このページでは、学生時代に国語が苦手だった筆者が、この順番で学べば文章の内容が分かるようになり、一気に得意科目にできたという経験をもとに、25年以上の指導において実際に受講生に好評だった「これなら古文が理解できる!」という学ぶ手順を具体的に紹介していきます。読んでいくだけで、文章の内容が分かるようになります。
はじめに
今回は『大和物語』第百五十六段です。多くの教科書が「をばすて山」「姨捨山」という題名で載せています。まずは『大和物語』について簡単に説明します。
『大和物語』は平安時代中期(951年〜966年ころ)に成立した歌物語で、百七十三の章段からなります。百四十七段までの前半は、当時の天皇・貴族・僧など実在の人物の歌を中心とした短い文章からなる章段であり、それ以降の後半は民間伝承に基づく説話的要素の強い短編物語となっています。『伊勢物語』が主人公「男」の一生涯を緩やかに描いた物語であったのに対して、『大和物語』は実在の人物が登場したり、多くの人々の話が記載されてあったりと一貫性が見えません。貴族社会で語られていた歌にまつわる話を集めた物語だと考えられています。
以下に「歌物語」のまとめをしておきますので、確認してみてください。

今回の百五十六段は、『大和物語』の後半部にあたり、民間伝承に基づいたお話になります。また、「歌物語」としては、文章もまとまりのある長さになり、むしろ説話に近い文体になっています。
「をばすて山」(姨捨山)要点・あらすじ・現代語訳
古文を読解する5つのコツをお話しましょう。以下の順に確認していくと以前よりも飛躍的に古文が読めるようになるはずです。
何度も本文を読んでみて(できれば声に出して)、自分なりに文章の内容を想像してみます。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」「どのようなことを言っているか」「どのような行動をしているか」を考えていきます。

本文にどのような人物が出てきているか、確認します。紙で文章を読むときは、鉛筆などで▢をつけるとよりよいでしょう。
簡単でもよいので、誰かに「こんなお話」だと説明できる状態にします。ここでは、合っているかどうかは関係ありません。今の段階で、こんな話じゃないかなと考えられることが大切なのです。考えられたら、実際にこの項目をみてください。自分との違いを確認してみましょう。
古文を読んでいると、どうしても自力では分からない所がでてきます。ちなみに、教科書などでは注釈がありますが、注釈があるところは注釈で理解して構いません。それ以外のところで、多くの人が詰まるところがありますが、丁寧に解説しているので見てみてください。

step4とstep5は並行して行います。きっと、随分と読めるようになっているはずです。
本文を読む
何度も本文を読んでみて、自分なりに文章の内容を想像してみましょう。特に初めて読むときは、分からない言葉があっても意味調べなどせずに読みます。分からない言葉がある中でも文章の中に「誰がいるか」、「どのようなことを言っているか」、「どのような行動をしているか」を考えていきます。


信濃(しなの)の国に更級(さらしな)といふ所に、男住みけり。若き時に親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、この妻(め)の心憂(う)きこと多くて、この姑(しうとめ)の老いかがまりてゐたるを常に憎みつつ、男にもこのをばの御心(みこころ)のさがなく悪(あ)しきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、二重(ふたへ)にてゐたり。これをなほ、この嫁、ところせがりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、「持(も)ていまして、深き山に捨てたうびてよ。」とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。月のいと明(あ)かき夜(よ)、「嫗(おうな)ども、いざ給(たま)へ。寺に尊(たふと)きわざすなる、見せ奉(たてまつ)らむ。」と言ひければ、限りなく喜びて負(お)はれにけり。高き山の麓(ふもと)に住みければ、その山にはるばると入(い)りて、高き山の峰(みね)の下(お)り来(く)べくもあらぬに置きて逃げて来(き)ぬ。(『伊勢物語』より)
文章を読むことができたら、下の「登場人物の確認」「内容を簡単に理解」を読んで、自分の理解と合っていたかを確認します。
登場人物の確認
- 男
- をば
- (男)の妻
お話を簡単に理解(あらすじ)
- 信濃の国の更科に男が住んでいた
- 若いときに親が死んでしまったので、おばが親代わりに育てる
- 男の妻は、おばをうとましく思って、常に男に告げ口する
- 男もおばをうとましく思うようになる
- ある時、妻がおばを山に捨てるように言う
- 男も同意し、おばをうまく誘って一緒に山へ登る
- 男はおばを山に置いて逃げ帰る
理解しにくい箇所の解説を見る
本文を読んで自分で内容を考えていったときに、おそらく以下の箇所が理解しにくいと感じたでしょう。その部分を詳しく説明します。解説を読んで、理解ができたら改めて本文を解釈してみてください。
- この妻の心憂きこと多くて
- 男にもこのをばの御心のさがなく悪しきことを
- 「持ていまして、深き山に捨てたうびてよ」
- 責められわびて、さしてむと思ひなりぬ
- 「嫗ども、いざ給へ。寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ」
- 高き山の峰の下り来べくもあらぬに置きて逃げて来ぬ
《①までの本文解釈と現代語訳》
①までの本文を解釈してみましょう。
信濃の国に更級といふ所に、男住みけり。若き時に親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、
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信濃の国に(ある)更級という所に、男が住んでいた。若い時に親は死んだので、おばが親のように、(男が)若いときから付き添って(世話をして)いるが、
①この妻の心憂きこと多くて
(訳)はこちら(タップで表示)
この(男の)妻(の性格)が困ったことが多くて、

「信濃の国の更級(さらしな)という所に男がいた」という内容から始まるこのお話ですが、男は早くに親を亡くし、「をば」(以下「おば」)が男を育てます。男はいつしか一人前になり、妻を迎えるのですが、この妻がおばと相性が合わないようです。いわゆる嫁姑問題ですね。
この部分は単語や文法事項として難しいところがあるというわけではないのですが、文を理解する上でやや意訳が必要になります。一般的に「心憂し」は「つらい/いやだ/情けない」などと訳すことが多いのですが、ここでは「困った」と言い換えた方がよさそうです。嫁姑関係がうまくいっていないのはわかるものの、おそらくおばは気難しい人なんでしょうが、妻も性格上困ったところが多くあるというように読み取れます。まあ、後になって「おばを山に捨ててきなさい」というくらいですからね。
②男にもこのをばの御心のさがなく悪しきことを
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男にもこのおばの性格が意地悪く腹立たしいことを

おばのことを憎んでいた妻は、夫である男にいろいろとおばの困った点を告げ口します。
ここで理解しておかなくてはならないのは「さがなく悪しきこと」の「さがなく」と「あしき」です。「さがなく」はク活用形容詞「さがなし」の連用形で、「性質/性格が悪い」という意味です。『徒然草』「丹波に出雲といふところあり」で、この単語のまとめをしているので、よければご覧ください。
次に「悪しき」の「悪し(あし)」です。「あし」は「悪い」という意味ですが、何がどのように「悪い」のかを考えないと、単純に「悪い」だけではよく理解ができないことがあります。直前に「さがなし」があって「性格が悪い」と言っているので、ここでは「妻にとっておばが悪い」つまり、「(おばのことが)腹立たしい」というような意味で使われています。
《③までの本文解釈と現代語訳》
では、③までの本文を解釈してみましょう。(②の内容も含みます)
この姑の老いかがまりてゐたるを常に憎みつつ、男にもこのをばの御心のさがなく悪しきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。これをなほ、この嫁、ところせがりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、
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この姑が老いて腰が曲がっているのをいつも憎んでは、男にもこのおばの性格が意地悪く腹立たしいことを言い聞かせたので、(男は)昔のようでもなく、おろそかに扱うことが多く、このおばに対してそうなっていった。このおばは、たいそうひどく老いて、(腰が曲がり)体が二つに折れたようになった状態でいた。このことをよりいっそう、この嫁は、うっとうしく思って、今まで(よくも)死なない(でいる)ことよと思って、(男に)よくないことを言っては、
※ここに重要単語として「おろかなり」と「ところせし」があります。「おろかなり(疎かなり)」は「おろそかだ、いい加減だ」、「ところせし(所狭し)」は「場所が狭い/窮屈だ」という意味です。ここでの「ところせし」は、おばがいて心理的に窮屈だ、つまり「おばの存在が厄介だ、うっとうしい」となります。
③「持ていまして、深き山に捨てたうびてよ」
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「(おばを)連れていらっしゃって、深い山にお捨てになってしまってください。」

おばのことをうっとうしく思う妻は、夫である男に、ついに妻を山へ捨てるように言います。当時の庶民は生活が苦しく、自分たちの生活だけでもやっとの状態なので、年を取って働けなくなった老人を山に捨てるという習慣がある地域あったと伝えられています。youtubeのBS-TBS【公式】に「うばすて山」という昔話がありますので、よければご覧ください。リンクを下に載せておきます。
本文の解釈に移ります。「持ていまして」の「いまし」は尊敬語の本動詞「います」の連用形です。「おはす」よりも古い形なので、あまり出てきませんが、『伊勢物語』の「東下り」第2回(会員限定記事)にも出てきました。訳は「いらっしゃる」でいいでしょう。よって、「(おばを)連れていらしゃって」と訳すことになります。おばを外に連れ出せと言っているのですね。
次に「深き山に捨てたうびてよ」ですが、「たうび」は尊敬語の補助動詞「給ふ」がウ音便化した「たうぶ」の連用形、「てよ」は完了の助動詞「つ」の命令形です。尊敬の表現が命令形になるときは「〜なさってください、〜になってください」と訳すとうまくいきますよ。今回は完了の助動詞も含まれるので「(おばを)深い山にお捨てになってしまってください」と訳すとよいでしょう。
④責められわびて、さしてむと思ひなりぬ
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(男は)責められて困って、そのようにしてしまおうと思うようになった。

強く言われた男は、妻の言う通りにしようという気持ちになってきます。実際にどちらが悪いかは言えないものですが、妻の言い分を聞かされ続けて、だんだんと洗脳されてきているのでしょうかね。
本文の解釈です。「責められわびて」の「られ」は受身の助動詞「らる」の連用形です。「わぶ」は物事に行き詰まったときに出てくる言葉で、困惑・悲哀・失意を表します。ここでは困惑を表し、「困る」と解釈するとうまくいきそうです。この「わぶ」は『伊勢物語』「東下り」第3回(会員限定記事)に出てきています。
次に「さしてむ」です。これを品詞分解できますか?なんと、「さ/し/て/む」と一字ずつ別の単語です。「さ」は指示副詞で「そのように」という意味で、「し」はサ行変格活用動詞「す」の連用形です。「て」と「む」はいずれも助動詞で、「て」は完了(強意)の助動詞「つ」の未然形、「む」は意志の助動詞「む」の終止形です。「て」は強意として「きっと〜」と訳してもいいですが、ここでは完了ととらえて「〜てしまおう」とするとより分かりやすいと思います。以上をまとめると「さしてむ」は「そのようにしてしまおう」と訳せるのですが、「そのように」とは③の「深き山に捨て」を指しているので、「深い山に捨ててしまおう」と言っていることになります。
⑤「嫗ども、いざ給へ。寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ」
(訳)はこちら(タップで表示)
(男が)「おばあさん、さあいらっしゃい。寺で尊い法会をするそうだ、(それを)お見せ申し上げよう。」

男がおばに声をかけて、連れ出そうとする場面です。
「嫗ども」の「嫗」は「おうな(おみな)」と読み、「おばあさん」という意味です。「ども」は現代ではやや見下した漢字で複数を表したり、「私ども」などとへりくだった時に用いたりしますが、古文では親しみをこめて呼びかけるときもあります。ただ、あまり出てくることはありません。また、「いざ給へ」は「さあ、いらっしゃい」という意味の慣用表現です。これは『徒然草』「丹波に出雲といふところあり」でも出てきています。
「尊きわざすなる」の「なる」は伝聞推定の助動詞「なり」の連体形ですが、ここでは「伝聞」としておきましょう。「見せ奉らむ」の「奉ら」は謙譲語の補助動詞「奉る」の未然形、「む」は意志の助動詞「む」の終止形です。以上から、「(寺に)尊いことをするそうだ(からそれを)お見せ申し上げよう」という訳が出来上がります。
《⑥までの本文解釈と現代語訳》
では、⑥までの本文を解釈してみましょう。(④⑤の内容も含みます)
とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。月のいと明かき夜、「嫗ども、いざ給へ。寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ。」と言ひければ、限りなく喜びて負はれにけり。高き山の麓に住みければ、その山にはるばると入りて、
(訳)はこちら(タップで表示)
と(妻は)ひたすら責めたので、(男は)責められて困って、そのようにしてしまおうと思うようになった。月がたいそう明るい夜、(男が)「おばあさん、さあいらっしゃい。寺で尊い法会をするそうだ、それをお見せ申し上げよう。」と言ったので、(おばは)この上なく喜んで(男に)背負われた。(男たちは)高い山の麓に住んでいたので、その山にはるばると(奥深く)入って、
⑥高き山の峰の下り来べくもあらぬに置きて逃げて来ぬ
(訳)はこちら(タップで表示)
高い山の峰で、下りてくることができそうもない所に(おばを)置いて逃げてきた

ついにおばを背負った男は、深い山まで連れて行って捨ててしまいます。
この部分は大まかに捉えるのは難しくありませんが、助詞や助動詞を丁寧に理解しておく必要がありそうです。まず、「高き山の峰の」の「(峰)の」ですが、これは同格を表す「の」で、「〜で」と訳します。「高き山の峰」と「下り来べくもあらぬ」が同じ「山の峰」を指すことを示しているので、解釈するときは「あらぬ」の下に「(山の)峰」を補う必要があります。
同格の「の」の働きについては、以下で詳しく説明していますので、そちらをご覧ください。
あとは助動詞がわかればここの解釈はできそうです。「下り来べくもあらぬ」の「べく」は可能の助動詞「べし」の連用形、「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形です。文の前後から何となく「下りて来ることができない」と解釈できそうなので、これらの助動詞の理解は割と簡単だと思います。「逃げて来ぬ」の「ぬ」は直前の「来」が「こ」と読むか「き」と読むかで意味が逆になります。ただ、おばを山に置いて男はどうするのかと考えると「逃げてきた」と解釈するのが自然だと分かるので、「来ぬ」は「きぬ」と読んで「ぬ」が完了の助動詞「ぬ」の終止形であると解釈するのはそれほど難しくはないでしょう。もちろん、助動詞の意味が分かっていることが前提になるのは言うまでもありません。まだ、助動詞の理解が曖昧ならば、しっかり復習しておくことをオススメします。
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おわりに(テスト対策へ)
テスト対策へ
今回は、『大和物語』「をばすて」の前半部についてお話しました。一通り学習を終えたら、今度はテスト対策編もご覧ください。

『大和物語』の他の文章は入門書にはあまり見当たりませんので、専門書をあたることになります。一方で、『大和物語』は説話のようなお話もたくさんあることは「はじめに」でお伝えしました。古典に興味を持ってみる第一歩として、説話を集めたマンガがありますので、そちらを読んでみるのも面白いかもしれません。興味があれば読んでみてください。
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