このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。また、テスト前に学習すると、これだけ覚えておいたらある程度の点数は取れるという「テスト対策」にも多くの分量を割いて説明します。
はじめに
今回は『平家物語』「木曽殿の最期」の第2回です。前回の内容や出典である『平家物語』については第1回で説明していますので、詳細は以下をタップしてご覧ください。


前回は、木曽殿が最後の戦いをするにあたって、寵愛していた巴を逃がしたシーンまでだったね。
前回の復習
簡単にまとめると以下のとおりです。
・木曽義仲(木曽殿)の武器や鎧、乗っている馬などの説明
・木曽殿が名乗りを挙げて、相手方に進軍する
・甲斐一郎次郎、土肥二郎実平の兵を突破
・木曽殿はとうとう残り5騎になる
・木曽殿は寵愛する巴に逃げるよう説得する
・巴は最後の戦いを仕掛け、東国へ落ちていく




「木曽殿の最期」読解のコツ&現代語訳 第2回
古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。
何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。


本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。
簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。
古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。


step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。



『平家物語』は口語体のため、読みやすいですが、文章は非常に長くなります。今回は3回中の第2回です。
本文を読む
何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。特に初めて読むときは、意味調べはせずに読んでみましょう。今回は特に登場人物をしっかり確認し、それぞれがどのようなことを言っているか、どのような行動をしているかを考えていきましょう。




今井四郎・木曽殿、主従二騎になつてのたまひけるは、「日ごろはなにともおぼえぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや。」今井四郎申しけるは、「御身もいまだ疲れさせ給はず。御馬も弱り候はず。なにによつてか一両の御着背長を重うはおぼしめし候ふべき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさはおぼしめし候へ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎とおぼしめせ。矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢仕らん。あれに見え候ふ、粟津の松原と申す。あの松の中で御自害候へ。」とて、打つて行くほどに、また新手の武者五十騎ばかり出できたり。「君はあの松原へ入らせ給へ。兼平はこの敵防き候はん。」と申しければ、木曽殿のたまひけるは、「義仲都にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れくるは、汝と一所で死なんと思ふためなり。ところどころで討たれんよりも、ひとところでこそ討ち死にをもせめ。」とて、馬の鼻を並べて駆けんとし給へば、今井四郎馬より飛び降り、主の馬の口に取りついて申しけるは、「弓矢とりは、年ごろ、日ごろいかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、ながき疵にて候ふなり。御身は疲れさせ給ひて候ふ。続く勢は候はず。敵に押しへだてられ、いふかひなき人の郎等に組み落とされさせ給ひて、討たれさせ給ひなば、『さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、それがしが郎等の討ちたてまつたる』なんど申さんことこそ口惜しう候へ。ただあの松原へ入らせ給へ。」と申しければ、木曽、「さらば。」とて、粟津の松原へぞ駆け給ふ。(『平家物語』より)
登場人物の確認
第2回の登場人物は以下のとおりです。
・木曽殿(左馬頭兼伊予守、朝日の将軍、源義仲)→主人公
・今井四郎兼平→義仲の忠臣、兼平の父が義仲を養育した
内容を簡単に理解
・今井兼平と二人きりになった木曽殿は弱音を吐く
・今井兼平は木曽殿を叱咤激励し、粟津の松原で自害するよう進言する
・木曽殿は今井兼平と一緒に死にたい、同じところで討ち死にすればよいと言う
・今井兼平は、武士が下級兵に殺されるのは恥なので、自害するよう強く進める
・木曽殿は、今井兼平の意見を受け入れる
理解しにくい箇所の解説を見る
本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。
④兼平一人候ふとも、余の武者千騎とおぼしめせ。矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢仕らん。
⑤義仲都にていかにもなるべかりつるが
⑥弓矢とりは、年ごろ、日ごろいかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、ながき疵にて候ふなり。



とうとう木曽殿(義仲)は今井四郎兼平と主従二騎になってしまいます。そこで、木曽殿は、「日ごろは何とも感じない鎧が、今日は重くなったぞ。」と弱音を吐きます。そこで今井四郎は、「お身体もまだ疲れていらっしゃいません。お馬も弱ってはおりません。どうして一両の御着背長を重くお感じになるのでしょうか。それは味方に軍勢がおりませんので、気後れからそのようにお思いになるのです。」と木曽殿を鼓舞します。
では、④までの本文を解釈してみましょう。
今井四郎・木曽殿、主従二騎になつてのたまひけるは、「日ごろはなにともおぼえぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや。」今井四郎申しけるは、「御身もいまだ疲れさせ給はず。御馬も弱り候はず。なにによつてか一両の御着背長を重うはおぼしめし候ふべき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさはおぼしめし候へ。
(訳)はこちら(タップで表示)
今井四郎と木曽殿が、主従二騎になって(木曽殿が)おっしゃったことには、「普段は何とも思わない鎧が、今日は重くなったぞ。」今井四郎が申し上げたことには、「お身体もまだ疲れていらっしゃいません。お馬も弱ってはおりません。どうして一両の御着背長を重くお感じになるのでしょうか。それは味方に軍勢がおりませんので、臆病な気持ちからそのようにお思いになるのです。
④兼平一人候ふとも、余の武者千騎とおぼしめせ。矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢仕らん。
(訳)はこちら(タップで表示)
私兼平一人(だけ)のお仕えであっても、他の武者千騎とお思いください。矢が七本八本ありますので、しばらく防ぎ矢をいたしましょう。


ここは、敵の兵に殺されてしまわないように主君である義仲を守り、「粟津の松原」という場所で義仲に自害を勧める場面です。四方を敵に囲まれてしまっている場面で、しかも家来は兼平一人、絶体絶命の状況ですが、それでも兼平は主君を守り抜くため、義仲を鼓舞します。
軍記物語や漢文の文章を読む時によく出てきますが、会話文で名前に敬称がついていない場合、その多くは自分自身のことを指します。(まれに、相手を罵って言う場合もありますが…)。ですので、この「兼平」は「私、兼平」と訳すとより理解しやすいと思います。
次に敬語についてです。ここでは4つの敬語がありますので、一つずつ丁寧に見ていきます。
「候ふ(さうらふ)」(動・ハ四)
1(謙譲語)おそばにお控えする
お仕え申し上げる
2(丁寧語)あります/ございます
3(丁寧語)【補助動詞】ーーです/ます/ございます
軍記物語では「候ふ」は原則として「そうろう」と読みます。ここでは2つの「候ふ(候へ)」がありますが、前者は謙譲語の「(木曽殿に)お仕えする」、後者は丁寧語の「(矢が)あります」とするのがよいでしょう。
また、「おぼしめせ」は「思ふ」の尊敬語ですが、命令形になっています。尊敬語の命令形は「おーー(になって)ください」と訳すと自然な感じになります。よって、ここでは「お思い(になって)ください」と訳すとよいわけです。
最後に「仕る」です。これは「つかまつる」と読みます。「仕うまつる」となることもありますが、元々は「仕へ奉る」で、それが言いやすいように転じた言葉です。
「つかまつる」「つかうまつる」(動・ラ四)
1(謙譲語)お仕え申し上げる(←「仕ふ」)
2(謙譲語)ーー(し)申し上げる/いたす(←「す」)
ここは、2の「す」の謙譲語です。主君を逃がすために「防ぎ矢を『する』」ことを謙譲語で表現しています。ですので、「防ぎ矢をいたす/申し上げる」となります。「仕らん」の「ん」は撥音便化していますが、意志を表す助動詞「む」です。
以上をまとめると、
「私兼平一人(だけ)のお仕えであっても、他の武者千騎とお思いください。矢が七本八本ありますので、しばらく防ぎ矢をいたしましょう。」
となります。
では、⑤までの文章を解釈してみましょう。
あれに見え候ふ、粟津の松原と申す。あの松の中で御自害候へ。」とて、打つて行くほどに、また新手の武者五十騎ばかり出できたり。「君はあの松原へ入らせ給へ。兼平はこの敵防き候はん。」と申しければ、木曽殿のたまひけるは、
(訳)はこちら(タップで表示)
あそこに見えますのは、粟津の松原と申します。あの松原の中でご自害なさいませ。」と言って、(馬に鞭を)打って行くうちに、また新手の武者が五十騎ほど出てきた。(今井四郎が)「殿はあの松原へお入りください。兼平はこの敵を防ぎましょう。」と申し上げたところ、木曽殿がおっしゃったことには、
⑤義仲都にていかにもなるべかりつるが
(訳)はこちら(タップで表示)
私義仲は都でどうにでもなるはずだった(=討ち死にするはずだった)が、


「いかにもなる」は直訳すると「どうにでもなる」ですが、これは暗に「死」を意味する表現です。穢れとされる「死」という言葉は用いずに、このように言うのです。ここでは、「戦いで討ち死にする」という意味を表します。
このような表現は実は他にもあって、ここでまとめておきます。
「死ぬ」の婉曲表現
「いたづらになる」
「はかなくなる」
「むなしくなる」
「あさましくなる」
「いかにもなる」
「いかにもなるべかりつる」の「べかり」は当然を表す助動詞「べし」の連用形、「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形です。これで、「討ち死にするはずだった」と訳せます。
では、⑥までの文章を解釈してみましょう。
「義仲都にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れくるは、汝と一所で死なんと思ふためなり。ところどころで討たれんよりも、ひとところでこそ討ち死にをもせめ。」とて、馬の鼻を並べて駆けんとし給へば、今井四郎馬より飛び降り、主の馬の口に取りついて申しけるは、
(訳)はこちら(タップで表示)
私義仲は都でどうにでもなるはずだった(=討ち死にするはずだった)が、ここまで逃げてきたのは、おまえ(=今井四郎)と同じ場所で死のうと思うためである。別々の場所で討たれるよりも、同じ場所で討ち死にをしよう。」と言って、(義仲)は馬の鼻を並べて駆け出そうとなさるので、
今井四郎は馬から飛び降りて、主君の馬の口取りついて申し上げたことには、
⑥弓矢とりは、年ごろ、日ごろいかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、ながき疵にて候ふなり。
(訳)はこちら(タップで表示)
武士は、長年、常日頃どのような名声がございましても、最期の(死ぬ)時に不覚を取ってしまうと、末代までの不名誉でございます。


ここは、当時の武士の価値観が現れている箇所です。「ながき疵」は「これから長い間続く自分や一族にとってのきず」、言い換えると「末代までの不名誉」を表します。「年ごろ」が「長年」、「候ふ」が丁寧語で、「あります、ございます」を表すことが分かれば、解釈は難しくないでしょう。
なお、助動詞は「しつれば」の「つれ」が完了の助動詞「つ」の已然形、「疵にて」の「に」が断定の助動詞「なり」の連用形です。
⑦御身は疲れさせ給ひて候ふ。
(訳)はこちら(タップで表示)
(あなた様の)お体は疲れていらっしゃいます。


先ほど、今井は「御身もいまだ疲れさせたまはず」(お体もまだお疲れになっていない)と言っていたのに、ここでは逆のことを言っています。これは、前者が意気消沈している義仲を鼓舞するために言った言葉で、後者は敵に殺されないように自害することを勧める言葉だったためです。「もう疲れているので、これ以上戦ったら敵に殺されてしまうかもしれない。それが格下の武士だったら末代までの恥になる」そうならないように、今井は言っているわけです。
また、「疲れさせ給ひ」の「させ」は尊敬の助動詞「さす」の連用形、「給ひ」は尊敬語の補助動詞です。「候ふ」は丁寧語の補助動詞として扱います。「(て)候ふ/(て)侍り」は一般的に補助動詞とする辞書や文法書が多いようです。



さらに、今井四郎は、
「続く軍勢はおりません。敵に二人の間を無理に隔てられ、取るに足りない者の家来に組み落とされなさって、討たれてしまわれるのはよくありません」
とたたみかけます。
⑧さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、それがしが郎等の討ちたてまつたる
(訳)はこちら(タップで表示)
あれほど日本(中)で評判でいらっしゃった木曽殿を、だれそれの家来が討ち申し上げた


「さばかり」は「さ+ばかり」で、「それほど/あれほど」という意味です。「聞こえ」は、ここでは敬語ではありません。では、敬語動詞も含めて「聞こゆ」を説明します。
「聞こゆ」(動・ヤ下二)
1 聞こえる
2 うわさされる/評判になる
3(謙)申し上げる(←「言ふ」)
4(謙)【補】ーー申し上げる
「聞こゆ」の「ゆ」は、主に奈良時代に用いられた助動詞「ゆ」で、「自発」や「受身」を表します。ですので、「聞こえる」が第一義です。多くの人に「聞こえる」と「うわさされる」や「評判になる」という意味になります。それが「高貴な人の耳に『聞こえる』ようにする」と考えると、(高貴な人に)「申し上げる」という意味にもなるわけです。ここでは「日本国に」とあるので「うわさされる/評判になる」という意味が合うでしょう。
「聞こえさせ給ひ」の「させ」と「給ひ」は、⑦と同じく「させ」が尊敬の助動詞「さす」の連用形、「給ひ」が尊敬語の補助動詞です。また、「討ちたてまつたる」の「たてまつ」は、「たてまつり」が促音便化されて「たてまつっ(たる)」となっているのですが、「っ」が表記されていない形となっています。この「たてまつ(り)」は謙譲語の補助動詞で、全体が「討ち申し上げた」と解釈できます。
最後に「それがしが郎等」です。「それがし」は「某」と漢字を当てると意味は分かりますね。教科書では「それがしが」を「だれそれの」と注釈をつけているものが多いです。「郎等」は「家来」としておけばよいでしょう。以上をまとめると、
「あれほど日本(中)で評判でいらっしゃった木曽殿を、だれそれの家来が討ち申し上げた」
となります。
⑦⑧の要点をまとめると、以下のようになります。


では、今井四郎の台詞から第2回の文章の最後までを解釈してみましょう。
「弓矢とりは、年ごろ、日ごろいかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、ながき疵にて候ふなり。御身は疲れさせ給ひて候ふ。続く勢は候はず。敵に押しへだてられ、いふかひなき人の郎等に組み落とされさせ給ひて、討たれさせ給ひなば、『さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、それがしが郎等の討ちたてまつたる』なんど申さんことこそ口惜しう候へ。ただあの松原へ入らせ給へ。」と申しければ、木曽、「さらば。」とて、粟津の松原へぞ駆け給ふ。
(訳)はこちら(タップで表示)
「武士は、長年、常日頃どのような名声がございましても、最期の(死ぬ)時に不覚を取ってしまうと、末代までの不名誉でございます。(あなた様の)お体は疲れていらっしゃいます。続く軍勢はございません。敵に(二人の間を)無理に隔てられ、取るに足りない者の家来に組み落とされなさって、討たれてしまわれたならば、『あれほど日本(中)で評判でいらっしゃった木曽殿を、だれそれの家来が討ち申し上げた』などと申すようなことこそ残念でございます。(今は)ただあの松原へお入りになってください。」と申し上げたところ、木曽殿は、「そういうことならば(入ろう)。」と言って、粟津の松原へ馬を走らせなさる。
木曽殿もいよいよ自分の死について、様々な覚悟ができたようです。ここまで「木曽殿の最期」のうち、木曽殿(義仲)と木曽殿の乳母子である今井四郎兼平との最後のやりとりについて読んでいきました。信頼し合った二人のやりとりが読んでいて涙を誘いますね。読んでみてよくわからなかったところは、ぜひ解説を読んでみてくださいね。引き続き、第3回に移ります。
「木曽殿の最期」読解のコツ&現代語訳 第3回
では、始めましょう!今回は以下の3つを中心に行います。
1本文を読む
2登場人物の確認
3内容を簡単に理解
本文を読む
何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。特に初めて読むときは、意味調べはせずに読んでみましょう。今回は特に登場人物をしっかり確認し、それぞれがどのようなことを言っているか、どのような行動をしているかを考えていきましょう。






今井四郎ただ一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、鐙ふんばり立ちあがり、大音声あげて名のりけるは、「日ごろは音にも聞きつらん、今は目にも見給へ。木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、生年三十三にまかりなる。さるものありとは鎌倉殿までもしろしめされたるらんぞ。兼平討つて見参にいれよ。」とて射残したる八筋の矢を、差しつめ引きつめさんざんに射る。死生は知らず、やにはに敵八騎射落とす。その後打物抜いて、あれに馳せ合ひ、これに馳せ合ひ切つてまはるに、面を合はするものぞなき。分どりあまたしたりけり。ただ、「射とれや。」とて、中に取り込め、雨の降るやうに射けれども、鎧よければ裏かかず、空き間を射ねば手も負はず。
木曽殿はただ一騎、粟津の松原へ駆け給ふが、正月二十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷は張つたりけり、深田ありとも知らずして、馬をざつとうち入れたれば、馬の頭も見えざりけり。あふれどもあふれども、打てども打てども働かず。今井が行方のおぼつかなさに、振り仰ぎ給へる内甲を、三浦石田次郎為久、追つかかつて、よつ引いてひやうふつと射る。痛手なれば、真甲を馬の頭に当てて、うつぶし給へるところに、石田が郎等二人落ち合うて、つひに木曽殿の首をば取つてんげり。太刀の先に貫き、高く差し上げ、大音声をあげて、「この日ごろ日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、三浦石田次郎為久が討ちたてまつたるぞや。」と名のりければ、今井四郎いくさしけるが、これを聞き、「今はたれを庇はんとてか、いくさをもすべき。これを見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本。」とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。
さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。(『平家物語』より)
登場人物の確認
第3回の登場人物は以下のとおりです。
・木曽殿(左馬頭兼伊予守、朝日の将軍、源義仲)→主人公
・今井四郎兼平→義仲の忠臣、兼平の父が義仲を養育した
・三浦の石田次郎為久→三浦為継の子孫 家来二人が木曽殿の首をとる
内容を簡単に理解
・木曽殿が去った後、今井兼平は一人で敵に向かって威勢よく名乗りを上げる
・今井兼平は敵に矢を放つ 相手も大量の矢を放つ
・木曽殿は粟津の松原へ駆けるが、馬に乗ったまま土の深い田に入ってしまう
・三浦の石田次郎為久に追いつかれ、矢を射られてしまう
・最期は石田の家来に首をはねられる
・今井兼平は木曽殿の死を耳にして、馬から飛び落ちて自害する
文章の確認
今回は特に詳しく解説する箇所もないので、本文と現代語訳をそれぞれ見ながら内容を確認していきましょう。ところどころ、解説を挟んでいます。
今井四郎ただ一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、鐙ふんばり立ちあがり、大音声あげて名のりけるは、
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今井四郎はただ一騎、五十騎ほどの(敵の)中に駆け入り、鐙をふんばって立ち上がり、大声をあげて名のったことには、
「日ごろは音にも聞きつらん、今は目にも見給へ。木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、生年三十三にまかりなる。さるものありとは鎌倉殿までもしろしめされたるらんぞ。兼平討つて見参にいれよ。」
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「ふだんは(きっと)噂にでも聞いているであろう、今はその目でご覧になれ。(私は)木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、年は三十三歳になり申す。そのような者がいるとは鎌倉殿(頼朝)までもご存じでいらっしゃるだろうよ。私兼平を討ち取って(私の首を鎌倉殿に)ご覧に入れよ。」



「乳母子」とは、「乳母の実の子」を指します。当時、高貴な貴族や武士は、母親が子を直接育てず、同じ年頃の子を持つ家来に育てさせていました。その家来を「乳母」というのですが、「乳母子」と高貴な貴族や武士の子は、本当の兄弟みたいに仲が良く、強い絆で結ばれることが多くあります。
ところで、ここで出てくる助動詞の意味はわかるかな?



「聞きつらん」の「つ」は強意の助動詞、「らん」は現在推量の助動詞でしたね。



うだね。また、ここには敬語がたくさん使われているよ。「見給へ」の「給へ」は尊敬語の補助動詞、「しろしめす」が「知る」の尊敬語だということだけは覚えておいた方がいいよ。
とて射残したる八筋の矢を、差しつめ引きつめさんざんに射る。死生は知らず、やにはに敵八騎射落とす。その後打物抜いて、あれに馳せ合ひ、これに馳せ合ひ切つてまはるに、面を合はするものぞなき。
(訳)はこちら(タップで表示)
と言って射残していた八本の矢を、弓に次々につがえては引き、激しく射る。死んだか生きているかはわからないが、たちまち敵を八騎射落とす。その後刀を抜いて、あちらに馬を走らせて戦い、こちらに馬を走らせて戦い斬って回るが、まともに立ち向かう者はいない。
分どりあまたしたりけり。ただ、「射とれや。」とて、中に取り込め、雨の降るやうに射けれども、鎧よければ裏かかず、空き間を射ねば手も負はず。
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敵を討ち取ることを数多くしたのだった。(敵は)ただ、「射殺せ。」と言って、中に取り囲んで、雨が降るように(矢を)射たが、鎧がいいので(矢が)鎧の裏側まで貫通せず、鎧のすき間を射ないので傷も負わない。



今井兼平は、ここでも木曽殿の最後の家来らしく、大将を守り戦い抜きます。
木曽殿はただ一騎、粟津の松原へ駆け給ふが、正月二十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷は張つたりけり、深田ありとも知らずして、馬をざつとうち入れたれば、馬の頭も見えざりけり。
(訳)はこちら(タップで表示)
木曽殿はただ一騎で、粟津の松原へ馬を走らせなさると、正月二十一日の、夕暮れ時のことである上に、薄氷が張っていた(ので)、深田があるともわからないで、馬をざぶんと乗り入れたので、(深く田に沈んで)馬の頭も見えなくなった。
あふれどもあふれども、打てども打てども働かず。今井が行方のおぼつかなさに、振り仰ぎ給へる内甲を、三浦石田次郎為久、追つかかつて、よつ引いてひやうふつと射る。
(訳)はこちら(タップで表示)
あおってもあおっても、(鞭で)打っても打っても動かない。今井の行方が気がかりで、振り返って仰ぎ見なさった甲の内側を、三浦の石田次郎為久が、追いついて、(弓を)よく引き絞ってひょうふっと射る。



「ひやうふつ」は擬音語で、「ひょうふっ」と訳しますが、矢が飛ぶ音と思ってもらったらいいでしょう。
痛手なれば、真甲を馬の頭に当てて、うつぶし給へるところに、石田が郎等二人落ち合うて、つひに木曽殿の首をば取つてんげり。
(訳)はこちら(タップで表示)
(矢が命中し)深い傷なので、甲の前面部を馬の頭に当てて、うつ伏しなさったところに、石田の家来二人が来合わせて、とうとう木曽殿の首を取ってしまった。



「取つてんげり」は「取りてけり」が音便化したものです。「てけり」は説明できますね。



はい。「て」は完了の助動詞「つ」の連用形、「けり」は過去の助動詞「けり」の終止形です。もう分かるようになりました!
太刀の先に貫き、高く差し上げ、大音声をあげて、「この日ごろ日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、三浦石田次郎為久が討ちたてまつたるぞや。」と名のりければ、
(訳)はこちら(タップで表示)
(首を)太刀の先に貫いて、高く差し上げ、大声をあげて、「この常日頃日本国で評判でいらっしゃった木曽殿を、三浦の石田次郎為久がお討ち申したぞ。」と名のったので、



聞こえさせ給ひ」は「させ」が尊敬の助動詞「さす」の連用形、「給ひ」が尊敬語の補助動詞で二重尊敬になっています。また、「討ちたてまつたる」の「たてまつ(る)」は謙譲語の補助動詞ですね。訳し方は敬語の項目で確認してください。
今井四郎いくさしけるが、これを聞き、「今はたれを庇はんとてか、いくさをもすべき。これを見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本。」とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。
(訳)はこちら(タップで表示)
今井四郎は戦っていたが、これを聞いて、「今となっては、誰をかばおうとして、いくさをしようか、いや、するつもりはない。これをご覧なさい、東国の殿たち、日本一の剛勇の者が自害する手本だ。」と言って、太刀の先を口に含み、馬から逆さまに飛び落ちて、(太刀に)貫かれて死んでしまった。



「庇はんとてか」の「か」反語です。反語は否定の強調で、「ーーか、いや、ーーない」と訳します。
さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。
(訳)はこちら(タップで表示)
そういうわけで粟津のいくさは終わったのである。



最後の一文が『平家物語』らしく、無常観を感じさせるような書き方になっているね。
おわりに
今回で「木曽殿の最期」は終わりです。『平家物語』は単なる戦いの記録ではなく、そこに様々な人間模様が現れているのが非常に面白いですね。『平家物語』は様々な入門書や漫画、アニメも作られているので、時間があるときにぜひ見てみてください。アニメはAmazonプライムなどで見ることができますよ。『平家物語』だけでなく、古文の様々な物語に触れて、古文を得意にしてくださいね。
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