はじめに
自己紹介はこちら
今回は『伊勢物語』第二十三段(「筒井筒」)の第3回です。
今回は文章が長く、内容が大きく3つに分かれていますので、3回に分けて行います。
第1回は男女の恋愛について、第2回は男が別の女のもとへ行くときの女の対応について、第3回は男と別の女のやりとりについて、が大きな内容です。今回はその第3回です。
前回の復習
前回(第2回)の内容を板書で確認してください。第1回・第2回の詳しい説明は以下をご覧ください。
男は妻の愛を再確認して、新しい高安の女のもとへは行かなくなったって話だったね。
「筒井筒」予習・解説 第3回
では、第3回を始めましょう!することはいつも通り以下の3つです。
1本文を読む
2登場人物の確認
3内容を簡単に理解
本文を読む
何度も本文を読んでみて、内容を想像してみるのが予習の最も大事なことです。その際、意味調べなどしないことがポイントです。ただし、今回は3回に分けて行いますので、これはその3です。
まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、けこのうつは物に盛りけるを見て、心うがりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
と言ひて見出だすに、からうじて、大和人「来む。」と言へり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
と言ひけれど、男住まずなりにけり。
登場人物の確認
男 高安の女
第3回は、男と高安の女との関係性が描かれるので、登場人物は二人だけです。
お話を簡単に理解
・男はごくたまに高安の女のもとへ行く
・高安の女は始めこそ奥ゆかしくふるまうが、だんだんと打ち解けて、自分の手でしゃもじをとってご飯を盛る
・その様子に男はがっかりして、また通わなくなる
・そこで高安の女は大和の国を見て歌を送る
・男は「(高安の女のもとへ)行こう」というが、時間だけが過ぎる
・高安の女は改めて歌を送る
・男は通わなくなった
理解しにくい箇所の解説を見る
以下の3箇所を詳しく解説していきます。
・はじめこそ心にくくもつくりけれ、
・君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
・君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
その後、男はごくたまにですが、高安の女のもとへ行くことがありました。そこでの女の様子が次の項目です。
⑪はじめこそ心にくくもつくりけれ、
→(訳)(高安の妻は)始めこそ奥ゆかしくふるまったけれども、
「はじめこそ」の「こそ」は係助詞で、「つくりけれ」にかかっていきます。ただ、「つくりけれ」は「、」で続いているため、文は完結していません。このような「こそーー(已然形)、・・・」となる形は文を「逆接」でつなぐことになります。
「こそーー(已然形)、・・・」
=ーーけれども・・・【逆接】
次に「心にくく」ですが、これは重要古語です。
こころにくし(心憎し)
「こころにくし」(形・ク活)
(←憎らしいくらい心がひかれる)
=奥ゆかしい/すぐれている
最後に「つくりけれ」です。この「つくる」は「こしらえる」だけでなく、「する」という意味にもなります。つまり、様々な行動を「つくる」で表現できるわけです。直前が「奥ゆかしく」なので「する」でもよいですが、「ふるまう」や「取り繕う」などと訳すと自然な解釈になります。また、「けれ」は過去の助動詞「けり」の已然形です。
だんだんと妻は打ち解けていくんだけど、高安の女は自分でご飯を盛り付けるようになります。その姿に男はがっかりして、また女のもとへ行かなくなるんだ。
えぇ!?ご飯を盛り付けることの何が悪いの?
貴族の女性、特に身分の高い女性は身の回りの作業を女房にやらせているんだ。そんなことを貴族の女性がするのは無風流なことだとされていたんだね。だから、男は高安の女への気持ちが冷めてしまったんだ。今の時代では考えられないね。
このあたりの風習は、今の僕たちにはなかなか分からないことですね。
そうだね。でも、そのような時代を経て今があると知ることも大事だと思うよ。
じゃあ、次の話に進むよ。その後、通ってこなくなった男に対して、高安の女は男の住む大和の国の方を見て歌を詠みます。
⑫君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
→(訳)あなたのいらっしゃるあたりをいつでも見ていましょう。雲よ生駒山を隠してくれませんように。たとえ雨が降っても。
「君があたり」は、「あなたの(住んでいる)辺り」と「住んでいる」を補うと意味が分かりやすくなります。「見つつ」の「つつ」は「継続」を表して「見続けて」と訳します。また、「居らむ」はラ変動詞「居り」の未然形と意志の助動詞「む」の終止形です。ここで意味が切れるので二句切れの和歌になります。ちなみに、「居らむ」の直前の「を」は、調子を整える働きをしている間投助詞と呼ばれるものになります。ここまでをまとめると、「あなたの住んでいる辺りを見続けていましょう」となります。
「雲な隠しそ」は、「なーーそ」が重要古語(呼応の副詞+終助詞)です。
なーーそ
「なーーそ」(副+終助)
ーーするな。どうかーーしてくれるな。
「ーー」は連用形(カ変・サ変は未然形)
「生駒山雲な隠しそ」は格助詞がないので一見わかりにくいですが、高安の女が河内の国(大阪府)から大和の国(奈良県)を見ている場面での歌なので、内容から考えて「雲よ生駒山を隠すな」と解釈するのが自然でしょう。生駒山のある方角に男の住む大和の国があるからです。「生駒山よ雲を隠すな」では、女が雲に想いを込めていることになってしまって、文脈に合いません。また、ここでも文が切れているので、二句・四句切れの和歌だということも分かります。
最後に「雨は降るとも」は「たとえ雨は降っても」と解釈するのは容易です。ただ、この「雨」というのは、高安の女の悲しみの涙をたとえていることは分かっておいた方がよいでしょう。
以上をまとめると、次の通りになります。
→(訳)あなたのいらっしゃるあたりをいつでも見ていましょう。雲よ生駒山を隠してくれませんように。たとえ雨が降っても。
歌を見た男は、高安の女のもとへ行こう(=来む)と言いいます。高安の女は喜んで待ちますが、現れずに時間だけが過ぎていきます。
⑬君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
→(訳)あなたが「来よう」とおっしゃったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとにいつも(むなしく)過ぎ去っていますので、あてにはしないものの、あなたを恋しく思って過ごしています。
この歌も高安の女が歌ったものです。まずは上の句から解釈していきます。「来む」は高安の女への返事をそのまま使っています。「言ひし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形、「夜ごと」の「ごと」は「毎」と漢字を当てます。「過ぎぬれば」の「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、「ば」は順接確定条件の接続助詞で、「〜ので」でよいでしょう。ここまでまとめると、「あなたが『来よう』と言ったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとに過ぎていきますので、」となります。
次に下の句です。「頼まぬものの」の「頼む」は重要古語で、「あてにする」となります。実はこの単語、四段活用と下二段活用で意味が変わるのですが、ちょっとだけ、ここに記しておきます。
たのむ
「頼む」(動)
1(マ四)頼りにする/あてにする
2(マ下二)頼りにさせる/期待させる
「頼まぬものの」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形、「ものの」は逆接の接続助詞で「…けれども/…とはいうものの」という意味です。「恋ひつつぞふる」の「ふる」はハ行下二段活用動詞「経」の連体形です。以上をまとめると、次のようになります。
→(訳)あなたが「来よう」とおっしゃったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとにいつも(むなしく)過ぎ去っていますので、あてにはしないものの、あなたを恋しく思って過ごしています。
先生、高安の女はこれだけ男のことを思って歌を送ったのですから、男はそれに答えて女のもとへ行くようになったのですか?
それが、残念ながら男は通わなかったんだよ。理由ははっきりと書いていないけど、自分のことを待てずに何度も和歌を送ってくる女のことを無風流だと思ったのかな。しつこい女だと男が思ったのかもしれないね。
テスト対策 第3回
第1回・第2回のテスト対策は以下をご覧ください。
本文の確認
高安の女の行動と男が何に幻滅したのか。そんなことを思い出しながら読んでみてください。
まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、けこのうつは物に盛りけるを見て、心うがりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
と言ひて見出だすに、からうじて、大和人「来む。」と言へり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
と言ひけれど、男住まずなりにけり。
読みで問われやすい語
「大和」「生駒」くらいです。「やまと」「いこま」ですが、地名なので出題率は低いでしょう。
あらすじの確認
・男はごくたまに高安の女のもとへ行く
・高安の女は始めこそ奥ゆかしくふるまうが、だんだんと打ち解けて、自分の手でしゃもじをとってご飯を盛る
・その様子に男はがっかりして、また通わなくなる
・そこで高安の女は大和の国を見て歌を送る
・男は「(高安の女のもとへ)行こう」というが、時間だけが過ぎる
・高安の女は改めて歌を送る
・男は通わなくなった
出題ポイント
以下の項目が何も見ずに訳すことができるか確認してください。
- はじめこそ心にくくもつくりけれ、
- 君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
- 君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
はじめこそ心にくくもつくりけれ、
《出題ポイント!》
「心にくし」の意味
全体の訳出(主語も含めて)
→(訳)(高安の妻は)始めこそ奥ゆかしくふるまったけれども、
「はじめこそ」の「こそ」は係助詞で、「つくりけれ」にかかっていきます。ただ、「つくりけれ」は「、」で続いているため、文は完結していません。このような「こそーー(已然形)、・・・」となる形は文を「逆接」でつなぎ、「ーーけれども・・・」と解釈します。
次に「心にくく」ですが、「こころにくし」は「憎らしいくらい心がひかれる」という意味の語で、「奥ゆかしい/すぐれている」という意味になります。ここでは、「奥ゆかしい」でよいでしょう。
最後に「つくりけれ」です。この「つくる」は「こしらえる」だけでなく、「する」という意味にもなります。つまり、様々な行動を「つくる」で表現できるわけです。直前が「奥ゆかしく」なので「する」でもよいですが、「ふるまう」や「取り繕う」などと訳すと自然な解釈になります。もちろん、「奥ゆかしくふるまった」のは高安の女です。また、「けれ」は過去の助動詞「けり」の已然形です。以上をまとめると、下記の訳になります。
→(訳)(高安の妻は)始めこそ奥ゆかしくふるまったけれども、
打ち解けて自らご飯を盛る高安の女に、男は幻滅してしまい、また通わなくなります。
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
《出題ポイント!》
「雲なかくしそ」の訳出
句切れの位置
「雨」が何を表しているか
→(訳)あなたのいらっしゃるあたりをいつでも見ていましょう。雲よ生駒山を隠してくれませんように。たとえ雨が降っても。
「君があたり」は、「あなたの(住んでいる)辺り」と「住んでいる」を補うと意味が分かりやすくなります。「見つつ」の「つつ」は「継続」を表して「見続けて」と訳します。また、「居らむ」はラ変動詞「居り」の未然形と意志の助動詞「む」の終止形です。ここで意味が切れるので二句切れの和歌になります。ちなみに、「居らむ」の直前の「を」は、調子を整える働きをしている間投助詞と呼ばれるものになります。ここまでをまとめると、「あなたの住んでいる辺りを見続けていましょう」となります。
「雲な隠しそ」は、「なーーそ」が重要古語(呼応の副詞+終助詞)です。
「生駒山雲な隠しそ」は格助詞がないので一見わかりにくいですが、高安の女が河内の国(大阪府)から大和の国(奈良県)を見ている場面での歌なので、内容から考えて「雲よ生駒山を隠すな」と解釈するのが自然でしょう。生駒山のある方角に男の住む大和の国があるからです。「生駒山よ雲を隠すな」では、女が雲に想いを込めていることになってしまって、文脈に合いません。また、ここでも文が切れているので、二句・四句切れの和歌だということも分かります。
最後に「雨は降るとも」は「たとえ雨は降っても」と解釈するのは容易です。ただ、この「雨」というのは、高安の女の悲しみの涙をたとえていることは分かっておいた方がよいでしょう。
以上をまとめると、次の通りになります。
→(訳)あなたのいらっしゃるあたりをいつでも見ていましょう。雲よ生駒山を隠してくれませんように。たとえ雨が降っても。
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞふる
《出題ポイント!》
助動詞の確認
「頼まぬものの」の訳出
「ふる」の意味・文法的知識
→(訳)あなたが「来よう」とおっしゃったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとにいつも(むなしく)過ぎ去っていますので、あてにはしないものの、あなたを恋しく思って過ごしています。
この歌も高安の女が歌ったものです。まずは上の句から解釈していきます。「来む」は高安の女への返事をそのまま使っています。「む」は意志の助動詞「む」の終止形です。「言ひし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形、「夜ごと」の「ごと」は「毎」と漢字を当てます。「過ぎぬれば」の「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、「ば」は順接確定条件の接続助詞で、「〜ので」でよいでしょう。ここまでまとめると、「あなたが『来よう』と言ったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとに過ぎていきますので、」となります。
次に下の句です。
「頼まぬものの」の「頼む」は重要古語で、「あてにする」となります。「頼まぬものの」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形、「ものの」は逆接の接続助詞で「…けれども/…とはいうものの」という意味で、全体として「あてにはしないものの」と訳します。
「恋ひつつぞふる」の「ふる」はハ行下二段活用動詞「経」の連体形で、意味は「過ごす」です。以上をまとめると、次のようになります。
→(訳)あなたが「来よう」とおっしゃったその夜が、毎夜毎夜そのたびごとにいつも(むなしく)過ぎ去っていますので、あてにはしないものの、あなたを恋しく思って過ごしています。
男は和歌を読んでも通うことありませんでした。理由ははっきりと書いていないのですが、自分のことを待てずに何度も和歌を送ってくる女のことしつこいと感じたのか、それとも和歌で来てくれない恨みを直接的に述べてしまったことに無風流な面を感じ取ったのか、いずれにしても高安の女に男は魅力を感じられなかったみたいですね。
文法の確認
今回も助動詞の確認です。助動詞のまとめは以下をご覧ください。
太青字の助動詞の文法的意味と元の形(終止形)を答えなさい。(番号は第2回からの続きなので⑯からです)
まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、けこのうつは物に盛りけるを見て、心うがりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つつを居ら⑯む生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
と言ひて見出だすに、からうじて、大和人「来む。」と言へ⑰り。よろこびて待つに、たびたび過ぎ⑱ぬれば、
君来⑲むと言ひ⑳し夜ごとに過ぎぬれば頼ま㉑ぬものの恋ひつつぞふる
と言ひけれど、男住まずなりにけり。
【解答】
⑯意志・む ⑰完了・り ⑱完了・ぬ ⑲意志・む ⑳過去・き ㉑打消・ず
おわりに
以上で「筒井筒」の解説を終わります。今回のお話は男が高安の女には結局惹かれなかったという話でしたが、どうしても元の妻と比較してしまうと、風流さで見劣りがしたのでしょうね。そのくらい風流というのがこの時代の貴族たちには大きな要素だったのだと思われます。現代の私達においても、人との相性ということを考えるとき、合う合わないというのは一つの仕草で分かることがあるのかもしれません。そのくらい人間というのはある意味繊細な生き物なのですね。今回はそんなことを考えさせてくれる文章でした。
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