このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。
はじめに
今回は『大鏡』の一節で、歴史的にも有名な「寛和の変」のお話です。教科書では「花山天皇の出家」(花山院の出家)という題名で載せているのがほとんどです。ここでの「花山天皇」は一般的に「かさんてんのう」と読むみたいです。『大鏡』については別のページで詳しく説明していますので、そちらをご覧ください。
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「花山天皇の出家」(花山院の出家)読解のコツ&現代語訳
では、古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。
何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。

本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。
簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。
古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。

step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。
本文を読む
何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。


次の帝、花山院の天皇と申しき。冷泉(れいぜい)院第一の皇子(みこ)なり。御母、贈皇后宮懐子(くわいし)と申す。
永観(えいくわん)二年八月二十八日、位につかせ給ふ、御年十七。寛和(くわんな)二年丙戌(ひのえいぬ)六月二十二日の夜(よ)、あさましく候(さぶら)ひしことは、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺(はなやまでら)におはしまして、御出家(すけ)入道せさせ給へりしこそ。御年十九。世を保たせ給ふこと二年。そののち二十二年おはしましき。
あはれなることは、おりおはしましける夜は、藤壺(ふぢつぼ)の上の御局(みつぼね)の小戸(こど)より出でさせ給ひけるに、有明(ありあけ)の月のいみじく明かかりければ、「顕証(けんしよう)にこそありけれ。いかがすべからむ。」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽(しんし)・宝剣渡り給ひぬるには。」と、粟田(あはた)殿のさわがし申し給ひけるは、まだ帝出でさせおはしまさざりける先に、手づから取りて、春宮(とうぐう)の御方に渡し奉り給ひてければ、帰り入らせ給はむことはあるまじく思して、しか申させ給ひけるとぞ。
さやけき影をまばゆく思し召しつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、「わが出家は成就するなりけり。」と仰せられて、歩み出でさせ給ふほどに、弘徽殿(こきでん)の女御の御文の、日ごろ破(や)り残して御身も放たず御覧じけるを思し召し出でて、「しばし。」とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿の、「いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづから障(さは)りも出でまうで来なむ。」と、そら泣きし給ひけるは。
(『大鏡』より)
文章を読むことができたら、下の「登場人物の確認」「内容を簡単に理解」を読んで、自分の理解と合っていたかを確認します。
登場人物の確認
・花山院の天皇(帝)
・粟田殿(藤原道兼)
花山天皇が、出家してしまうお話です。花山天皇は、最愛の妻(女御)である忯子(しし・よしこ)が亡くなってしまったショックで、つきっきりで慰めてくれた藤原道兼を信じて、ともに出家をしようと東山の花山寺へ向かい、実際に出家をしてしまいます。ただし、道兼は直前で逃げ帰ってしまいます。このお話は、NHKの大河ドラマ「光る君へ」でも丁寧に描かれていました(第10話、第11話)。
お話を簡単に理解
・花山院の紹介
・帝(花山天皇)は花山寺に向かう日の夜、外が月夜で明るいので、外に出ることを渋る
・粟田殿(藤原道兼)はもう止めることはできないと出発を促す
・月に雲がかかって、帝は出発をしようとする
・帝は弘徽殿の女御(忯子)の手紙を置いてきたことを思い出して宮中に戻ろうとする
・粟田殿は、うそ泣きをして、宮中に戻らずに出発することを強く促す
理解しにくい箇所の解説を見る
本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。
- 顕証にこそありけれ
- とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽・宝剣渡り給ひぬるには。
- 手づから取りて、春宮の御方に渡し奉り給ひてければ、
- さやけき影をまばゆく思し召しつるほどに
- 「ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうで来なむ」とそら泣きし給ひけるは。
《①までの本文解釈と現代語訳》

初めに、①までの本文を解釈してみましょう。
次の帝、花山院の天皇と申しき。冷泉院第一の皇子なり。御母、贈皇后宮懐子と申す。
永観二年八月二十八日、位につかせ給ふ、御年十七。寛和二年丙戌六月二十二日の夜、あさましく候ひしことは、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せさせ給へりしこそ。御年十九。世を保たせ給ふこと二年。そののち二十二年おはしましき。
あはれなることは、おりおはしましける夜は、藤壺の上の御局の小戸より出でさせ給ひけるに、有明の月のいみじく明かかりければ、
(訳)はこちら(タップで表示)
次の帝は、花山院天皇と申しました。冷泉院の第一皇子です。御母君は、贈皇后宮懐子と申します。
永観二年(984)八月二十八日、位におつきになりました、御年は十七歳。寛和二年(986)丙戌六月二十二日の夜、驚きあきれるばかりでございましたことは、人にもお知らせにならないで、こっそりと花山寺におでましになって、御出家・入道なさってしまったことでした。御年は十九歳。世をお治めになること二年。その後、二十二年ご存命でいらっしゃいました。
しみじみと気の毒に思われますことは、ご退位におなりになった夜は、(花山天皇が)藤壺の上の御局の小戸からお出ましになられたところ、有明の月がとても明るかったので、
花山天皇についての基本情報がここに書かれています。敬語の確認は「テスト対策&練習問題」で行いますので、ここは、単語のみを確認しておきます。
・「あさましく候ひし」の「あさましく」は、シク活用形容詞「あさまし」の連用形で、「意外なことに驚きあきれる」という意味でした。
・「みそかに花山寺におはしまして」の「みそかに」は、漢字で「密かに」と当てると「ひそかに、こっそり」という意味だとわかります。また、「おはしまし」は、サ行四段活用動詞「おはします」の連用形で、「いらっしゃる」という意味です。
・「あはれなることは」の「あはれなる」は、ナリ活用形容動詞「あはれなり」の連体形で、「しみじみとした趣がある」という意味です。「趣がある」の部分を本文の内容に即して言い換える必要があります。ここでは「しみじみと気の毒だ」くらいに言い換えましょう。
・「有明の月」は「夜が明けても空に残る月」のことで、「主に旧暦二十日以降の月」のことを指します。いわゆる「下弦の月」が出るころです。
①顕証にこそありけれ
(訳)はこちら(タップで表示)
(あまりに明るくて、)人目に立ち過ぎるなあ。

花山天皇が宮中を出ていくときに、人目につかないよう「藤壺の上の御局の小戸」から出ていこうとする場面でのことです。まだ日は昇っていませんが、外に出ると「有明の月」が出ていて、明るかったのです。
「顕証」は、もともと「けんしょう」と読んでいましたが、「けしょう」「けんそう」「けそう」と読む場合もあります。意味は漢字の通りで、「はっきりしている」「あらわである」という意味になります。
文法の確認です。「にこそありけれ」の「に」は下に「あり」を伴い「〜で」と訳せるので、断定の助動詞「なり」の連用形、「こそ」は係り結びで「けり」を已然形の「けり」にしています。また、この「けれ」の意味は「詠嘆」になります。よって、「にこそありけれ」は「〜であるなあ」と訳すことになります。
帝は「こっそりと宮中を出ていくには、月の光が明るいために、人目につきそうで都合が悪い」と思っているわけです。

帝は出発を渋っていますね。その時に、粟田殿(藤原道兼)がすかさず次のことを言います。
②とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽・宝剣渡り給ひぬるには。
(訳)はこちら(タップで表示)
(ご出家を)中止なさるわけにはいきません。(皇位継承のしるしである)神璽と宝剣が(皇太子のもとに)お渡りになってしまったからには。


月の明るさを理由に出発を渋る花山天皇に、粟田殿(藤原道兼)が帝を諌める場面です。粟田殿は藤原兼家の息子ですが、「道隆」「道兼」「道長」の3人の中の真ん中になります。これらの人物を別ページでまとめていますので、興味のある人は下のボタンをタップしてご覧ください。
この2文は倒置になっています。最後の「給ひぬるには」が気持ち悪いのですが、前後を入れ替えるとうまく意味が通じます。
先に前半を解釈していきます。「とまらせ給ふ」の「とまら」はラ行四段活用動詞「とまる」の未然形ですが、「帝の位にとどまる」でも「出家を中止する」でもどちらでもよいと思います。筆者は後者で解釈しています。
「せ給ふ」の「せ」は尊敬の助動詞「す」の連用形、「給ふ」は尊敬語の補助動詞で、二重尊敬になっています。帝が主語なので問題ないでしょう。
「べきやう侍らず」は、「べき」が適当(当然)の助動詞「べし」の連体形、「やう」は名詞で「こと」「様子」などと訳す、「侍ら」は丁寧語の補助動詞「侍り」の未然形、「ず」は打消の助動詞です。直訳すると、「ご出家を中止なさるはずのことではありません」ですが、場面に合わせて「中止なさるわけにはいきません」などと訳しましょう。
後半部の解釈です。「渡り給ひぬるには」とありますが、先程も倒置が使われていると言いましたので、「ぬる」と「には」の間に「から」を入れると「〜たからには」と前の文につながりやすい訳になります。
「神璽・宝剣」とは皇位継承のしるしである「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」の三種の神器のことを指しています。
また、ここは「渡り給ひぬる」が問題になります。訳は「お渡りになりました(なってしまいました)」くらいでよいのですが、この「渡り」がこの文章での面白いポイントになっています。この解説は③の後の【②「渡り給ひぬる」と、③「渡し奉り給ひてけれ」の比較】で詳しく説明します。



粟田殿(藤原道兼)が妙に慌てて出家させようとしているようにも見えますが、それには理由がありました。
③手づから取りて、春宮の御方に渡し奉り給ひてければ、
(訳)はこちら(タップで表示)
(粟田殿が)自分の手で(神璽と宝剣を)取って、皇太子のところにお渡し申し上げになってしまったので、


「手づから」は「自分の手で」という意味です。また、「春宮」は「とうぐう」と読み、「皇太子の敬称、皇太子の宮殿」を指します。皇太子の宮殿が皇居の東にあることからこの名が来ています。「東宮」とも書きますが「春宮」と書かれているのは、中国の五行説で東が春に当たるためです。
「渡し奉り給ひ」の「奉り」は謙譲語の補助動詞「奉る」、「給ひ」は尊敬語の補助動詞「給ふ」です。
その「春宮」(後の一条天皇)に、道兼自身が皇位継承のしるしを渡してしまったということがここで書かれているのです。
【②「渡り給ひぬる」と、③「渡し奉り給ひてけれ」の比較】


上記で説明した②と③はどちらも、「神璽・宝剣が皇太子に渡った」ことを表していますが、②の道兼の言葉と、本文全体の語り手である「大宅世継」の言葉では、考え方に違いが現れています。
②では「渡り給ひぬる」とあります。「渡り」は「渡る」という自動詞で、「自然の流れで皇太子のもとへ移動した」というニュアンスで帝に伝えています。そのため、助動詞も「ぬ」が使われています。
一方、③では「渡し奉り給ひてければ」となっています。「渡し」は「渡す」という他動詞で、「道兼が皇太子に(意図的に)渡した」という意味で聞き手(読者)に語っています。そのため、助動詞も「つ」が使われているのです。
つまり、②は「神璽・宝剣が皇太子のもとに移ったことに、道兼は直接的な責任がない」ということを暗に示しており、③は「道兼の行動は作為的である」と大宅世継が(批判的に)伝えているのです。
《④までの本文解釈と現代語訳》
では、④までの文章を改めて解釈してみましょう。
「顕証にこそありけれ。いかがすべからむ。」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽・宝剣渡り給ひぬるには。」と、粟田殿のさわがし申し給ひけるは、まだ帝出でさせおはしまさざりける先に、手づから取りて、春宮の御方に渡し奉り給ひてければ、帰り入らせ給はむことはあるまじく思して、しか申させ給ひけるとぞ。
(訳)はこちら(タップで表示)
「(あまりに明るくて、)人目に立ち過ぎるなあ。どうするのがよいだろうか。」とおっしゃったところ、「そうかといって、(ご出家を)中止なさるわけにはいきません。(皇位継承のしるしである)神璽と宝剣が(皇太子のもとに)お渡りになってしまったからには。」と、粟田殿がせきたて申し上げなさったのは、まだ帝がご出発にならなかった前に、(粟田殿が)自分の手で(神璽と宝剣を)取って、皇太子のところにお渡し申し上げになってしまったので、(帝が)お帰りになるようなことはあってはならないとお思いになって、そのように申し上げなさったと(聞いたのです)。
④さやけき影をまばゆく思し召しつるほどに
(訳)はこちら(タップで表示)
(花山天皇が)明るく澄みきっている(月の)光をまぶしくて恥ずかしいとお思いになっていたうちに、


①でお話した月の光の明るさについて、再度書かれています。
「さやけき」はク活用形容詞「さやけし」の連体形ですが、漢字にすると「清けし」です。「澄みきっている」状態を指します。この「さやけし」にかかる「影」が重要単語になります。
「影」(名)→光り輝くもの
1(日や月などの)光
2(日・月・灯火などの)空間に浮かぶ姿・形
「影」は、光り輝くものをいうのが原義です。ですので「日影」は「日の光」、「月影」は「月の光」を言います。この「影」は、もちろん「月の光」です。そこから、光の中に浮かび上がる姿・形、水面や鏡に映る姿・形、光の反対側にできる陰影などを指す言葉になりました。一方、光のあたらない暗いところは「陰」を用いて区別しています。そのような雲がかかっていない月の光を見て、帝は「まばゆく」思っています。
「まばゆし」(形・ク活)
1まぶしい・光が強くて見にくい
2光り輝くほど美しい
3恥ずかしい・きまりが悪い
「目+映ゆし」で目が照り輝くように感じられるさまが原義です。ここでは3で、月の光によって自分の姿があらわになることが「恥ずかしい」と思っているのです。また、「思し召しつる」の「思し召し」は「思ふ」の上級の(身分が最高級の人にのみ使う)尊敬語で、「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形です。また、「ほど」は「程」と漢字を当てて「時」などと訳しておきます(上記では「うち」と訳しています)。
《⑤までの本文解釈と現代語訳》
では、⑤までの文章を解釈してみましょう。
さやけき影をまばゆく思し召しつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、「わが出家は成就するなりけり。」と仰せられて、歩み出でさせ給ふほどに、弘徽殿の女御の御文の、日ごろ破り残して御身も放たず御覧じけるを思し召し出でて、「しばし。」とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿の、「いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ。
(訳)はこちら(タップで表示)
(花山天皇が)明るく澄みきっている(月の)光をまぶしくて恥ずかしいとお思いになっていたうちに、月の表面にむら雲がかかって、少し暗くなっていったので、「私の出家は成就するのだなあ。」とおっしゃって、歩き出しなさる時に、弘徽殿の女御の御手紙で、ふだん破らずに残して肌身離さずご覧になったのを思い出しなさって、「少し(待て)。」とおっしゃって、(それを)取りにお入りに行かれた時であるよ、粟田殿が、「どうしてこのように(未練がましく)お思いになってしまうのですか。
「弘徽殿の女御の御文の」にある太字の「の」は、「同格」を表す格助詞です。「〜で」と訳すのが定番ですが、同格の格助詞については、以下で説明しているので下のボタンをタップして確認してみてください。
⑤「ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうで来なむ」とそら泣きし給ひけるは。
(訳)はこちら(タップで表示)
「ただいま(の機会が)過ぎるならば、自然と(ご出家に)差し障ることもきっと出て参りましょう。」と、うそ泣きなさったのですよ。


道兼の立場からすると、この「花山天皇出家作戦」は絶対に失敗が許されません。なにしろ、道兼は自分の手で皇位継承のしるしを皇太子に渡してしまっているのですから、絶対に中止するわけにはいかないのです。その焦りもあって、道兼は「泣き落とし」という手段に出ます。
上の板書にはありませんが、「ただ今過ぎば、」の説明しておきます。「ただ今」は「ただいまの機会が」などと補うと分かりやすいでしょう。「過ぎば」は「過ぎ」が、ガ行上二段活用動詞「過ぐ」の未然形で、未然形に接続助詞の「ば」が接続しているので、順接仮定条件を表して「もし過ぎるならば」という解釈ができます。
次に、「おのづから」です。これは「自己の意志によらず、自然にそうなるさまを表す」語でした。ここは第一義の「自然に」「自然と」という意味です。「さはり」は漢字を当てると「障り」となるので、「さしさわり」であることは割と分かりやすいと思います。
「出でまうで来なむ」です。「出でまうで来」が「出で来」に「まうづ」が挟まれている形ですが、「出で来」の謙譲語と理解するとよいでしょう。「出て参る」などと訳します。「なむ」は「な」が強意の助動詞「ぬ」の未然形、「む」が推量の助動詞「む」の終止形で、最も一般的な「きっと〜だろう」という意味になります。
以上をまとめると、「自然と(ご出家に)差し障ることもきっと出て参りましょう。」となります。
最後に、「そら泣きし給ひけるは」です。「そら泣き」は「うそ泣き」という意味、「し給ひけり」の「し」はサ行変格活用動詞「す」の連用形、「給ひ」は尊敬語の補助動詞「給ふ」の連用形、「けり」は過去の助動詞です。その後に「は」がついていますが、文の強調ととっておきましょう。よって、「うそ泣きなさったのですよ」と訳すことになります。
わざわざ「そら泣き」と語り手である世継が言っているのは、そこに「道兼の行動への強い非難」が現れているからです。
おわりに
テスト対策へ
今回は、『大鏡』の「花山天皇の出家」の前半部についてお話しました。一通り学習を終えたら、今度はテスト対策編もご覧ください。


お話の続き(第2回)について
今回の文章は「大鏡」の中でも非常に有名な箇所で、人間ドラマのつまった箇所だと思います。この後は、だまされて出家したことが分かる花山院の悲哀が描かれます。その他にも『大鏡』には魅力的な話が数多くあります。「ビギナーズ・クラシックス」などで、多くの文章に触れておきたいですね。また、今回の文章の続きの解説の希望があれば、後半部も公開します。以下からご連絡ください。
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