配もしない様子を表しています。

雫ならでは」の「なら」は断定の助動詞「なり」の未然形、「で」は「打消」を表す接続助詞です。「で」は助動詞ではなく、助詞ですので、注意が必要です。訳は「〜ないで」となります。直訳すると「雫でないでは」となりますが、ちょっと気持ち悪いので、「雫の他には」などと訳すとよいでしょう。

「つゆ〜打消」は「全否定(全部否定/全体否定)」を表し、「全く/決してーーない」という意味になります。「全否定」を表す語は他に「あへて/おほかた/かけて/さらに/たへて/つやつや/ゆめゆめ」などがあります。出てくるたびに、すこしずつ覚えていってください。また、「おとなふ」はもともとは「音をたてる」という意味ですが、そこから「(人のもとへ)たずねる」という今の「訪れる」という意味になっていきます。ここの「おとなふ」は「音をたてる」という基本の意味になります。

②さすがに住む人のあればなるべし

(訳)はこちら(タップで表示)

そうはいってもやはり、住む人がいるからであろう

作者兼好法師がたどりついた山里の庵は、人の気配もなく、「懸樋」の水の音が聞こえるだけだったのですが、そばにあった「閼伽棚(あかだな)」(仏に供える浄水(閼伽)を入れた容器などを置く棚)には趣深く菊や紅葉などを折って散らしていました。そこでの作者の感想です。

「さすがに」は重要単語です。「そうはいってもやはり」と覚えましょう

「さすがに」(副)
 =そうはいってもやはり

「住む人のあればなるべし」は、「住む人の」の「の」が主格の「の」で「〜が」、「あれば」は「あれ」がラ行変格活用の已然形で、それに順接仮定条件を表す接続助詞「ば」が接続しているので、基本的には「あるので」と訳せばよいわけです。ですが、後に断定の助動詞「なり」(〜である)と推量の助動詞「べし」(だろう)がついているの少し訳しにくいです。ここは「ので」を「から」と言い換えて、「住む人があるからであるだろう」、もう少し言い換えて、「住む人がいるからであろう」とするのがよいでしょう。

《③までの本文解釈と現代語訳》

では、③までの文章を解釈してみましょう。

木の葉に埋もるる懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。

(訳)はこちら(タップで表示)

木の葉に埋まっている懸樋の雫の音の他には、まったく音を立てるものがない。閼伽棚に菊や紅葉の枝などを(無造作に)折って置いてあるのは、そうはいってもやはり、住む人がいるからであろう。

③かくてもあられけるよ

(訳)はこちら(タップで表示)

このようにしても生活することができるのだなあ

作者兼好法師はこのような人の気配がない場所で、風流に生きているらしい人に憧れを持った感想を述べます。

「かくて」は、「かく」が「このように」「このような」という意味ですから、「このようにして」と訳せばよいでしょう
「あられけるよ」の「あら」はラ行変格活用動詞「あり」の未然形ですが、ここは「生活する」「住む」「暮らす」などの意味として使われています。つぎに「れ」ですが、結論を言うと、これは可能の助動詞「る」の連用形です助動詞「る」「らる」のページで説明した通り、「る」「らる」が可能になるのは、下に「打消」が来るときです。ですが、『徒然草』は鎌倉時代末期の作品のため、そのルールは、もはや曖昧になっています。ですので、「可能」だとしても問題ないのです。
「ける」ですが、作者の感想を述べて箇所ですから、詠嘆の助動詞「けり」の連体形となります。「よ」は間投助詞で詠嘆を表します。

④大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが

(訳)はこちら(タップで表示)

大きな蜜柑の木で、枝もたわむほどに(実がたくさん)なっている木が

作者兼好法師が、山の庵の様子に感激していたとき、ふと横をみると柑子(こうじ)(蜜柑の一種)の木がありました。

ここのポイントは「柑子の木」の2番めにある「の」です。これは同格の格助詞と呼ばれるものです。同格の格助詞については以下で説明してますので、まずそちらをご覧ください。

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ここは「大きなる柑子の木」と「枝もたわわになりたる(木)」が同じ「木」を指していることが分かります。「なりたる」と連体形になっているところに「の」の直前の名詞(木)を補って、「の」を「〜で」と訳すと訳としては成立します。また、「なりたる」の「たる」は存続の助動詞「たり」の連体形で「〜ている」と訳すことも忘れないでください。以上をまとめると、「大きな蜜柑の木で、枝もたわむほどに(実がたくさん)なっている木が」と訳せることになります。

《⑤までの本文解釈と現代語訳》

では、⑤までの文章を解釈してみましょう。

 かくてもあられけるよと、あはれに(み)るほどに、かなたの(には)に、(おほ)きなる(かう)(じ)(き)の、(えだ)もたわわになりたるが、まはりをきびしく(かこ)ひたりしこそ、(すこ)しことさめて、

(訳)はこちら(タップで表示)

 このようにしても生活することができるのだなあと、しみじみと心ひかれて見ているうちに、むこうの庭に、大きな蜜柑の木で、枝もたわむほどに(実がたくさん)なっている木が、そのまわりを厳重に囲ってあったのは、少し興ざめがして、

⑤この木なからましかばと覚えしか

(訳)はこちら(タップで表示)

この木がなかったならば(よかっただろうに)と、思われた。

先ほど見た柑子の木が、なんと厳重に囲いがされていました。もちろん、柑子の実を取られないようにするためです。そんな景色を見て、作者兼好法師はがっかりしてしまいます。

「この木なからましかば」の「ましか」は反実仮想の助動詞「まし」の未然形です。助動詞「まし」が「反実仮想」(もし〜だったら⋯だろうに)の意味になる時は、「〜ましかば⋯まし」などの構文を作ることが非常に多いです。そのあたりの説明を以下でしていますので、確認してみてください。

↑タップして詳細を表示

「ましかば」の後は「と」が続いていますので、ここで文は切れてしまっています。ということは、何か言葉が省略されているということですね。「もしこの木がなかったならば⋯⋯」ですから、「カンペキに風流だったのに囲いがあるために風流が台無しになった」という内容が省略されているのでしょう。これをものすごく簡単に言うと、「もしこの木がなかったならばよかったのに」ということになるので、「この木なからましかば」の後には「よからまし」が省略されていると考えます

最後に「覚えしか」は「覚え」がヤ行下二段活用動詞「おぼゆ」の連用形です。「おぼゆ」は漢字で「思ゆ」とも書きますので、「思われる」「思い出される」という意味になります。「おぼゆ」の他の意味や用例もありますので、それは以下のボタンをタップをご覧ください。また、「しか」は過去の助動詞「き」の已然形です。係り結びの法則により已然形になっています。以上から「この木がなかったならば(よかっただろうに)と、思われた。」と解釈できます。

おわりに

テスト対策へ

今回は、『徒然草』の「神無月のころ」についてお話しました。今度はテスト対策編もご覧ください。「神無月のころ」のテスト対策は鋭意製作中です。

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『徒然草』は他にも面白い文章がたくさん出てきます。できれば、「ビギナーズ・クラシックス」などで、他の文章にも触れてもらいたいですね。他にも解説してほしい、テスト対策としてまとめてほしいという文章があれば以下からご連絡ください。

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