このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。また、テスト前に学習すると、これだけ覚えておいたらある程度の点数は取れるという「テスト対策」にも多くの分量を割いて説明します。
はじめに

前回は、主人公の絵仏師良秀が、自分の家が燃えてしまったのになぜか笑っているところまでお話しました。今回は良秀が笑っている理由に迫っていきます。
前回の復習
前回の内容を板書で確認してください。第1回の詳しい説明は以下をタップしてご覧ください。






「絵仏師良秀」読解のコツ&現代語訳 第2回
古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。
何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。


本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。
簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。
古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。


step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。
本文を読む
前回の範囲の内容をしっかり思い出しながら、本文をじっくり読んでみましょう。




これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて大路へ出でにけり。人のかかする仏もおはしけり。また、衣着ぬ妻子なども、さながら内にありけり。それも知らず、ただ逃げ出でたるをことにして、向かひのつらに立てり。
見れば、すでに我が家に移りて、煙、炎、くゆりけるまで、おほかた、向かひのつらに立ちて眺めければ、「あさましきこと。」とて、人ども来とぶらひけれど、騒がず。「いかに」と人言ひければ、向かひに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづきて、時々笑ひけり。
ーーー(ここから第2回)ーーー
「あはれ、しつるせうとくかな。年ごろはわろくかきけるものかな。」と言ふときに、とぶらひに来たる者ども、「こはいかに、かくては立ちたまへるぞ。あさましきことかな。物のつきたまへるか。」と言ひければ、「なんでふ物のつくべきぞ。年ごろ不動尊の火炎をあしくかきけるなり。今見れば、かうこそ燃えけれと、心得つるなり。これこそ、せうとくよ。この道を立てて世にあらむには、仏だによくかきたてまつらば、百千の家も出で来なむ。わたうたちこそ、させる能もおはせねば、物をも惜しみたまへ。」と言ひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。
その後にや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへり。(『宇治拾遺物語』より)
登場人物の確認
- 絵仏師良秀
- (良秀を見舞う)人ども
- 人々(後の時代の人)



自宅が燃えた良秀が、周りの人々と話す形式を取っています。最後に出てくる「人々」は良秀が亡くなった後の時代の人です。
お話を簡単に理解
第一段落
・絵仏師良秀の家の隣から出火して、自分の家に燃え移りそうなので、大路へ逃げた
・家の中には制作中の仏の絵と妻子が残っているのもかかわらず、向かい側で立っている
第二段落
・自分の家が燃えているのを良秀が眺めていると、周囲の人が慰めてくれる
・良秀は慌てず騒がず、時々うなずいては笑っている
ーーー(ここから第2回)ーーー
・良秀「今まで下手くそに絵を描いていたものだ」
・周囲の人は、良秀に正気を失ったかと言うが、良秀は反論する
・今まで火炎を背にする不動尊の絵を上手く描けていなかったが、この火事で描き方が分かった
・良秀は絵仏師の道で生計を立てるなら、仏の絵をうまく描けばよいと言う
・後の時代に、「良秀の描いた『よぢり不動』」と人々が称賛する
理解しにくい箇所の解説を見る
本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。
⑤年ごろはわろくかきけるものかな
⑥こはいかに、かくては立ちたまへるぞ
⑦なんでふ物のつくべきぞ
⑧かうこそ燃えけれと、心得つるなり
⑨仏だによくかきたてまつらば、百千の家も出で来なむ
⑩その後にや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへり。



⑤までのあらすじです。
良秀は自宅が焼ける様子を見て、「しつるせうとくかな(=大変なもうけものをしたものだ)」とうれしそうに言っています。
⑤年ごろは、わろく描きけるものかな
(訳)はこちら(タップで表示)
(不動尊の火炎を)長年下手くそに描いていたものだなあ


まず、「年ごろ」の意味を理解しましょう。「ころ」は「期間」を表すという説に従います。
「年ごろ」(年頃、年来、年比)
1長年 2数年の間、数年来
「ころ」を「期間」とすると「数年の期間」となり、感覚として「数年」は長く感じるので「長年」という意味が出てきます。これを知っておくと、「月ごろ(=数ヶ月の間)」「日ごろ(=数日間、最近)」と応用が効きます。
「わろし」は「よくない」でしたね。イメージとしては「下手くそに」くらいがよいでしょうか。
あと、文末の「かな」は終助詞で詠嘆(=〜なあ)を表します。



「家が燃えてもうけものだ」なんて言っているのを聞いたら、周りの人はびっくりしちゃうね
⑥こはいかに、かくては立ちたまへるぞ
(訳)はこちら(タップで表示)
あなたはどうして、このようにお立ちになっているのか。


この部分は解釈が難しい上に、多くの文法事項が出てきます。一度に覚えようとせず、分かるところから確認していってください。あなたが高校一年生ならば、とりあえず敬語と助動詞は後回しでも構いません。下の解説の上3つ(「こ」「いかに」「かく」)をまずは理解しましょう。
・「こはいかに」の「こ」は現代語では「これ」です。古文では「か」で出てくることが多いです(例 かの人/かくある)。近くのものを表すのは現代語でも同じですが、人を指すときにも指示語が古文では使われます。つまり、ここでは近くの人、つまり「あなた」を指しています。
・「いかに」は第1回の④で説明したとおり、疑問詞全般を指します。ここでは”why”が近いでしょうか。「どうして」と訳しましょう。
・「かく」は指示副詞と呼ばれます。「か」は先程説明したとおりで近くのものを表しますが、「かく」は「このように」と訳します。これはとてもよく出てきますので、忘れないでください。
・「たまふ」は尊敬語の補助動詞です。「お〜になる」と訳します。
・「たまへる」の「る」は存続、完了の助動詞「り」の連体形です。「〜ている」でよいでしょう。
・「たまへるぞ」の「ぞ」は強意を表します。特に訳出はいりません。
見舞いに来た人々は、妻子を助けに行かず家が燃えるのをただ笑いながら眺めているだけの良秀に、非難めいた言葉で伝えているのでしょう。良秀に物の怪(もののけ)が憑(つ)いて狂ったのかとまで言っています。
⑤⑥をまとめたものが、以下の板書です。


では、⑦までの文章を改めて解釈してみましょう。
「あはれ、しつるせうとくかな。年ごろはわろくかきけるものかな。」と言ふときに、とぶらひに来たる者ども、「こはいかに、かくては立ちたまへるぞ。あさましきことかな。物のつきたまへるか。」と言ひければ、
(訳)はこちら(タップで表示)
「ああ、たいへんなもうけものをしたことよ。(不動尊の火炎を)長年下手くそに描いていたものだなあ。」と言うときに、見舞いに来た者たちが、「あなたはどうして、このようにお立ちになっているのか。あきれたことだなあ。物の怪がお憑きになっているのですか。」と言ったところ、
⑦なんでふ、物のつくべきぞ
(訳)はこちら(タップで表示)
どうして物の怪が取り憑くだろうか、いや、取り憑いてはいない。


良秀が見舞いに来た人の非難に反論する場面です。
「なんでふ」は重要古語です。漢字では「何条」と書きますが、「なにといふ」がつづまった形です。
「なんでふ」(←なに+と+いふ)
1 なんという
2(反語)どうして〜か、いや、〜ない



「お前はなんちゅうやっちゃ(お前はなんというやつだ)」の「なんちゅう」だね。関西地方では今でも普通に使う言葉なのかあ。
ここでは2の意味になります。反語とは、簡単に言うと「疑問の形を用いた強い否定」です。反語はよく出てくるので、訳の仕方の含めてしっかりと理解しておいてください。
「もの」は物の怪のことですが、普通教科書に注釈があります。人を苦しめる生霊や死霊のことです。「つく」は漢字で「憑く」と当て、「取りつく」という意味になります。
「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形です。
⑧かうこそ燃えけれと、心得つるなり
(訳)はこちら(タップで表示)
このように燃えていたと、理解したのだ


「かう」は「かく」のウ音便です。「かく」は⑥で説明しました。意味は「このように」。
「こそ」→「けれ」は係り結びになっています。
「心得」はア行下二段活用の動詞です。「心得る(=理解する)」は現代語なので、意味が聞かれることはまれですが、動詞の問題として出題されるので気をつけましょう。
「つる」「なり」はそれぞれ、完了の助動詞「つ」の連体形、断定の助動詞「なり」の終止形です。合わせて「〜たのだ」と訳せばよいでしょう。
↑詳細はタップして確認



これを、良秀は「たいへんな儲(もう)けもの」だと言っています。
⑦⑧をまとめたものが、以下の板書になります。


⑨仏だによく描きたてまつらば、百千の家も出で来なむ。
(訳)はこちら(タップで表示)
(絵仏師で生計を立てるには)仏さえ上手に描き申し上げたならば、(儲けて)百や千の家もきっと建つだろう。


「だに」は「類推」を表す副助詞で、「〜でさえ」と訳します。
「たてまつる」は謙譲語の補助動詞で、「(お)〜申し上げる」と今は理解しておいてください。
「出で来なむ」ですが、今回は「来」が「き」と読む、つまりカ変動詞の連用形であるという前提で説明します。連用形に「なむ」がつく場合は、「な」が強意の助動詞「ぬ」の未然形、「む」が推量の助動詞「む」の終止形(連体形)になります。「ぬ」も「む」も複数の意味があるので、訳し方はたくさんあるのですが、今は「(きっと)〜だろう」と覚えてもらって構いません。



一般人のあなたたちは、大した能力もないのだから物を惜しんでおけばよいと伝えます。では、実際のところ、良秀はどうなったのでしょう。
では、⑩までの文章(良秀のセリフ)を改めて解釈してみましょう。
「なんでふ物のつくべきぞ。年ごろ不動尊の火炎をあしくかきけるなり。今見れば、かうこそ燃えけれと、心得つるなり。これこそ、せうとくよ。この道を立てて世にあらむには、仏だによくかきたてまつらば、百千の家も出で来なむ。わたうたちこそ、させる能もおはせねば、物をも惜しみたまへ。」と言ひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。
(訳)はこちら(タップで表示)
「どうして物の怪が取り憑くだろうか、いや、取り憑いてはいない。長年不動尊の火炎を下手に描いていたのだなあ。今見ると、このように(炎は)燃えていたと、理解したのだ。これこそもうけものよ。この道(=絵仏師の道)を専門として世間に認められるとしたら、仏さえ上手に描き申し上げたならば、(儲けて)百や千の家もきっと建つだろう。。おまえたちこそ、それほどの才能もおありでないので、物を惜しみなさるのだ(物を惜しみなさるがよい。)」と言って、
※「わたうたちこそ」の「こそ」がどこに係るかで訳し方が変わります。「こそ」が「惜しみたまへ」の「たまへ」に係ると考えたら「物を惜しみなさるのだ」、「こそ」が「おはせねば」に係る(結びの流れが起こっている)と考えたら「物を惜しみなさるがよい」と訳すことになります。なぜそうなるか、ぜひ自分で考えてみてください。「活用形の問題」がヒントですよ。
⑩その後にや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへり。
(訳)はこちら(タップで表示)
その後であろうか、「良秀のよぢり不動」といって、今では人々が(良秀の描いた不動尊の絵を)たたえ合っている。


「にや」の「に」は断定の助動詞「なり」の連用形、「や」は疑問を表す係助詞ですが、後ろに「あらむ」が省略された形で「であろうか」と訳すということは覚えておいてください。
「にや」の後は「あらむ」が省略されていることが多い。
この部分は多くの人が読み間違えます。多くの人が、「良秀がよぢり不動とて」を「良秀が『よぢり不動』になった」と解釈してしまうのです。これは「が」を主格を表すものと考えてしまうからです。でも、実は、ここでの「が」は連体修飾を表す格助詞で、現代語の「の」です。「我が国」の「が」ですね。「良秀のよぢり不動」と、固有名詞的に使われています。
また、「めづ」は重要古語です。漢字で書くと「賞づ(愛づ)」なので、漢字にすると意味が分かりやすい語です。漢字にすると意味が分かる語は数多くあるので、新しい語が出てきたら漢字に置き換えてみることもやってみると覚えることが少し楽になりますよ。
「めづ」(賞づ/愛づ)
=賞賛する/ほめる/愛する
「り」は存続・完了の助動詞で、「〜ている」と訳します。
⑨⑩をまとめたものが、以下の板書になります。


良秀は不動尊の火炎の描き方を知って、後世に絵を称えられるような人物になったという話です。ここからどのような教訓を読み取ることができるでしょうか。ただ文章を読むだけでなく、そこから何が考えられるかまで思考を深める訓練をしておくと、将来様々な場面で役に立ちますよ。そのためにも、ぜひ多くの文章に触れてみてください。
↑詳細はボタンをタップ!
「絵仏師良秀」テスト対策 第2回
第1回のテスト対策は以下をタップしてをご覧ください。


では、今回の「絵仏師良秀」後半部において、テストに出そうな内容にできるだけ絞ってお話します。テスト対策は次のような流れで行うとよいでしょう。このサイトは下記の流れで解説をしています。
テスト直前でもすべきことの基本は、「本文を読むこと」です。これまで学習した内容をしっかり思い出しながら読みましょう。
「どのような話」か、簡単に説明できる状態にしましょう。
ここでのメインになります。古文はどうしても「知識」を問う必要があるので、問われる箇所は決まってきます。それならば、「よく問われる」出題ポイントに絞って学習すれば、大きな失点は防げそうですね。このサイトでは「よく問われる」箇所のみを説明していますので、じっくり読んでみてください。
本文読解の一問一答を解答し、古典文法の問題を解答します。古典文法の問題は必ず出題されます。それは、直接「動詞の活用」や「助動詞の意味」を問うような問題だけでなく、現代語訳や解釈の問題などでも出題されます。必ず問題を解いて、できるようになっておきましょう。このサイトは文法事項の説明も充実しているので、詳しく知りたいときは、ぜひそれぞれの項目に進んで学習してみてください。
本文の確認
テスト直前でもすべきことの基本は、「本文を読むこと」です。これまで学習した内容をしっかり思い出しながら読みましょう。「テスト対策」はあえてふりがなをつけていません。不安な場合は、このページの上部「本文を読む」で確認してください。
「あはれ、しつるせうとくかな。年ごろはわろくかきけるものかな。」と言ふときに、とぶらひに来たる者ども、「こはいかに、かくては立ちたまへるぞ。あさましきことかな。物のつきたまへるか。」と言ひければ、「なんでふ物のつくべきぞ。年ごろ不動尊の火炎をあしくかきけるなり。今見れば、かうこそ燃えけれと、心得つるなり。これこそ、せうとくよ。この道を立てて世にあらむには、仏だによくかきたてまつらば、百千の家も出で来なむ。わたうたちこそ、させる能もおはせねば、物をも惜しみたまへ。」と言ひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。
そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへり。



これらの単語の意味は分かっているかな?
「年ごろ」「わろし」「なんでふ」「心得」「めづ」
あらすじの確認
第一段落
・絵仏師良秀の家の隣から出火して、自分の家に燃え移りそうなので、大路へ逃げた
・家の中には制作中の仏の絵と妻子が残っているのもかかわらず、向かい側で立っている
第二段落
・自分の家が燃えているのを良秀が眺めていると、周囲の人が慰めてくれる
・良秀は慌てず騒がず、時々うなずいては笑っている
ーーーー(ここから第2回)ーーーー
・良秀「今まで下手くそに絵を描いていたものだ」
・周囲の人は、良秀に正気を失ったかと言うが、良秀は反論する
・今まで火炎を背にする不動尊の絵を上手く描けていなかったが、この火事で描き方が分かった
・良秀は絵仏師の道で生計を立てるなら、仏の絵をうまく描けばよいと言う
・後の時代に、「良秀の描いた『よぢり不動』」と人々が称賛する
出題ポイント
以下の6項目を、何も見ずに訳すことができるか確認してください。
- ⑤年ごろは、わろく描きけるものかな
- ⑥こはいかに、かくては立ちたまへるぞ
- ⑦なんでふ、ものの憑くべきぞ
- ⑧かうこそ燃えけれ、と心得つるなり
- ⑨仏だによく描きたてまつらば、百千の家も出で来なむ
- ⑩その後にや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへり
⑤年ごろは、わろく描きけるものかな
(訳)はこちら(タップで表示)
(不動尊の火炎を)長年下手くそに描いていたものだなあ
・「年ごろ」「わろし」の意味
・何を「わろく描」いていたのか
まず、「年ごろ」の意味を理解しましょう。「年ごろ」はここでは「長年」という意味です。
「わろし」は「よくない」でしたね。文章の内容に合わせると「下手くそに」くらいがよいでしょうか。あと、文末の「かな」は終助詞で詠嘆(=〜なあ)を表します。
そして、何を「下手くそに描いていた」かというと、「不動尊の火炎」です。良秀は不動尊の後の炎を今まで上手く描けていなかったことを、火事を見て実感したわけです。
⑥こはいかに、かくては立ちたまへるぞ
(訳)はこちら(タップで表示)
あなたはどうして、このようにお立ちになっているのか。
・「こ」「いかに」「かく」の意味
・「立ちたまへる」理由(1)人々の予想は?(2)実際の良秀は?
この部分は解釈が難しい上に、多くの文法事項が出てきます。一度に覚えようとせず、分かるところから確認していってください。まずは重要語(「こ」「いかに」「かく」)をまずは理解しましょう。
・「こ」は現代語では「これ」です。古文では「か」で出てくることが多いです(例 かの人/かくある)。近くのものを表すのは現代語でも同じですが、人を指すときにも指示語が古文では使われます。つまり、ここでは近くの人、つまり「こ」は「あなた」を指しています。
・「いかに」は疑問詞全般を指します。ここでは”why”が近いでしょうか。ここの「いかに」は「どうして」と訳しましょう。
・「かく」は指示副詞と呼ばれます。「か」は先程説明したとおりで近くのものを表しますが、「かく」は「このように」と訳します。これはとてもよく出てきますので、忘れないでください。
・「立ちたまへるぞ」の「たまへ」は尊敬語の補助動詞「たまふ」です。「お〜になる」と訳します。また、「る」は存続、完了の助動詞「り」の連体形です。「〜ている」でよいでしょう。「ぞ」は強意を表します。特に訳出はいりません。
見舞いに来た人々は、妻子を助けに行かず家が燃えるのをただ笑いながら眺めているだけの良秀に、非難めいた言葉で伝えているのでしょう。(1)人々は良秀に物の怪が憑いて狂ったのかとまで言っています。(2)良秀が立っていた理由は、この後の「かうこそ燃えけれと、心得つるなり」に示されています。
⑦なんでふ、物のつくべきぞ
(訳)はこちら(タップで表示)
どうして物の怪が取り憑くだろうか、いや、取り憑いてはいない。
・「なんでふ」の意味
・良秀は何を反論しているのか
良秀が見舞いに来た人の非難に反論する場面です。
「なんでふ」は、「なにといふ」がつづまった形です。「なんという」という意味と、反語で、「どうして〜か、いや、〜ない」という意味があります。ここでの「なんでふ」は後者の反語(どうして〜か、いや、〜ない)になります。反語とは、簡単に言うと「疑問の形を用いた強い否定」です。
「もの」は物の怪(もののけ)のことですが、普通教科書に注釈があります。人を苦しめる生霊や死霊のことです。「つく」は「憑く」と漢字を当てて「取りつく」という意味になります。「つくべき」の「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形です。
人々に「物の怪が憑いて狂ったのか」と言われて、良秀は、狂ってはいない、立つにはきちんとした理由があるのだと反論しているのです。
⑧かうこそ燃えけれと、心得つるなり
(訳)はこちら(タップで表示)
このように燃えていたと、理解したのだ
・「かう」の意味
・「こそ」の結びの語、または「こそ」の穴埋め
・「心得」の意味と活用の種類
「かう」は「かく」のウ音便です。「かく」の意味は「このように」でした。
「こそ」→「けれ」は係り結びになっています。
「心得」はア行下二段活用の動詞です。意味は「心得る(=理解する)」ですが、ほとんど現代語なので、意味が聞かれることは少ないですが、場面に応じて多少訳を変えないといけないので、前後関係に注意しましょう。
「心得つるなり」の「つる」と「なり」はそれぞれ、完了の助動詞「つ」の連体形、断定の助動詞「なり」の終止形です。合わせて「〜たのだ」と訳せばよいでしょう。まとめると、「心得つるなり」は「理解したのだ」と訳すことになります。
この「燃え方」を見られたことが、「たいへんな儲けもの」だと良秀は言っています。
⑨仏だによく描きたてまつらば、百千の家も出で来きなむ。
(訳)はこちら(タップで表示)
(絵仏師で生計を立てるには)仏さえ上手に描き申し上げたならば、(儲けて)百や千の家もきっと建つだろう。
・「だに」の意味
・「出で来なむ」の解釈
・「百千の家も出で来」とはどういうことか
「だに」は「類推」を表す副助詞で、「〜でさえ」と訳します。
「たてまつる」は謙譲語の補助動詞で、「(お)〜申し上げる」と今は理解しておいてください。
「出で来なむ」ですが、「来」が「き」と読んでいますので、これはカ変動詞の連用形ということを示しています。連用形に「なむ」がつく場合は、「な」が強意の助動詞「ぬ」の未然形、「む」が推量の助動詞「む」の終止形(連体形)になります。この「なむ」は、今は「(きっと)〜だろう」と訳すと覚えてもらって構いません。よって、「出で来なむ」は「きっと出てくるだろう」となります。つまり、「百や千の家(多くの家)もきっと出来る(建つ)」と言っているわけです。
⑩その後にや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへり。
(訳)はこちら(タップで表示)
その後であろうか、「良秀のよぢり不動」といって、今では人々が(不動尊の絵を)たたえ合っている。
・「その後にや」の省略を含めた現代語訳
・「めづ」の意味
・人々は何を「めであふ」のか
「にや」の「に」は断定の助動詞「なり」の連用形、「や」は疑問を表す係助詞ですが、後ろに「あらむ」が省略された形で「であろうか」と訳すということは覚えておいてください。よって、「その後にや」は「その後であろうか」という訳になります。
「良秀が」の「が」は連体修飾を表す格助詞で、現代語の「の」です。「良秀のよぢり不動」と、固有名詞的に使われています。
「めであへり」の「めで」は重要古語です。終止形にすると「めづ」ですが、漢字で書くと「賞づ(愛づ)」なので「賞賛する・たたえる・ほめる」という意味になります。ここでは「めであへり」となっているので、「たたえあっている」となります。「り」は存続の助動詞で、「〜ている」と訳します。
時代が過ぎて、良秀の不動尊の絵は「よぢり不動」と褒め称えられているのです。
練習問題(文法問題)
文法の確認
第2回は助動詞の確認です。特に「打消」「過去」「完了」の助動詞を中心に出題しています。助動詞の細かい説明については、以下のボタンをタップしてをご覧ください。
【問題】本文中の青線部の助動詞の文法的意味と活用形を答えなさい。
これも今は昔、絵仏師良秀といふあり①けり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて大路へ出で②にけり。人のかかする仏もおはしけり。また、衣着③ぬ妻子なども、さながら内にありけり。それも知ら④ず、ただ逃げ出でたるをことにして、向かひのつらに立て⑤り。
見れば、すでに我が家に移りて、煙、炎、くゆりけるまで、おほかた、向かひのつらに立ちて眺めければ、「あさましきこと。」とて、人ども来とぶらひけれど、騒がず。「いかに。」と人言ひければ、向かひに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづきて、時々笑ひけり。「あはれ、し⑥つるせうとくかな。年ごろはわろくかきけるものかな。」と言ふときに、とぶらひに来⑦たる者ども、「こはいかに、かくては立ちたまへ⑧るぞ。あさましきことかな。物のつきたまへ⑨るか。」と言ひ⑩ければ、「なんでふ物のつく⑪べきぞ。年ごろ不動尊の火炎をあしくかきける⑫なり。今見れば、かうこそ燃え⑬けれと、心得⑭つるなり。これこそ、せうとくよ。この道を立てて世にあら⑮むには、仏だによくかきたてまつらば、百千の家も出で来⑯な ⑰む。わたうたちこそ、させる能もおはせ⑱ねば、物をも惜しみたまへ。」と言ひて、あざ笑ひてこそ立て⑲り ⑳けれ。
そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへ㉑り。



⑪⑫⑮⑰は推量系の助動詞で、助動詞の学習でも後半に出てくるものなので、難しければ一旦飛ばしてもらっても構いません。
解答はこちら(タップで表示)
【解答】
①過去・終止形 ②完了・連用形
③打消・連体形 ④打消・連用形
⑤完了/存続・終止形 ⑥完了・連体形
⑦完了/存続・連体形 ⑧完了/存続・連体形
⑨完了/存続・連体形 ⑩過去・已然形
⑪推量・連体形 ⑫断定・終止形
⑬過去・已然形 ⑭完了・連体形
⑮仮定/婉曲・連体形 ⑯強意・未然形
⑰推量・終止形 ⑱打消・已然形
⑲完了/存続・連用形 ⑳過去・已然形
㉑存続・終止形
「存続/完了」については、どちらかに決めにくい場合にそのようにしています。どちらでもよいという意味ですが、学校で習ったとおりに解答しないと、減点される場合がありますので注意してください。
おわりに
今回は「絵仏師良秀」の第2回でした。文法問題について、助動詞の学習まで進んでいる人は、助動詞の問題が出題されるでしょう。一方で、初期段階でこの文章を読む場合は動詞や形容詞の問題が出題されるかもしれません。そのときは第1回で確認してください。でも、私は文法よりも内容をしっかり理解するほうが圧倒的に大事だと考えています。まずは、本文をしっかり読んで、内容を把握することに力を入れてくださいね。他にも様々な文章を読んで、古文に興味を持っていってもらえると、筆者としてはこの上ない喜びです。
↑詳細はボタンをタップ!
コメント