このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。
はじめに

先生、今回は『徒然草』の一つだと思うのですが、このお話はどのような内容ですか。



今回は初心者がどのようなことに気をつければよいかということが書かれている文章です。古典の学習に慣れてきた人たちも、ここで改めて初めて学習した頃の気持ちを思い出したいですね。
「ある人、弓射ることを習ふに」読解のコツ&現代語訳
今回は『徒然草』第九十二段(ある人、弓射ることを習ふに)で、初学者の極意を話した文章です。最初に、『徒然草』についてまとめておきます。下の板書を見てください。





作者と成立時代、「無常観」というキーワードは覚えておきたいね!
それでは、古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。
何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。


本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。
簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。
古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。


step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。
本文を読む
何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。


ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ。」と言ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、自ら知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。
道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。いはんや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき。(『徒然草』より)
文章を読むことができたら、下の「登場人物の確認」「内容を簡単に理解」を読んで、自分の理解と合っていたかを確認します。
登場人物の確認
- ある人
- 師
「ある人」と「師」のやりとりを通して、「道を学する人(仏道修行をする人)」や、さらには一般的にも「すぐに実行することの難しさ」について説いています。
お話を簡単に理解
- ある人が弓を射ることを習うときに、二本の矢を持って的に向かう
- 師は「初めの矢をおろそかにするので、二本の矢を持つな」という
- 初学者が自分では分かっていなくても、師は怠け心が生まれることが分かっている
- この戒めはあらゆることにわたる
- 仏道を修行する人は、後になってもう一度ゆっくりと修行しようと考える
- これが「怠け心」であるが、弓を射るような一瞬間にも「怠け心」があることを知らない
- すぐに実行することが非常に難しい
今回はお話というよりも、意見文や評論などに近いですね。作者の主張をしっかりと理解していきましょう。「懈怠の心(怠け心)」がどういうものだと作者が言っているか、考えながら読んでいきます。
理解しにくい箇所の解説
本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。
- のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。
- 一つをおろかにせんと思はんや。
- 重ねてねんごろに修せんことを期す。
- いはんや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。
- なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき。



ある人が弓を射ることを習うときに、二本(で一対)の矢を持って的に向かいました。そのとき師は「初学者は二つの矢を持ってはならない」といいます。一体それはなぜなのでしょうか?
初めに、①までの文章を解釈してみましょう。
ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。
(訳)はこちら(タップで表示)
ある人が、弓を射る(=矢を射る)ことを習うときに、二本(で一対)の矢を手にはさみ持って的に向かう。師匠が言うには、「初心者は、(的に向かうとき)二本の矢を持ってはならない。
①後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり
(訳)はこちら(タップで表示)
(人間には)後の矢(二本目)をあてにして、初めの矢(一本目)をおろそかにしてしまう心がある


ここは、「頼む」と「なほざり」の二語を覚えましょう。
たのむ
「頼む」(動)
(マ四)あてにする・頼る・期待する
(マ下二)あてにさせる・頼りにさせる・期待させる
まだ慌てて覚えなくてもよいですが、「頼む」は活用の種類によって意味が異なります。今回は通常の四段活用で、「あてにする」です。
なほざり
「なほざり」(名)
=おろそか・いい加減
この後、師は「二本持たずに、一本で決めようと思え」という。それは一本目に「怠け心」が生まれるからだと言っています。でも、そう言われても以下のように思うのではないでしょうか。
では、②までの本文を解釈してみましょう。
のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ。」と言ふ。わづかに二つの矢、
(訳)はこちら(タップで表示)
(人間には)後の矢(二本目)をあてにして、初めの矢(一本目)をおろそかにしてしまう心がある。(初心者は矢を)射るそのたびごとにただ成功失敗を考えることなく、この一本の矢で決めようと思え。」と言う。(さて初心者が)たった二本の矢(なのに)、
②一つをおろかにせんと思はんや
(訳)はこちら(タップで表示)
(最初の)一つ(の矢)をいい加減にしようと思うだろうか、いや、思うはずがない。


「おろかに」は「おろかなり」の連用形ですが、これは重要古語です。
おろかなり
「おろかなり」(形動・ナリ活)
1おろそかだ・いい加減だ
2言い尽くせない(「言ふもおろかなり」の略)
3愚かだ・未熟だ
ここでは、1の「いい加減だ」をとります。
「せん」の「ん」は意志の助動詞「む」、「思はん」の「ん」は推量の助動詞で、いずれも撥音便です。助動詞「む」は様々な意味があるので、しっかりと学習しておきましょう。
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「や」(「か」)は、「疑問」の意味と、強い否定を表す「反語」(〜か、いや、〜ない)があります。ここは「反語」です。
以上をまとめると、
「一つをいい加減にしようと思うだろうか、いや、思うはずがない。」
となります。
「最初の矢をいい加減にする」心を「懈怠の心」と言っています。初学者は気づいていなくても、師はそれを知っています。作者は弓の話だけでなく、あらゆることに当てはまると言っています。



「道を学する人」つまり仏道を修行する人は、夕方には明日の朝に、朝には夕方に(じっくり修行できる)と考えています。そして・・・。
では、③までの文章を解釈してみましょう。
わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、自ら知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。
道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、
(訳)はこちら(タップで表示)
(さて初心者が)たった二本の矢(なのに)、師匠の前で(そのうちの)一本をおろそかにしようと思うだろうか、いや、思わない。なまけおこたる心は、自分ではわからないといっても、師匠はこれを知っている(のである)。この(師匠の)教訓は、(矢を射ることだけではなく)あらゆることに通じるはずだ。
仏道を学ぶ人は、夕方には翌日の朝があるようなことを思い、朝には(今日の)夕方があるようなことを思って、
③かさねてねんごろに修せんことを期す
(訳)はこちら(タップで表示)
もう一度熱心に修行しようということを心づもりする


「かさねて」は「もう一度」、「修す」は「修行する(「修行」は仏道修行、「修業」は自分の力を高める訓練など)」、「ん」は意志の助動詞「む」の撥音便形で「〜しよう」、「期す」は「心づもりをする」です。現代語に近いので、なんとか自分で解釈してほしいですね。あと、「ねんごろに」は重要古語なので、ここで覚えてしまいましょう!
ねんごろなり
「ねんごろなり」(懇ろなり)(形動・ナリ活)
=親切だ・熱心だ・親密だ



漢字で書くと「懇ろ」だね。「懇談会」や「懇親会」などで使われるから、意味がイメージしやすいね。



仏道修行は本当に大変で、朝から夜まで様々な修行が課せられ、修行者はそれを常に全力でこなしています。そのような人たちでさえも後でじっくり取り組もうと考えるわけです。一般の人たちはどうでしょうか。
④いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや
(訳)はこちら(タップで表示)
ましてや一瞬間のうちにおいて、懈怠の心(怠け心)があることを知っているだろうか、いや、知らない。


「いはんや(況んや)」は、漢文の句形(抑揚形)で出てきますが、「まして(や)」という意味を表します。「刹那」はもともと仏教用語で、最も短い時間を表す言葉ですが、「瞬間」という意味です。「知らん」の「ん」は推量の助動詞「む」の撥音便形で「〜だろう」、「や」は反語で解釈すると意味が通じていきます。



「反語」って「強い否定」のことだよね。「〜か、いや〜ない」って訳すんだって。
「一瞬間」というあまりに短い時間おいてにも「怠け心」は起こるのだと言っています。
⑤なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き
(訳)はこちら(タップで表示)
なんと、ただ今の一瞬間において(も)、すぐに実行することが非常に難しいことであることよ。


「なんぞ」は「何ぞ」なので疑問詞に見えますが、現代語でも「なんと」というと、「〜だなあ」に係っていき、詠嘆を示すことがあるように、ここでは「なんと」と訳す言葉です。また、「一念」は教科書に注があると思いますが、「瞬間」という意味で、先程の「一刹那」と同じですね。
人生でも、「次があるから」「後回しにしよう」ということが多くあると思います。人間にはそのような「怠け心」があり、今すぐにするのは難しいですが、その心に打ち勝っていくことが、何事においても成功していくことの大事な心構えなのではないでしょうか。そう言っている私が、一番耳の痛い思いをしているのですが・・・。
最後に、③を含む文章から改めて解釈しましょう。
道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。いはんや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき。
(訳)はこちら(タップで表示)
仏道を学ぶ人は、夕方には翌日の朝があるようなことを思い、朝には(今日の)夕方があるようなことを思って、(次の機会に)もう一度熱心に修行しようということを心づもりする。ましてや一瞬間のうちにおいて、懈怠の心(怠け心)があることを知っているだろうか、いや、知らない。なんと、ただ今の一瞬間において(も)、すぐに実行することが非常に難しいことであることよ。
おわりに(テスト対策へ)
以上で、「ある人、弓射ることを習ふに」の文章解説を終わります。次はテスト対策です。「テスト対策&練習問題」では、テスト前に「これだけは覚えておいてほしい」という項目をできるだけ絞って説明することで、読むだけでテスト対策が十分にできるものになっています。以下をタップして読んでみてください。
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