「ある人、弓射ることを習ふに」『徒然草』予習編

読解(予習編)

はじめに

自己紹介はこちら

 今回は『徒然草』第九十二段(ある人、弓射ることを習ふに)で、初学者の極意を話した文章です。文章が短いので今回は1回で終わらせます。最初に、『徒然草』についてまとめておきます。下の板書を見てください。

では、始めましょう!することは以下の3つです。

1本文を読む
2登場人物の確認
3お話を簡単に理解

本文を読む

 スマホの場合は画面を横にして、本文をじっくり読んでみましょう。電車やバスの中では難しいですが、自宅で読んでいる時はぜひ声に出して読んでみてください。そうすると、読みにくい箇所が分かると思います。何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。その際、意味調べなどしないことがポイントです。

登場人物の確認

 ある人 師

「ある人」と「師」のやりとりを通して、「道を学する人(仏道修行をする人)」や、さらには一般的にも「すぐに実行することの難しさ」について説いています。

お話を簡単に理解

第一段落
・ある人が弓を射ることを習うときに、二本の矢を持って的に向かう
・師は「初めの矢をおろそかにするので、二本の矢を持つな」という
・初学者が自分では分かっていなくても、師は怠け心が生まれることが分かっている
・この戒めはあらゆることにわたる
第二段落
・仏道を修行する人は、後になってもう一度ゆっくりと修行しようと考える
・これが「怠け心」であるが、弓を射るような一瞬間にも「怠け心」があることを知らない
・すぐに実行することが非常に難しい

今回はお話というよりも、意見文や評論などに近いですかね。作者の主張をしっかりと理解していきましょう。「懈怠の心(怠け心)」がどういうものだと作者が言っているか、考えながら読んでいきます。

次に、理解しにくい箇所を解説していきます。

理解しにくい箇所の解説を見る

以下の5箇所が分かれば、前半部の文章はほぼ理解できるはずです。

  • ①後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり
  • ②一つをおろそかにせんと思はんや
  • ③かさねてねんごろに修せんことを期す
  • ④いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや
  • ⑤なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き

ある人が弓を射ることを習うときに、二本の矢を持って的に向かう
師は「初学者は二つの矢を持ってはならない」という

①後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり

→(訳)(人間には)後の矢(二本目)をあてにして、初めの矢(一本目)をおろそかにしてしまう心がある

ここは、「頼む」と「なほざり」の二語を覚えましょう。

「頼む」(動)
 (マ四)あてにする・頼る・期待する
 (マ下二)あてにさせる・頼りにさせる・期待させる

まだ慌てて覚えなくてもよいですが、「頼む」は活用の種類によって意味が異なります。今回は通常の四段活用で、「あてにする」です。

「なほざり」(名)=おろそか・いい加減

この後、師は「二本持たずに、一本で決めようと思え」という。それは一本目に「なまけ心」が生まれるからだと言っています。でも、そう言われても以下のように思うのではないでしょうか。

②一つをおろそかにせんと思はんや

→(訳)(最初の)一つ(の矢)をいい加減にしようと思うだろうか、いや、思うはずがない。

「おろそかに」は重要古語です。

「おろそかなり」(形動・ナリ活)
 =おろそかだ・いい加減だ

「せん」の「ん」は意志の助動詞「む」、「思はん」の「ん」は推量の助動詞で、いずれも撥音便です。助動詞「む」は様々な意味があるので、詳しく知りたい人はこちらをご覧ください。

「や」「か」)は、「疑問」の意味と、強い否定を表す「反語」(〜か、いや、〜ない)があります。ここは「反語」です。解釈をしてみると分かるでしょう。

「最初の矢をいい加減にする」心を「懈怠の心」と言っています。初学者は気づいていなくても、師はそれを知っています。作者は弓の話だけでなく、あらゆることに当てはまると言っています。

仏道を修行する人は、夕方には明日の朝に、朝には夕方に(じっくり修行できる)と考えている

③かさねてねんごろに修せんことを期す

→(訳)もう一度熱心に修行しようということを心づもりする

「かさねて」は「もう一度」、「修す」は「修行する(「修行」は仏道修行、「修業」は自分の力を高める訓練など)」、「期す」は「心づもりをする」。現代語に近いので、なんとか自分で解釈してほしいですね。あと、「ねんごろに」は重要古語です。漢字で書くと「懇ろ」です。「懇談会」や「懇親会」などを考えると、意味がイメージしやすいでしょうか。

「ねんごろなり(懇ろなり)」
 =熱心だ・親切だ・親密だ

④いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや

→(訳)ましてや一瞬間のうちにおいて、懈怠の心(怠け心)があることを知っているだろうか、いや、知らない。

「いはんや(況んや)」は、漢文の句形(抑揚形)で出てきますが、「まして(や)」という意味を表します。「刹那せつな」はもともと仏教用語です最も短い時間を表す言葉ですが、「瞬間」という意味です。「知らん」の「ん」は推量の助動詞、「や」反語で解釈すると意味が通じていきます。

「一瞬間」というあまりに短い時間おいてにも「怠け心」は起こるのだと言っています。

⑤なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き

→(訳)なんと、ただ今の一瞬間において(も)、すぐに実行することが非常に難しいことであることよ。

「なんぞ」は「何ぞ」なので疑問詞に見えますが、現代語でも「なんと」というと、「〜だなあ」に係っていき、詠嘆を示すことがあるように、ここでは「なんと」と訳す言葉です。また、「一念」は教科書に注があると思いますが、「瞬間」という意味、先程の「一刹那」と同じですね。

人生でも、「次があるから」「後回しにしよう」ということが多くあると思います。人間にはそのような「怠け心」があり、今すぐにするのは難しいですが、その心に打ち勝っていくことが、何事においても成功していくことの大事な心構えなのではないでしょうか。そう言っている私が、一番耳の痛い思いをしているのですが・・・。

「明日やろうは馬鹿野郎」という言葉があるそうですね。これと同じ内容を700年以上前の兼好法師が言っているのが面白いです。結局人間の考え方の根本は昔から変わらないのですね。これを知るだけでも古文を学ぶ価値はあると思いますが、いかがでしょうか。

では、また復習編でお会いしましょう。

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