はじめに
自己紹介はこちら
先生、今回は『方丈記』ですよね。僕は古典三大随筆の1つくらいしか知らないんですよ。
それを知っているだけでも、大したものだと思うよ。じゃあ、今回はその有名な冒頭文に触れていこう!その前に、少し『方丈記』についての解説もするね。
「ゆく河の流れ」について
今回は、『方丈記』の冒頭をやっていきましょう。まず、『方丈記』ですが、これは古典三大随筆の一つで、鴨長明が仏教的無常観に基づいて書いた、鎌倉時代前期の随筆です。『方丈記』の特徴をまとめたものを、以下に示しておきます。
ちなみに、古典三大随筆とは、『枕草子』『方丈記』『徒然草』の3つを言います。
本文を読む
電車やバスの中では難しいですが、自宅で読んでいる時はぜひ声に出して読んでみてください。『方丈記』は対句が多用された非常に美しい文章です。流れ(リズム)を意識して文章が読めるといいですね。
リズムが大事なんだって。すらすら読めるようになりたいね。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。
たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争へる、高きいやしき人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人がうちに、わづかに一人二人なり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来りて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
登場人物の確認
今回は作者の考えを述べたものなので、登場人物はありません。
お話を簡単に理解
第一段落
・ゆく川の流れは絶えることなくしかもその水はもとの水ではない
・よどみに浮かんでいる泡は一方では消え続け一方では生まれ続ける
・世の中にある人間や住居も「川の流れ」と同じ
第二段落
・人間は都の中で建てる家の大きさを競い合う
・一方で時間が経つとそれらの家はなくなっている
・人間も同じで、時間が経つとその場所にはいなくなる
・人間も建物も無常であるが、それは朝顔の露と同じだ
対句を見つける
この文章は、多くの対句が使われています。それをできるだけ挙げてみましょう。
対句というのは、対(2つで1セットのもの)になる言葉のことです。似たような形が2つ並んでいるので、見分けはつきやすいと思います。今回は非常にたくさんあるので、一つ一つ見ていきましょう!
1 かつ消え、かつ結びて
2 棟を並べ、いらかを争へる
3 高き、いやしき
4 去年焼けて 今年作れり
5 大家滅びて 小家となる
6 (4と5)あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて 小家となる
7 朝に死に、夕べに生まるる
8 生まれ死ぬる
9 いづかたより来たりて、いづかたへか去る
10 誰がためにか心を悩まし、似によりてか目を喜ばしむる
11 (9と10)知らず〜去る。知らず〜喜ばしむる。
12 露落ちて、花残れり
13 露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。
14 花しぼみて、露なほ消えず
15 花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。
16 (13と15)あるいは〜枯れぬ。あるいは〜待つことなし。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。
たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争へる、高きいやしき人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人がうちに、わづかに一人二人なり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来りて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
非常にたくさんありますが、それらをうまく組み合わせて、読みやすい文章になっていることに、感動しませんか。非常に美しい文章になっています。対句によって並べられている2つのものをそれぞれ理解していくことで、文章の内容はおおかた理解できるようになります。
理解しにくい箇所の解説
今回は、2箇所だけです。順番に見ていきましょう。
①たましきの都
「たましきの」は「都」を導くための枕詞なので、特に訳出はいりません。「都」とは「宝玉を敷き詰めたように美しい場所」だと言っているのでしょう。
「枕詞」とは、ある特定の言葉を導く5文字の言葉だよ。特に訳す必要はありません。
②朝顔の露に異ならず
主と栖と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
何が「朝顔の露」と異ならない(=同じ)かというのは、直前の内容を指します。それは、「家の主人と家が無常を争っていること」、つまり、「建物はいつかは壊れ、人はいつかは死ぬ運命にあるのに、大きな家を建てることに勤しんでいること」が、「朝顔の露」と同じだと言っているのです。
ただ、このように説明されてもまだよく分かりません。それは、「朝顔の露」というものが、どのようなものかについての説明がされていないからです。「朝顔の露」とは、「朝顔と、その花や葉に置く露との関係」を指します。それを具体的に説明したのが②の後の文です。現代語でまとめると、
「露が落ちても花は残るが、次の日の朝には花も枯れてしまう。あるいは花が枯れて露が残ったとしても、夕方にはその露は消えてしまう。」
となります。これを人間に置き換えると、「人間が滅びても家は残るが、時が経つとと家も朽ち果ててしまう。あるいは家が壊れて人間が残ったとしても、時が経つと人間は死んでいなくなってしまう」と言い換えられます。
つまり、「朝顔の露」(「朝顔」と「露」の関係性)は、『生滅を繰り返す「人間」』(=「露」)と、『人間が競って建てようとするがいずれは崩れ去る「家」』(=「朝顔(の花)」)との関係性と同じだ、と作者は言っているのです。
「家」を「朝顔」に、「人間」を「露」にたとえているんだね。「人間」は「露」だと考えると、人間ってはかない生き物なんだろうね。
また、この「朝顔の露」の様子に、作者の無常観がよくあらわれています。いつまでも続くことはなく、いつかは(すぐにでも)壊れたりなくなったりするものだと言っていますね。
今回のまとめ
今回は、対句の確認と以下の2箇所について詳しく説明しました。
これらを理解して、最後にもう一度本文を読んでみましょう。
今回は1回限りなので、ここで内容を把握しきってしまおう!
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。
たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争へる、高きいやしき人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人がうちに、わづかに一人二人なり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来りて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
第一段落
・ゆく川の流れは絶えることなくしかもその水はもとの水ではない
・よどみに浮かんでいる泡は一方では消え続け一方では生まれ続ける
・世の中にある人間や住居も「川の流れ」と同じ
第二段落
・人間は都の中で建てる家の大きさを競い合う
・一方で時間が経つとそれらの家はなくなっている
・人間も同じで、時間が経つとその場所にはいなくなる
・人間も建物も無常であるが、それは朝顔の露と同じだ
おわりに
今回は、『方丈記』の「ゆく河の流れ」についてお話しました。和漢混淆文の非常に美しい文章なので、一つ一つの訳よりも、文章の形や表現を味わってもらえたらなと思います。一通り学習を終えたら、今度はテスト対策編もご覧ください。それでは、またお会いしましょう。
コメント