「中納言参り給ひて」『枕草子』読解のコツ&現代語訳

 このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。

今回は敬語の基本をきちんと理解した上でないと、読むのが難しく感じますので、まずそちらを理解してから読んでみてください。基本の学習は下の「敬語を復習してみる」をタップ!

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ブログの性質上、理解していくためにはどうしても文章を「自分で」「丁寧に」読んで行く必要があります。「自分一人で文章を読む」よりも、きちんと先生に文章の内容を説明をしてほしい、先生に読解を伴走してほしいという人は、以下の個別指導塾をオススメします。まずは資料請求をして、自分に合うかどうかを確認してみましょう。詳しくは下のバナーをタップ!

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目次

『枕草子』について

 今回は枕草子』第九十八段、通称「中納言参り給ひて」です。『枕草子』は平安時代中期、11世紀初頭(西暦1001年ころ)に成立した、いわゆる「三大古典随筆」の一つです。『枕草子』の特徴をまとめたものを、以下に示しておきます。

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今回の「中納言参り給ひて」は(3)の「日記的(回想的)章段」の一節になります。「日記的(回想的)章段」は、作者清少納言が中宮定子に仕えた華やかな宮廷生活を描いたもので、本文に「宮(中宮)」とはっきり明示されていなくても、中宮の存在を考える必要があります。また、作者清少納言は中宮には一段敬意の高い表現を使っているので、その存在はすぐに分かることになります。実際の文章で確認してみましょう。

「中納言参り給ひて」読解のコツ&現代語訳

 古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。

STEP
本文を読む

何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。

STEP
登場人物・場面を確認する

本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。

STEP
内容を大まかに把握し、説明する

簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。

STEP
理解しにくい箇所の解説を見る

古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。

STEP
改めて本文を解釈する

step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。

本文を読む

 何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。今回は特に登場人物をしっかり確認し、それぞれがどのようなことを言っているか、どのような行動をしているかを考えていきましょう。

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 (ちゆう)()(ごん)(まゐ)(たま)ひて、()(あふぎ)たてまつらせ(たま)ふに、「(たか)(いへ)こそいみじき(ほね)()(はべ)れ。それを()らせて(まゐ)らせむとするに、おぼろけの(かみ)はえ()るまじければ、もとめ(はべ)るなり。」と(まう)(たま)ふ。「いかやうにかある。」と()()こえさせ(たま)へば、「すべていみじう(はべ)り。『さらにまだ()(ほね)のさまなり。』となむ(ひと)(びと)(まう)す。まことにかばかりのは()えざりつ。」と、(こと)(たか)くのたまへば、「さては、(あふぎ)のにはあらで、海月(くらげ)のななり。」と()こゆれば、「これは(たか)(いへ)(こと)にしてむ。」とて(わら)(たま)ふ。(『枕草子』より)

登場人物の確認

  • 中納言(藤原隆家)
  • 中宮(定子)
  • 作者(清少納言)

中宮も作者も本文にははっきり明示されていません。この文章が『枕草子』であるということから、中宮と作者が出てくるのは前提であると考える必要があるのです。直接は書かれなくても中宮の存在は敬語の使い方で分かります。

内容を簡単に理解

  • 中納言が姉である中宮のもとに参上して、扇を差し上げようとする。
  • そのとき、「これとは別にすばらしい扇の骨も持っているが、平凡な紙は張れない」という。
  • 中宮にどんな骨かを隆家に聞く。

理解しにくい箇所の解説を見る

 本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。

  • 中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、          
  • 隆家こそいみじき骨は得てはべれ。
  • それを張らせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。
  • 「いかやうにかある。」と問ひきこえさせたまへば、

①中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、

(訳)はこちら(タップして表示)

中納言(藤原隆家)が参上なさって、(中宮に)御扇をさしあげなさるときに、

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「中納言」とは「藤原隆家」のことです。藤原隆家は中宮定子の弟です。藤原隆家も中宮定子も、2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、非常に魅力的な人物に描かれていました。「中納言参りたまひて」はこの藤原隆家が、中宮の住む屋敷にやってきた時のお話です。

「参りたまひて」は、「参り」(謙譲語)と「たまひ」(尊敬語)が合わさった「二方面敬語」になります。また、「御扇奉らせたまふに」の「奉らせ」(謙譲語)と「たまふ」(尊敬語)も同じく「二方面敬語」です。「二方面敬語」と言われて「??」となる人はぜひ、以下をタップして学習してみてください。

まずは、この箇所の解釈をしてみましょう。「参りたまひて」の「参る」は謙譲語の動詞で「参上する」、「給ふ」は尊敬語の補助動詞で「〜なさる」です。そうすると、

「中納言が参上なさって」

と解釈できます。次に、「御扇奉らせたまふに」の「奉らせ」は謙譲語の補助動詞で「差し上げる」、「たまふ」は同じく尊敬語の補助動詞です。「に」は時を表す格助詞ととって、「に」の前に「とき」を補ってやると、

「御扇を差し上げなさるときに」

と解釈できます。ただ、「奉らせたまひて」には少し疑問が残ります。以下のように思った人もいるのではないでしょうか。

「奉ら」が謙譲語の補助動詞、「せ」が尊敬の助動詞、「たまひ」が尊敬語の補助動詞

文法的には間違いないですが、おそらくこの解釈は正しくありません。その理由は次の敬意の方向の解説でお話しましょう。

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敬意の方向

次に敬意の方向を確認します。まず「参りたまひて」の「動作をする人」と「動作を受ける人」を考えます。「動作をする人」に敬意を払うのが尊敬語「動作を受ける人」に敬意を払うのが謙譲語です。つまり、「誰が参上したのか」と「誰のもとへ参上したのか」を考えればよいわけです。「誰が」は明示されている通り「中納言」です。では、「誰のもとへ」参上したのか。「自分(作者清少納言)のもとへ」と考えるのが自然ですが、通常自分には敬意を払いません。ということは、「自分のもとにいる敬意を払うべき人物」となりますよね。もちろん、それは中宮です。よって、「中納言が中宮のもとへ参上した」ということになることがわかりました。そうすると、「参り」は謙譲語ですから、「誰のもとへ」に当たる「中宮」への敬意「たまひ」は「誰が」に当たる「中納言」への敬意となるわけです。また、ここは地の文ですから、

「参り」…作者から中宮への敬意
「たまひ」…作者から中納言への敬意

となるわけです。同様に「奉らせたまふ」を考えます。「奉る(奉らす)」は謙譲で「差し上げる」という意味です。詳しくは「【古典文法】本動詞の用法」で確認してください。以下のボタンをタップ!

ここも、「誰が差し上げたのか」「誰に差し上げたのか」を考えます。文が「参りたまひて」と「て」でつながっているので、主語は変わりません。よって、「中納言が中宮に差し上げた」ということになります。そうすると、「奉らせ」は謙譲語の動詞なので「誰に」にあたる「中宮」への敬意「たまひ」は尊敬語なので「誰が」にあたる「中納言」への敬意となることがわかります。ここも地の文ですから、

「奉らせ」…作者から中宮への敬意
「たまふ」…作者から中納言への敬意

ということになります。

最後に、なぜ「奉らせ」と「たまひ」に分けるのかという疑問に回答します。これは「たまひ」の敬意が中納言だからです。作者中宮定子は、敬語を明確に使い分けています。二重尊敬や敬意の高い動詞(例:「おはします」「のたまはす」等)は中宮や帝にしか使いません。よって、「奉る」を中宮の敬意にしてしまうと、「せ」と「たまひ」がどちらも中納言の敬意になってしまい、中納言に二重尊敬を使用することになるため、「奉らす」という語と考えて中宮への敬意を払う言葉とし、「たまひ」のみが中納言への敬意だと考えるのが適切だということになるのです。

②隆家こそいみじき骨は得てはべれ。

(訳)はこちら(タップして表示)

私隆家はたいそうすばらしい(扇の)骨を手に入れています。

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まずはじめに、ここは会話文です。古文や漢文で名前に敬称がつけられずに呼ばれることは通常ありません。よほど相手を罵って言う場面のみです。ではそれ以外に敬称がつけられないのはどのような時でしょうか。それは「自分自身」を言う時です。今でも特に女性は自分のことを名前で読んだりしますね。古文を解釈するときに、このような場面にでくわしたら、名前の直前に「私」をつけると美しい訳になります。中納言隆家が、中宮定子に向かって話をしている場面です。

次に「こそ」は「はべれ」に係る、係り結びを作る強意の係助詞です。
「いみじき」はシク活用形容詞「いみじ」の連体形です。意味は以下のとおりです。

「いみじ」(形容詞・シク活)
 1たいそうすばらしい/ひどい

 2(「いみじく」で)たいそう、非常に

「いみじ」は、漢字を当てると「みじ」となるので、本来的には「(不吉なほどに)程度が甚だしい」という意味の語になりますが、「いみじ」はそこまで「不吉」なニュアンスは含まれません。似たような語で「ゆゆし(し)」というのがありますが、こちらには「不吉だ」という意味がより強く表れます。通常、「いみじ」は「程度が甚だしくすばらしい」か「甚だしくひどい」かのどちらかの意味になります。つまり、「プラスの意味」か「マイナスの意味」かを場面に応じて判断しなければならないということです。もちろん、ここでは「たいそうすばらしい」という意味です。

最後に「骨は得てはべれ」です。「骨」は扇の骨のことです。先程「御扇を奉らせたまふ」と扇を差し上げているので、この「(扇の)骨」は別の扇だと考えられます。「得」はア行下二段活用動詞の連用形で「手に入れる」という意味です。ア行の活用をする動詞はこれだけなので、よく動詞の問題で出題されます。よく出題される動詞について学習したい場合は以下のボタンをタップしてください。

「はべれ」は「こそ」の結びなので已然形です。この「はべり」は丁寧語の動詞ですので「です/ます」と訳しますが、ここでは「います」と訳したほうがすっきりします。丁寧語は原則として「話し手から聞き手」からの敬意を表す語ですから、

「はべれ」…中納言から中宮への敬意

となります。以上をまとめると、

私隆家はたいそうすばらしい(扇の)骨を手に入れています。

という訳になるわけです。敬意の方向がよく分からなかったので、改めて学習したいという人は以下のボタンをタップしてください。

③それを張らせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。

(訳)はこちら(タップして表示)

(すばらしい骨に)それ(良質な紙)を張らせて(中宮に)差し上げようとするが、並一通りの(平凡な)紙は張ることができそうにないので、(良い紙を)探し求めているのです。

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「それを張らせて」は訳しにくいです。その理由は「それ」が何を指すか分かりにくいからです。通常、「それ」などの指示語は直前を指すものですが、それでは「張らせて」に繋がりません。「何を」張らせるのかというのは、後ろを読むとわかります。もちろん、「紙」ですね。ただ、「いみじき骨」に張るものなので「おぼろけの紙」ではなく「良質の紙」になります。「張らせて」の「せ」は使役の助動詞「す」の連用形ですから、

(すばらしい骨に)それ(良質な紙)を張らせて

と解釈できます。次に「参らせんとするに」ですが、「参らす」は謙譲語の動詞で「差し上げる」という意味です。これも先程の「奉る」と同様、敬語動詞になります。詳しくは以下のボタンをタップして確認してみてください。

「参らせむ」の「む」は助動詞「む」ですが、ここでは「中宮に差し上げよう」と解釈するのが自然なので「意志」になります。「に」を接続助詞と考えて、

(中宮に)差し上げようとするが、

と解釈します。その次は「おぼろけの紙はえ張るまじければ」です。「おぼろけの」は形容動詞「おぼろけなり」の語幹に格助詞の「の」がついた形です。「おぼろけなり」は次の意味になります。

「おぼろけなり」(形容動詞・ナリ活)
 1並一通りだ/ふつうだ

 2並一通りでない/格別だ

1と2は真逆の意味ですが、これには理由があります。この語は多くが打消や反語を伴って用いる語なのです。なので、打消を伴って「並一通りでない」と解釈することが多かったのですが、次第に「おぼろけなり」の中に「打消」の意味を含めてしまうようになって、2の意味が出来上がったということです。
今回は珍しいのですが、「打消」を伴わない「1並一通りだ/普通だ」の意味になっています。

さらに、「えーー打消」という「呼応の副詞」が用いられています。

「えーー(打消)」
 ーーできない

「え」の語源はア行下二段活用の「得(う)」です。下に肯定的な表現を伴うこともあり、そのときは「よくーーしうる」と訳します。関西地方では今も「ようーーせえへん」と言いますが、これは「ーーできない」という意味の柔らかい表現です(柔らかく感じない??)。この「よう」が古文の「え」です。
今回は打消推量の助動詞「まじ」の已然形につながっていますので、「え張るまじければ」は、

張ることができそうにないので、

と解釈すればよいことになります。最後に「求めはべるなり」です。「求め」は「探し求める」でよいでしょう。良質な紙を探していると言っている場面です。「はべるなり」の「はべる」は丁寧語の補助動詞ですので、「ーーです/ます」と訳します。また、「なり」はこの場合、文法的には「断定の助動詞」とも「伝聞推定の助動詞」とも取ることができます。その場合は内容で考えるしかありません。隆家が自分の行動を述べている箇所ですから、ここは「断定の助動詞」と取るのが適切です。よって、

(良い紙を)探し求めているのです。

と訳せば、内容を取ることができます。

敬意の方向

「参らせむ」の「参らせ」は謙譲語の動詞ですので、「誰に」差し上げるのかを考えます。もちろん、「中宮に」ですよね。今回は会話文ですから、「話し手」が誰かを考える必要があります。「話し手」は「中納言(隆家)」です。よって、「中納言(隆家)の中宮に対する敬意」となります。

「求めはべるなり」の「はべる」は丁寧語の補助動詞です。丁寧語は原則「話し手」から「聞き手」への敬意でしたね。「話し手」は「中納言(隆家)」、「聞き手」は「中宮」です。よって、「中納言(隆家)の中宮に対する敬意」となります。結果として2つとも同じになりましたが、意味は全く異なります。

「参らせ」…中納言(隆家)から中宮への敬意
「はべる」…中納言(隆家)から中宮への敬意

この文の後に「申し給ふ」(訳:申し上げなさる)とあるので、ここも敬意の方向を確認しておきましょう。「申し」は「言ふ」の謙譲語で「申し上げる」という意味、「給ふ」は尊敬語の補助動詞です。この場面は、直前のセリフが「隆家が中宮に」話していることがわかっていれば容易です。謙譲語は、「誰にする(申し上げる)」のか、尊敬語は「誰がする(申し上げる)」のかに注目するのでしたね。「誰に」は「中宮に」、「誰が」は「中納言(隆家)が」です。また、ここは地の文ですから、敬意の方向は以下の通りになります。

「申し」…作者から中宮への敬意
「給ふ」…作者から中納言(隆家)への敬意

④「いかやうにかある。」と問ひきこえさせたまへば、

(訳)はこちら(タップして表示)

(中宮が)「(その骨は)どのようであるのか。」と尋ね申し上げなさると、

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「いかやうに」の「いか」は疑問詞全般を表しますが、「やうに」があるので、ここは「どのように」となります。ただ、「どのようにある」では訳としてイマイチなので「どのようであるか」などと訳した方がよいでしょうね。中宮が扇の骨の状態を訪ねています。
次に「問ひきこえさせたまへば」ですが、「きこえ」は謙譲語の補助動詞「聞こゆ」の未然形、「させ」は尊敬の助動詞「さす」の連用形、「たまへ」は尊敬語の補助動詞「給ふ」の已然形です。今回の「さす」は助動詞と取ります。直前のセリフは「中宮」の発言だからです。謙譲語の補助動詞は「〜申し上げる」、尊敬語の補助動詞は「〜なさる」と訳せばよいので、ここの訳は、

(中宮は中納言(隆家)に)訪ね申し上げなさると、

となります。

敬意の方向

先ほども挙げた通り、「きこえ」は謙譲語の補助動詞、「させ」は尊敬の助動詞「さす」、「たまへ」は尊敬語の補助動詞です。「させたまへ」は二重尊敬になっています。謙譲語は「誰に」尊敬語は「誰が」尋ねるのか分かればよいのですから、それを確認します。「大納言(隆家)に」「中宮が」訪ねたのでしたね。ここは地の文ですから、敬意の方向は以下の通りになります。

「きこえ」…作者から大納言(隆家)への敬意
「させ」…作者から中宮への敬意
「たまへ」…作者から中宮への敬意

おわりに(テスト対策へ)

テスト対策へ

今回は、『枕草子』の「中納言参り給ひて」の前半部についてお話しました。一通り学習を終えたら、今度はテスト対策編もご覧ください。

お話の続き(第2回)について

この後、中納言隆家は自分が持ってきた扇の骨を自慢するのですが、作者清少納言は上手な返しをします。その詳しい内容など、続きの解説の希望があれば、後半部も公開します。以下からご連絡ください。

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